第10話 救世の聖女と亡国の公爵令嬢

 ケイが中空を見上げたまま、脳をフル回転して情報処理を行っていたので、シルは邪魔をしないよう、その間にルシアに向き直る。


「ところでルシアさんは、どうしてここに?」


「シルちゃん、これからはルシア先生と呼んでね!」


 諸々すっ飛ばし過ぎて会話が成立していないが、それでも何を言いたいかは、十分過ぎるほどに伝わっていた。


「……え?それじゃあ、ルシアさんが学園の先生をするの?」


「うん、そういうこと!ていう訳でよろしくね〜」


「うわぁ〜、すごい!ルシアさんが国から出るなんて、なんだか意外だけど……でも嬉しいなぁ!じゃあ、よろしくお願いします!ルシア先生」


「ええ、任せてちょうだい!しっかり、みっちり仕込んであげるからね」


「はい!」


 シルはルシアの隣で、未だにぶつくさ文句を言っているドロシーを無視して、ようやく焦点が合ってきたケイの顔を覗き込む。


「ケイ、落ち着いた?」


「あ、うん。まだちょっと混乱してるけどね……」


「えへへ、私のパパとママすごいでしょ!」


「うん……すごい、本当にすごいわ」


 無邪気に両親を自慢するシルに、ケイは目を細めて、羨ましそうな表情を見せる。


「シル、俺たちがいると落ち着かないだろうし、二人で話しをしてきたらどうだ?」


「うん、じゃあそうするね」


 アルの提案を受け、シルとケイはベランダに出て、ソルエールの町を見渡す。シルたちの住む地方とは違い、大陸の北方にあるこの都市の秋は短く、既に冬の気配が訪れつつあった。

 何も遮るもののない高所に吹きすさぶ、頬を切るような冷たい風と絶景が二人を歓迎すると、シルは思わず声を上げる。


「うわぁ!すごい景色だね!っていうか寒〜い!」


「うん、本当にね」


「ケイ、どうしたの?なんか元気ないね?」


「ええっと、そうじゃなくてね……うん……よし!決めた!ねえシル、私と、私の両親のことも聞いてもらっていいかな?」


 迷いを振り払うかのうように、冷えた両頬をパチンと叩くと、ケイがシルの両肩をがっちり掴む。


「……うん、聞きたいな」


「えっとね……そうは言ったものの、何から話そうかな…………そうね、やっぱり先ずはこれかしら。私の本当の名前はキャスリーン・ウィンバリーって言うの」


「本当の名前?」


「うん、私ね小さな国の公爵令嬢だったの。亜人もたくさんいたし、少ないけれど妖精族も住んでるような、差別の無い平和で温かい国」


「え?じゃ、じゃあ今はどうして平民なの?理由があって身分を隠しているとか?」


 ケイはシルの方を向くことなく、ソルエールの街並みを遠い目で見ながら答える。


「ううん、そんなんじゃないわ。今の私はただの平民だよ。私の国はね、滅んじゃったのよ。『ソルエールの大戦』が起こる少し前にね」


「……あ」


「お父様とお母様は、貴族としての務めを立派に果たされたわ。だけど、私はそれに付き合わせて貰えなかったの。その時につけられた護衛兼侍女が、今の私の親代わり」


「……ごめんね」


「シルが謝るようなことじゃないでしょ?」


「で、でも……私、パパとママの自慢なんかしちゃって…………それに……」


(私がもっと早く聖女の力を使えたのなら、ケイのご両親は死なずに済んだかもしれない)


 シルは口に出そうとして、それはダメだと踏みとどまる。そんなことを言ってもケイの両親は戻ってこないし、彼女が立派だったと言っている以上、二人の尊厳を踏みにじることにしかならない。

 葛藤するシルを見て、ケイはその胸中を慮り、抱いていた推測を確信に変える。


「ねぇ、シルがあの物語の聖女様なんだよね?」


「あ……うん……そうだよ。黙っててごめ」


 言い出そうか迷っているうちに、聖女であることを言い当てられ、シルは取り繕うように謝罪の言葉を口にしようとするが、ケイはその唇に、右の人差し指を押し当て、動きを止める。


「やっぱりね!そうだと思ったのよ、物語の聖女様にシルはよく似てるもん」


「え?そうかな……?私、あんなに立派じゃないと思うけど」


 物語の中の聖女は、正に聖人君子といった性格で、シルが初めてそれを読んだ時には、『誰これ?』と思わずツッコミを入れてしまうほどの人物として描かれていた。


「ふふ、正義感や責任感が強いところなんて、本当にそっくりだと思うよ。それに、ちょっと向こう見ずなところもね。シルはさ、強くて優しい人だよ」


「あ、ありがとう……」


 真っ直ぐに自分を見つめて褒めてくれるケイに、シルは反論することが出来ず、代わりに心の奥底がじんわりと温かくなる様な感覚を覚える。


「私ね、国を失い、お父様とお母様を失って、それからすぐに戦争が終わった時には、正直に言ってこう思ったわ。なんでもっと早くあいつらを倒してくれなかったのよってね……」


「……うん」


「心のどこかでは理不尽だと分かっていても、誰かのせいにしないと、あの時の私は生きられなかった。お父様とお母様は最期まで立派だったなんて、そんなことどうでも良かった。ただ生きてさえいてくれれば、それでよかったのにって。それが両親を侮辱する行為だということが、私には分からなかったの」


「仕方ないよ、きっと私も同じこと思うよ……」


「うん、ありがとう。それから私は逃げ延びた街で、家に引きこもっていたの。思い返すと酷いものだったわ。ベッドの上で泣いて、ベッドの上で食事して、また泣いて寝る、それをただ繰り返すだけの日々。身だしなみも気にせず、髪の毛なんかもボサボサでね……それを一年間もよ?信じらんないわよね。そんな私を見兼ねた侍女が、買ってきてくれたのが『英雄回帰』だったの。最初はなんでお父様とお母様を助けてくれなかった人の本を、読まないといけないのって叩き返したわ。でもその侍女に、すっごい剣幕で一言だけ言われたの。『読みなさい』ってね。あれは怖かったなぁ……不退転の覚悟っていうのは、ああいうのを言うんだろうね。あそこで断ろうものなら、心中するつもりだったんじゃないかしら」


「そ、そうなんだ……」


 話の内容が内容だけに、シルが暗くならないようにと気を使っているのか、あっけらかんと語るケイに、シルはどう反応していいか分からない。


「ところで、あれってほとんど実話なんでしょ?」


「え?あ、うん、そうだよ。私たちのことがバレないようにはしてあるけどね」


 シルの肯定を確認すると、ケイは満足そうに頷く。


「多くの人から疎まれ、どれだけ逆境に晒されても、自分を信じてくれる人達のために立ち上がる勇者。正直に言って胸が震えたの。私もこんな風になりたい、私なら大丈夫だって信じてくれた、お父様とお母様の気持ちに応えたいって思ったわ。それから私は、もともと得意だった魔法の勉強を本気で始めて、名前も平民でも違和感がないようにケイにしたの。でもウィンバリーの家名だけは捨てられなかったわ」


「そうなんだ……うん、私にも分かるなぁ……家名って私は二人の娘だって思える、すっごく大事なものだもん」


「うん……だからね、私にとってシルたちは恩人なんだよ。本当に夢みたいだわ……あんなに夢中になった物語の登場人物が、目の前にいるなんて」


「ふふ、パパもママもカッコよかったからね」


「あら?今も十分にカッコいいと思うわよ?」


「それは普段の二人を知らないからだよ。娘の前だっていうのに、いっつもイチャイチャしてさ、ちょっとは自重して欲しいよ」


 むぅと頬を膨らませるシルを見て、ケイは口に手を当てふふっと笑う。


「でもそんな二人が好きなんでしょ?」


「それは……そうだね。出来ればパパとママには、もうあんな風に戦って欲しくないかな。私はああやって笑って、のんびりしてる二人が好き。もともと戦うことが好きな人達じゃないしね」


「うん、すごく優しい人たちだって分かる。ね、もっと色んなこと教えてよ!」


「もっとかぁ……」


 二人の視線の先にいるアルとセアラは、目を覚ましたカーラの勢いに気圧されていた。


「どうしたのかしら?なんだかシルのお父様、焦ってない?」


「あ〜、多分あれはね、後でママに怒られるからだと思うよ」


「え?なんで?」


「ほら、カーラ先生のパパを見る目が、恋する乙女みたいになってるでしょ?」


「……それだけ?いくらなんでも理不尽じゃない?」


「あはは、私もそう思うけどね。いつものことだよ」



補足


※作中の物語『英雄回帰』について

アルを主人公のモデルとした物語『英雄回帰』は、アルの半生を追体験できる内容で、世界的なベストセラーです。途中に起こる出来事は改変されましたが、クライマックスは『ソルエールの大戦』そのものだったので、当然モデルは誰?という話にもなっていました。しかし決してアルたちには行き着けないように、フィクションが織り交ぜられています。(主人公、ヒロイン、聖女はただの人間。それぞれ別の国の出身で、家族ではない等)

また、大戦には各国の精鋭しか参加しておらず、箝口令が容易だったことも、アルたちのことが知られていない要因です。


※ケイの名前

キャスリーン(Cathreen)→ケイト(Cate)→ケイ

この世界の平民は、短い名前がほとんどです。

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