第18話 昔ばなし① スラムにて

「ごめんね、ケイさんは事情が分からないよね。去年カリフで起きた揉め事を解決したっていう話はしたよね?」


 頬を膨らませて面白くなさそうに、シルとスフィアを眺めるケイに、セアラが慌ててフォローに入る。


「あ、はい。それが関係しているんですか?」


「ええ、そうなの。スフィアちゃんはね、その時にシルが助けた娘なの。だからシルにすごく懐いてて」


 だから許してあげてねと言わんばかりに、セアラに微笑みかけられ、ケイの顔が沸騰したかのように一気に紅潮する。


「あ、あ、あ、あの!そ、そ、そんなんじゃないですから!!別にヤキモチなんてっ!あ……」


「えぇ〜?ケイったら、スフィアちゃんにヤキモチ妬いてるんだ〜。へぇ〜、ふぅ〜ん、そうなんだぁ〜」


 いつもの仕返しとばかりに、シルがニヨニヨしながら、両手で顔を隠して懊悩するケイを見る。


「もぉ〜!!シルのバカぁ〜!!!!」



ーーーーー約一年前ーーーーー



「ふぅ、やっぱりちょっと居心地悪いねぇ。ベッドもカッチカチのギィギィだぁ」


 洗濯こそされているものの、明らかに使い古されたシーツが敷かれた安宿のベッド。シルが軽く叩くと、コンコンという音が部屋に響き渡り、思わず苦笑する。


 毎年恒例となっていた家族旅行、シルのたっての希望で、亜人差別が根強いというアメリア王国を一行は訪れていた。シルはその空気を肌で感じようと、敢えて姿を変えることなく町を散策していた。面と向かって暴言を吐かれたりといったことは無かったものの、やはりいい顔をしない者は多かった。

 特にそれが顕著だったのはレストランや宿。亜人が出入りするようになると、常連が離れてしまうという理由で、小綺麗なところは例外なく入店を断られていた。仕方なくランクを落として落として、ようやく宿泊できる宿を見つけたものの、この有様だった。


「ああ。もう少しマシなのかと思ったが……まあよくよく考えてみれば、人の意識なんてそうそう変わるものじゃないよなぁ……シルは辛くないのか?」


「うん、私は大丈夫。すごくいい経験になってるよ。差別があるって聞いていても、きっと言葉だけじゃ、分かった気になってるだけだったと思う。本当に私の周りっていい人ばっかで、恵まれてるよね」


「ふふ、そんな風に考えられるなんて、シルも成長したものね」


「まぁね〜。でもずっと奴隷にされてた亜人の人達ってどうしてるんだろ?」


「そうだな……使用人として雇ってもらえている者もいるだろうけど……そうでない者たちは、この町にもスラムがあるらしいから、そこにいるんじゃないのか?」


「そっかぁ……やっぱり無理やり奴隷を無くそうとしても上手くいかないんだね」


 『ソルエールの大戦』以降、毎年恒例となった世界会議において、昨年、奴隷制度の廃止が議題にのぼっていた。その結論は『種族に関わらず、今後十年をかけて奴隷制度を廃止する』というもの。

 これを受けてアメリア王国は、早々に奴隷解放を宣言していた。


「当たり前の話だけど、奴隷解放とその人たちが生活出来るような仕組み作りは、並行して進めないと意味が無いんだよ。特に亜人なんて今日見て分かった通り、働く場所もろくに無い有様だ。こんなことなら、例え自由が無くとも仕事と寝食を与えられていた方がいいと感じる者も多いはず。それに、人をそんな風に言うのは心苦しいが、奴隷は所有者の財産なんだ。いきなり奪われれば不満が噴出するのは言わずもがなだ」


「そうですよね……結局、誰も得をしない状況になってしまって……これはちょっと考え無しなやり方に映ります。普通はこのようなやり方、どなたか諌めそうなものですけどね」


「そうだね。だからこそ他の奴隷制度がある国は、生じる歪みを最小限にしようと、慎重にことを進めている。十年後に奴隷制度を無くすという区切りを設けているけれど、それはあくまでも制度としての話。人の意識まで変えるとなると、途方もない時間がかかると思う」


「……パパってさ、意外とそういうことが分かるんだね?」


 固いベッドの上で体を揺らしながらシルが感心していると、セアラはクスクスと口元を押さえて笑う。


「意外とってなぁ……まあ向こうの世界でもやっぱりそういうのはあったんだ。表向きは平等が叫ばれていても、人の根底にある意識なんて、そうは変えられるものじゃない。それこそ世代が変わっていかないと厳しいくらいにね。それに……『奴隷解放』を始めとした、差別のない世界を作るっていう動き。きっとそれは、俺の願いを汲んでくれているんだと思う。だから他人事じゃないんだよ」


「うん、分かってる。だから私も知っておきたかったんだよ。今、何が起きてて、どうしたらいいのかを考えるためにね」


「はは、そうか。シルなりに考えてくれていたんだな」


 シルが成長途上と言って憚らない胸を張ると、アルがポンポンと頭を叩く。


「ねぇ、パパ、明日はちょっとスラムの方を見に行ってもいい?」


「……それは…………」


「お願い、そこで暮らす人達に、何か出来るなんて言うつもりは無いけど……見ておかないといけない気がする」


 強い決意を湛えたシルの瞳に、アルはこめかみを掻きながら思案に耽る。


「……アルさん、私はいいと思いますよ。そばにアルさんがいて、私もいる。シルが一人で行くよりもずっといいでしょう?」


「……はぁ……そうだな。今回の目的からすれば、そこまでしないと片手落ちだよな。だけどいいか?絶対に俺から離れないようにするんだぞ?」


「うん!!ありがとう、パパ大好き〜!」


 アルの返答を確認するや否や、シルがケット・シーの身軽さを活かして飛びつくと、その頬に熱烈なキスと頬擦りをする。


「はは、ありが……と……う?」


 娘から百パーセント純粋な好意を向けられて、双眸を崩すアルだったが、ニコニコとその様子を眺めるセアラに不穏なものを感じる。


(もしかして……そろそろシルに自重するように言わないといけないのか……)



 翌朝シルたちは、黒パンに具の少ないスープという質素な朝食を終えると、宿を出て目的地へと向かう。

 そこは領主の屋敷を中心として同心円状に広がる、カリフの一番外側に形成されていたスラム。中心から外壁に向かって、外へ外へと町を拡大してきたカリフにおいて、この場所は未だ手付かずの場所となっていた。不法占拠以外の何物でもないのだが、拙速な奴隷解放によって住む場所を失った者が町に溢れかえることを思えば、一所に固まっていることは都合が良く、黙認されていた。


「シル、さすがに中の方までは入れないからな?大きな通りを少し歩くだけにしておこう」


 あばら屋、テントが無秩序に乱立したスラム。その内部は非常に見通しが悪くなっており、ひとたび中の方に入ってしまえば、どんな危険があるか分かったものでは無かった。


「うん、分かってる。それで十分だよ」


「離れないようにね、じゃあ行きましょうか」


 三人が寄り添うようにして歩いていくが、人の姿はまるで見当たらない。それでも気配は感じるため、身を隠しているだけだということはすぐに分かる。


「うぅ……こんなとこで暮らして、病気になっちゃわないのかな?」


 スラム全体に漂う、複雑に絡み合って、もはや何のものかよく分からない臭気に顔を歪め、口と鼻を押さえながらシルがうめく。


「なるだろうな。衛生観念が無いというよりは、そこまで手が……」


「パパ?」


 ここまで魔法で感覚を鋭敏にし、警戒しながら進んできたアルの雰囲気が、一段階厳しいものへと切り替わる。


「……あっちか」


「え?え?どうしたの?」


「臭気に紛れているが、微かに血の匂いがする」


 アルの先導で一軒の荒屋に入った三人。そこに倒れていたのは獣人らしき男女。その顔は原型を留めないほどに腫れ上がり、大穴の空いた胸からは、一目で致命傷と分かる量の血が流れ出ている。屋内に目をやると、床や壁には争った形跡らしき、鋭い爪痕が多数残されていた。


「……手遅れ……か」


「これは……酷い、ですね……何か、余程の恨みでもあったのでしょうか……」


「……何でだろう……二人とも、凄く悲しそうに見えるよ……」


 セアラとシルは、女子供で無くとも卒倒しそうなほどに凄惨な状況を見ても、目を逸らすことなく、沈痛な面持ちを浮かべる。


「……こうして見つけたのも何かの縁だ。せめて弔ってやるくらいはしてやろう」


 血の海に沈む二人を抱え上げ、アルは魔法によって付着した汚れや血を綺麗に取り去る。しかし、既に事切れている二人の傷を治してやることは、魔法の力を以てしても出来なかった。


「お前ら何者だ?同胞をどうするつもりだ?」


 三人の視線が一斉に荒屋の入口に注がれる。その先に立っていたのは、鋭い瞳と狼のような耳と牙を持った獣人。その佇まいは、とてもスラムに住んでいるとは思えないほどの力強さを感じさせる。


「……偶然見つけたんだが、こんなところに打ち捨てられていては不憫だからな。弔ってやるつもりだ」


 その友好的とは思えない物言いにも怖じること無く、アルは真っ直ぐにその鋭い瞳を見返す。


「……そうか、俺はてっきりお前たちが殺しやがったのかと思ったが……どうやら勘違いのようだな。俺の名はディック。悪いが墓場、なんて言えるようなもんじゃないが、そこまでそいつを頼めるか?」


 ディックが男の獣人の遺体を担ぎあげると、アルに頭を下げる。


「ああ、分かった。俺はアル、こっちは妻のセアラ、娘のシルだ」


「……へぇ、獣人の娘か。どうやらわけアリのようだな。まあここは見ての通りスラムだ、詮索することなんかえから安心しな」


「ああ、それは助かるな」


 ディックに連れられて、三人は外壁のすぐ内側へと辿り着く。そこには墓標と思しき石が、幾つも地面に突き立てられていた。


「この辺りに埋める。手伝ってくれ」


「分かった」


 アルは地面に手を当てると土魔法を発動させ、二人が入れるほどの穴を開ける。


「……こいつは驚いたな。お前、魔法が使えるのか。よく分からねえが、これは相当なモノなんじゃねえのか?」


「そんなことより、この二人は夫婦でいいんだよな?そのつもりで一緒の穴にしたんだが」


 その言葉にディックは眉間に皺を寄せ、怪訝な表情でアルを見る。


「ああ、その通りだが……なぜ分かった?」


「さっきの家に子供用の物がいくつかあったからな。そう考えるのが自然だろ?」


「そうか……」


 二人を荼毘に付せながら、アルたちが当然抱いているであろう疑問に、ディックは答える。


「恐らくこの二人は、娘を守ろうと殺された。最近、獣人の娘の誘拐が頻発してんだよ」


「なぜ獣人の娘なんだ?」


 ディックは一度シルに視線を向け、気まずそうに後頭部をボリボリと掻くと、再びアルに向かって話しかける。


「……世の中にはそういう趣味嗜好を持つクソ野郎がいるってことだ。特にこいつらの娘は、変わった髪の色をした娘だったからな、高く売れると目を付けられたんだろうよ。それにアホみてえな政策のせいで、この国は今、行くアテの無え獣人が溢れてやがる。お前が誘拐犯の立場なら、チャンスだと思わねえか?スラムの住人なんぞ、居なくなっても誰も気にしねえんだからな」


「……連れ去られた子供の行方は?」


「あぁ?そんなもん知ってどうしようってんだ。下手な同情はやめとけ」


 面倒くさそうに、ディックが手をヒラヒラとさせるとシルが噛み付く。


「まだ小さい子が、親を殺されて連れ去られてるんでしょ?放っておける訳ないじゃん!」


「チッ……物好きな奴らだ……先に言っておくが、俺だって詳しいことは知らねえ。だが嬢ちゃんがその気なら、手段が無いわけじゃあ無え」


「っ……ダメよ、シル。それは認められない。いくら何でも危険すぎるわ」


 いやらしく笑うディック。今から口にするであろう提案を察したセアラが、嫌悪感を露わにして、断固とした拒否を示す。


「俺も多くの獣人を見てきたが、その銀髪の珍しさは、連れ去られた娘どころの話じゃねえ。クソ野郎共からすりゃあ、喉から手が出るほど欲しいだろうよ」


「やるよ!どうすればいいの?」


「「シル!!」」


 アルとセアラが強い口調でたしなめるが、その決意を宿した瞳は、微塵も揺れることなく二人を見返す。


「言っても無駄だからね!私をこういう風に育てたのはパパとママでしょ?」


【選択を他人に委ねないこと。自身の信念に背かないこと。それによってもたらされた全てに責任を負うこと】


 それがアルとセアラの生き方であり、それはシルにも確実に受け継がれている。

 娘からそう言われては、返す言葉を見つけることが出来ず、二人は嘆息してその提案を受け入れるしかなかった。

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