第12話 第一章 エピローグ 妖精王と聖女

 シルは辺りを見回しながら、記憶の中から符合する場所を探していた。ただ横穴を掘っただけに見える洞窟に、石造りの簡素な祭壇。そしてその祭壇に祀られているのは、エルフのような長耳を持った、凛々しい顔立ちの男性の像。


「なんでだろう……私、ここを知ってる…………そうだよ……ここは私が聖女になった場所だよ……」


 シルには未だにケット・シーの里にいた頃の記憶はない。それでも、その場を支配する神聖で厳かな空気は、彼女が覚えていないはずの記憶を呼び覚ましていた。

 その場の雰囲気に浮かされた、フワフワとしていた気持ちを振り払うかのように、シルは激しくかぶりを振る。


「まずは現状把握しなきゃ……ええっと、確かケイを宿に送って、私達も宿に戻って……ご飯食べて……パパとママにお休みを言って……じゃあ、これって夢?」


「確かに肉体は寝ているが、厳密に言えば夢とは少し違うな。ぬしの心の中に私が入り込み、明確な意思を持って話をしている」


「……誰なの?」


 咄嗟に出たそれは、聞くまでも無い質問。この場にのは、シルの他にはエルフらしき男の像だけ。ただし像の口は微塵も動いておらず、表情も固まったまま。耳ではなく、頭の中に直接、声が響いている感覚だった。


「我が名はオーベロン、妖精王と呼ばれる者。そして主を聖女として見出したのも私だ」


「……それで……?そのがなんの用なの?」


 自らを妖精王と名乗る目の前の存在の真偽を確かめる術などない。これが現実かどうかも分からない。ならばとシルは腹を括って話を進める。ただし発せられたその言葉には、妖精族の信仰の対象へと向けられるには不似合いな、ハッキリと分かる棘がある。

 それもそのはず、シルからすれば例え像であれど、目の前の存在は、自分を望んでもいない聖女にし、人生をメチャクチャにしてくれた相手。とてもへりくだるような気分にはなれなかった。


「理解が早くて助かるな。単刀直入に言おう。そう遠くない未来、主の父親アル・フォーレスタの中にいる魔神が甦る」


 シルの放つ敵意をまるで意にも介さずに、更に感情を逆撫でする言葉をかけてくる妖精王オーベロン。肩を震わせながら、シルは堪らず声を荒らげる。


「何を……嘘よ、適当な事を言わないで!!魔神は負の感情によって甦るんでしょ?パパは今、幸せに生きてる。魔神なんかが甦るわけない!!」


 ぶつけられた剥き出しの感情にも、妖精王オーベロンは微塵も動じない。まるでその返答が分かっていたかのように、淀みなく続ける。


「聖女シル・フォーレスタよ、主のせいだなのだよ。あの日、賢者の石を手にした魔族アバドンと、魔神の魂を持つ者アル・フォーレスタとの戦いで、主は致命的な悪手を打った。主はアル・フォーレスタと共に戦い、魔神の力を使わせたな?あれによって、魔神の意識は目覚める切っ掛けを得たのだよ。主は魔神の力を、何の代償も無く行使出来ると思ったか?」


「そんな……で、出鱈目よ!それに、あの時はパパだって必死だった!あ、あれが最善だったはず!!」


 自らのせいだと名指しされたシルは、自らに言い聞かせるかのように強い口調で反論するが、その声は焦燥によって震えていた。


「違うな、主は聖女の魔力を、魔剣ティルヴィングに注ぐだけで良かったのだよ。さすればあの者は、己の命と引き換えにアバドンを討ち取ったであろう。それが最善のシナリオだった」


「っ!バカなこと言わないでよ!パパが死んだら何の意味も無いでしょ!?」


 相討ちこそが最善。迷いなくそう言い切る妖精王オーベロンへと向けるシルの眼光が鋭くなると、その怒りを示すかのように魔力が溢れ出し、美しい銀髪が天を衝く。


「では聞くが、主の言う意味とはなんなのだ?それは世界を滅亡の危機に晒すことよりも、本当に重要なものなのか?」


 怒りを真っ直ぐに受け止めた上で返された、気勢を削ぐその言葉に、シルは思わず口ごもる。妖精王オーベロンの言葉が事実だとすれば……そんな思いが、彼女の心に大きな揺らぎを作る。


「それは…………それでも…………それでもパパは私のパパなんだよ!?行く宛ての無い私を、何不自由なく育ててくれた人なんだよ?」


「ふむ、感情論か。それもまた主らしいな。しかし、ではどうすると言うのだ?確実にその時はやって来るぞ?恐らくは主が知らぬだけで、アル・フォーレスタにも、既に変調は現れておるだろうよ。故に主は早々に決断せねばならん。この世界と父親、どちらを助けるのかをな」


「そんなの……選べるわけない……」


「選べないということと、アル・フォーレスタを選ぶということは同義。いずれの場合も世界が滅ぶだけだ。もっとも全員が仲良く死ぬのだから、それもまた良いのかもしれんがな」


「……私ならパパを止められるの?」


「止められるのではない、殺すことが出来るのだ」


 敢えて殺すと言わないシルに対して、覚悟を促すかのように、その言葉を突き刺す妖精王オーベロン


「嫌だ……そんなの出来るわけない」


「出来なければ……」


「分かってる!それ以上言わないで……」


「……いずれにせよ今の主ではどうすることも出来ぬ。今一度、聖女の力を取り戻すのだ」


「取り戻したって!!……取り戻したって……パパを殺さないといけないんでしょう?」


 淡々と話す妖精王オーベロンに対して、シルは食ってかかろうとするが、ついに下を向き膝をついて崩れ落ちる。


「そうだ。だがそれはアル・フォーレスタにとっては救いであろう?愛する者、守りたい者を全てを手に掛けること、主の敬愛する父親にその苦しみを負わせるつもりか?魔神の意識が精神を支配しようとも、あの者の意識は残るのだぞ?」


「……ちょっと待って!!パパの意識はずっとあるの?」


「ああ、そうだ」


「な、なら魔神の意識だけを取り除くことが出来れば……」


 縋るようなシルの言葉に、ほんの僅かではあるが、妖精王オーベロンの声色が明るくなる。


「ふむ……言いたいことは分かる。本当にそのようなことが出来るのであれば、助けることも可能かもしれん。しかし、残念だが二つの意識は、完全に別れて存在しているという訳では無い。例えるならば、一つの魂という器の中に、黒と白の絵の具が混じり、灰色になっているとでも思えば良いだろう。その色が白に傾けばアル・フォーレスタ、黒に傾けば魔神が精神を支配するといったようにな。故に片方だけを取り除くという方法は無い……少なくとも私には出来ぬ事だ」


「……やるよ、私がやってみせる!」


 一筋の光明を見たシルの目に、再び光が灯り決意を固める。


「方法も分からぬのにか?」


「そうだよ!!少しでも可能性があるなら、私は絶対に諦めない!」


「……聖女とはいえ、一介の妖精族にしか過ぎぬ主が、王である私をも超えると言うのか」


「別にそんな大それたことは考えてないよ……私は絶望するくらいなら、どんなにか細くたって、希望を掴むために足掻きたい。パパを助けるために、そうならなきゃいけないなら、貴方だって超えてみせる」


 表情こそ変わらないものの、愉快そうな声を出した妖精王オーベロンは、シルの決意を聞くと、一転して懐かしむような口調に変わる。


「絶望よりも希望を、か……ふむ、主は面白いな。だからこそ私は主を聖女にしたのだったな……いいだろう、最後まで足掻いてみろ。だが、何を置いても、まずは聖女の力を完全に我が物にし、魔力量を高めるのだ。アル・フォーレスタ以上の魔力量を持たなければ、話にもならぬ」


「パパ以上の……?ちょ、ちょっと待って、貴方の見立てで、どれくらい時間が残されているの?」


 シルも成長してはいるが、アルもまた、依然として成長を続けている。予想以上に高いハードルにシルが狼狽える。


「……おそらく三年は持つが、五年は持たぬだろうよ」


「じゃあ三年以内に、か……」


「これはあくまでも現状からの予測でしかない。大きく外れることは無いであろうが、早まる可能性も十分にあると思っておけ」


「……分かった、それなら二年半後、私がパパの中の魔神をやっつける」


「それまでに準備が整わなかった場合、そして失敗した場合。その時はどうするべきか、分かっておるだろうな?」


「…………ねぇ……」


 その問いにシルは答えることなく、逆に質問を返す。


「なんだ?」


「聖女ってなんなの?何で聖女はリリアさん以降は、私までいなかったの?」


「……そうか、主は覚えておらぬわな。まず一つ目、聖女とは私の依代、代行者と言っても良いな。私の力をその身に宿し、この地上に平穏をもたらす存在。そして二つ目は聖女リリア自身、すなわち主が望んだことだ」


「依代……それに私が望んだって……どういうことなの?」


 回答こそ返って来たものの、今ひとつ要領を得ない状況に、シルは首を傾げる。


「歴代の聖女というのは、別人であって別人でない。つまり生まれ変わっているのだよ。私が見初める魂など、そう都合良くは現れぬからな。ただし神族や魔族のように、記憶までは引き継がれておらぬのだ」


「じゃあ……私が、リリアさんの……生まれ変わり?」


「リリアだけでは無い、それ以前の聖女も全てそうだ」


「じゃ、じゃあリリアさん以降に生まれなかった理由は?」


「主も察しが付いているのではないか?地上の者は、聖女を物のように扱い、醜い争いを絶えず繰り返した。平和へと導く存在が戦争の火種になる、今の主が聖女であることを隠しているのもそれが一因であろう?」


「……うん」


「故にリリアは、死ぬ間際に私に願ったのだ。次に生れかわる時は、聖女の存在が必要な時だけにしてくれと」


「それが今……?」


「違うな。ソルエールの大戦こそが、それだったのだ」


「じゃあ今の状況は……貴方の想定外ってこと?」


「そうだ。故に手遅れにならぬうちに手を打つため、わざわざこうして主と話をしておるのだよ」


「……それにしては来るの遅くない?」


「何を言うか?主の聖女の力が弱まっていたせいで、魔神の胎動に気付いても、接触する術が無かったのだぞ!?」


 妖精王オーベロンに一喝され、シルはバツが悪そうに頭を掻く。


「えぇ、私のせい?じゃあ何で今は大丈夫なの?」


「……今日、主は大きな決断をしたであろう?それによって力が戻りつつあるのだ。聖女の力は心の在り方によって、大きな影響を受けると聞いているであろう?」


「……そっか……確かにそうだね……うん、じゃあちょうどいいじゃん!!」


「何がだ?」


「私の力が弱まったのは、ずっとずっと自分の在り方に迷ってきたから。だったら、きっとこれを成し遂げた時、私は私の生き方を定めているはず。そう思ったらワクワクするってことだよ!」


 僅かな沈黙が二人の間に流れる。だがそれは、呆れからくるものではなかった。


「……くっ、ふははっ……そうだな。主は昔からそういう性格だったな。絶望の中に希望を見付け、それに向かってひた走る。何も変わっておらぬな」


 かつての聖女の姿に思いを馳せる妖精王オーベロン。シルはそれを感じ取ると、聞くべきか迷っていた言葉が口を衝いて出る。


「昔から、か……ねぇ、どういう切っ掛けで私を聖女にしたの?」


「ふむ…………それは主が目的を果たしたら教えてやろう」


「えぇ〜、ケチだなぁ」


「楽しみがあった方が頑張れるのであろう?」


「えへへ、よく分かってるね」


「……長い付き合いだからな」


 シルは不思議な感情の動きを味わっていた。妖精王オーベロンに対しては、間違いなく複雑な思いを抱いていた。それでも彼の言葉の端々には、自分に対する理解や信頼を感じ、話していると徐々に心が落ち着いてくる。


「前世でも私はその話を聞いたのかな?」


「いや、今まで一度もないな」


「じゃあ何としても聞かなきゃだね」


「……そうだな」


「あのさ」


「何だ?」


「もしかして、こうなるように仕向けたの?」


「それについては、私は明確な答えを持ち合わせておらんな。こうなれば良いとも、ならない方が良いとも思っておった」


「そっか」


「ただ……」


「ただ?」


「主があの日から変わっておらず安心はしたな。私の知っている主ならば、助けると言うであろうとは思っておったし、それを尊重するつもりではおったな」


「ふぅん、じゃあ最初になんだかんだ言ってたのは、励ますためとかそういう感じ?」


「……好きに取るがいい」


「もぉ〜、素直じゃないなぁ」


「いずれにせよ『まずは現状把握』だろう?そこで怖気付くのであれば、到底成し遂げられぬ茨の道だ」


「うん、分かってるよ」


「さぁ、用は済んだ。行くがいい」


 表情はもちろん変わらないが、その調子はどこか気恥しさを感じさせ、それを誤魔化すかのように急かす妖精王オーベロン


「あ、ちょっと待って。もう会えないの?」


「必要な時は姿を見せる」


「そっか……じゃあ、私、頑張ってみるよ」


「……ああ、頑張れ」


「ふふ、ありがとう」


 古くからの友人の、短くも心のこもった激励の言葉に、シルが頬を緩めて瞬きをする。すると先程まで妖精王オーベロンの像を映していたはずの目に、昨日の朝と同じ天井が飛び込んできた。



※補足・妖精王オーベロンについて


オーベロンは元々はハイエルフです。魔法が得意な一族の中にあっても、卓越した魔法の技量と、桁外れの魔力量を有していました。何より彼の持つ魔力は特殊で、非常に強い光属性を有しており、聖女にもそれが受け継がれています。

かつて彼はその魔力に目を付けた神族と魔族に請われて、アルの前世でもある魔神に止めを刺しています。そして、その功績によって魂に神格が与えられ、妖精王となりました。

また、ハイエルフの持つ能力の一つとして予知夢がありますが、その発展版として、オーベロンは地上の危機においてのみ、未来視を持っています。アルの中にいる魔神の復活の時期を予言しているのも、その一環と思ってくだされば良いかと。

ちなみに今は肉体は既に失われ、精神体として地上を見守っています。記憶を持ったまま転生も出来ますが、地上を見守るにあたって肉体は邪魔なようです。



さて、このお話で第一章の入試編は終わりとなります。エピローグのくせに長くてすみません。

ここまでで、この小説の向かう方向が、何とな〜く見えて来たかと思います。よろしければこの先もお付き合い下さい。

次話からはアメリア王国編です。お察しの通り、ちょっと揉めます。

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