第8話 英雄の娘

 シルはドロシーの私室を飛び出すと、学園の門へ向かう。

 魔力測定が終わり次第、順次解散の流れであったので、ケイを引き止める為には、時間との勝負だった。

廊下を駆けるその様はまさに疾風の如く。ケット・シーの種族特性でもある、身のこなしの軽さに加えて、身体強化魔法まで施しているシルのスピードは、アルに勝るとも劣らない。とは言え学園内で本気で走ると、かなり危険なのでせいぜい六割程度の速度。

 


「そこの子!受験生か?廊下を走ったらダメだぞ!」


「はい!すみません!」


 全力であったならば、目に留まることは無かったであろうが、あと少しと言うところで、学園の職員から注意を受けてしまう。シルは、大人しく競歩のように可能な限りのスピードで歩き、間もなく門へと到達した。

 しかし、そこには試験を終えた受験生と、迎えに来た保護者や従者でごった返しており、この中から目的の人物を探すのは、骨が折れる作業だった。


(ケイ、もしかしてもう帰っちゃったかな……)


 シルの胸中に一瞬不安がよぎるが、すぐにその思いを振り払い、辺りをキョロキョロと見渡す。すると、より一層の人集りができている場所から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「も、申し訳ありません」


「だからよぉ、謝って済む問題じゃねえんだって。お前がよそ見してぶつかってきたせいで、服が汚れちまったんだから、弁償してもらわねえといけねえだろ?」


「し、しかし私は前を見ておりましたし……それにお召し物も汚れているようには……」


「すみません!ちょっと通して!」


 シルが人混みをかき分けて進むと、その中心が見えてくる。そしてその目に映るのは、地面に這いつくばるケイと、それを見下ろす貴族然とした上等な服装の男。


「ああん?平民ごときが、なに一丁前に口答えしてんだ?」


「あ……その……申し訳ありません」


 頭を下げるケイに向かって唾を吐き捨てる男。髪の毛に唾がかかろうとも、顔を上げずにひたすらに耐える彼女を、シルがギュッと抱き締める。


「ケイ、大丈夫?ほら、拭いてあげるからじっとしてて」


 シルは肩から提げたバッグから、ハンカチを取り出すと、魔法を使いながら慈しむように拭き始める。すると、その甲斐あってか、ケイの髪は元よりも輝きを放ち、さらさらになっていた。


「シル……?あ、ありがとう……でも、どうしてここに?」


「あのね、今更なんだけど……私のパパとママに会って欲しいの」


「え?でも……いいの?」


「うん、だから一緒に来て」


「なんだお前?……て言うか、なんでこんな所に獣臭けものくせえ獣人がいやがんだよ」


 嫌悪感を隠そうともしないその口調に、シルは嘆息して立ち上がる。


「あのさぁ、女の子に臭いとか言うのはどうかと思うよ。そんなんじゃモテないよ?」


「は?て、てめぇには関係ねえだろうが」


「それで?服が汚れたんだっけ?『清潔クリーン』」


 シルが指を鳴らすと、男の服が一瞬白い光を放つ。とは言え全く汚れていないので、見た目には何も変化が見られない。


「はい、これでキレイになったよ。じゃあ私たちは急いでるから」


「な、何しやがったんだ!?」


「『清潔クリーン』の魔法でキレイにしただけ。何か文句でもあるの?」


「魔法だと……?適当なこと言いやがって、獣人が魔法を使えるわけねえだろうが!そもそもキレイになろうが関係ねえんだよ。平民が触れた服なんて着られるわけねえだろ?」


「なんで平民が触れたら着られないの?」


「決まってんだろ?汚らわしいからだよ」


「だからキレイにしたでしょ」


「そういう問題じゃねえって言ってんだろうが!」


「じゃあどういう問題?」


「いいか?平民ってのはな、血が汚ねえんだよ。だから、平民に産まれてくるんだよ。そんな奴らが触れたものに、俺ら貴族が触れるわけねえだろ?まあ頭のわりいおまえらには、分からねえだろうがな」


「何それ?それに頭の善し悪しなら、私の方があなたよりは良いよ」


「なんだとぉ……痛い目を見なきゃわかんねえか?」


「あなたじゃ無理だよ」


「クソが、女だと思って優しくしてやりゃあ、調子に乗りやがって」


「どこが優しいの?言葉の意味も分からないの?」


「チッ……もう許さねえからな」


 全うな?議論が次第に悪口の応酬に変わるにつれて、男の雰囲気が剣呑なものに変わってくる。すると見物人たちは、いい娯楽だと言わんばかりに囃し立てる。


「シル、不味いって……謝ろう?」


 ケイがシルの袖を引きながら、震えた声で窘める。


「何を謝るの?私は間違ったことは言ってないし、ケイはぶつかったことは謝ってたじゃん」


「で、でも……貴族様に逆らったら私たちなんて……」


 おどおどした様子のケイに対して、シルが堂々と男に向かい合うと、金髪に碧眼の見目麗しい男が、シルと貴族の間に割って入ってくる。


「ほらほら、君たち、こんなところで騒ぎなんて起こすものじゃないよ」


 その佇まいは、シルと口論していた貴族の男と比較して、明らかに格上であろうと感じさせる。事実、貴族の男は既知のようで、恭しく礼を執っていた。

 シルはそんなことはお構い無しとばかりに、胡乱な目を男に向けると、自分たちの正当性を主張する。


「突っかかってきているのは向こうですから。ケイはもう謝っていますし、服は私がキレイにしました。何も問題ないと思いますが?」


「お、おい、お前!平民、しかも獣人風情が失礼だろう!この方は……」


 シルの敬意を感じさせない物言いに、礼を執っていた貴族の男は顔を青くして咎める。


「良い、ここは学園内だ。身分も種族も問題では無い。君も礼など必要ない」


「は、はい」


「さて、彼女の言っていることが本当であるならば、これで解決ということでいいのではないのか?それともまだ何か問題でもあるのかい?」


「い、いえ。ございません……」


「ここは多くの国の者が集まっている場所だ。アルクス王国の品位を落とすような真似は、くれぐれも慎んでくれたまえ」


 金髪の男が冷たい笑顔を湛えて肩をポンと叩くと、男は体を震わせてその場から退散する。


「あ、ありがとうございます!」


「……ありがとうございます」


 ケイが勢いよく頭を下げると、シルもワンテンポ遅れて、一応はそれに倣う。

 男は頭を下げるシルたちを一瞥して、再び退散した貴族の方へ視線を向ける。


「なに、礼を言われるようなことではないよ。それよりも貴族の子息令嬢の中には、ああいった選民思想を持ったものが珍しくない。君たちのように平民が学園に通うとなれば、似たようなことが起こるかもしれないから、十分に気をつけるといい。とは言え、彼も甘やかされて育てられた結果だろうから、本人よりも親の方が、より罪深いと思わないかい?」


「さあ……私には関係の無いことですから」


 艶のある流し目でシルを見る男に、周りにいた女性たちから、うっとりとした声が漏れる。しかし、その目を向けられた本人は、いささかの感情も乗せられていない言葉を返すだけ。


「それよりも先程の魔法、見せてもらったよ。君は本当に獣人なのかい?」


「……」


「ああ、私としたことが自己紹介もせずに、不躾だったね。私の名はエドワード・アルクスだ」


「アルクス……」


「ああ、こう見えてアルクス王国の王族、第二王子ということになるね」


 男が纏う雰囲気は、決して『こう見えて』などと卑下するようなものでは無い。何よりエドワード自身がそれを自覚しながら言っているように思えて、シルは僅かな引っ掛かりを覚える。とは言え、さすがに王族に名乗られたとあっては、返答しない訳にはいかない。


「……シル・フォーレスタです」


「ケ、ケイ・ウィンバリーと申します」


「……フォーレスタ……か」


 二人の名を聞いたエドワードが、顎に手を当て、しばし思索をめぐらせると、シルだけに聞こえるように耳元で囁く。


「英雄のご両親はお元気かい?」


「っ?」


「ふふっ、その反応で十分だよ。そうか、そうか。やはり、あのお二方のご令嬢か。どうやら、養女がいるという噂は本当だったようだね」


 シルがカマをかけられたと気づいた時には、もう遅かった。

 アルクス王国はアルとセアラの出身国でもあるため、必然的に二人のことを知る人間が多い。それゆえに、現在の二人に関する情報は、他国よりも厳しく管理されており、いかに王子といえど、断片的な情報しか持っていなかった。

 特に二人に養女がいるという情報は、シルが聖女であるということもあって、直接面識がある者以外には知られていない。当然エドワードも例外ではなく、せいぜい、いるらしいという確度の低い情報しか掴めていなかった。


「……両親のことについては、他言無用でお願い致します」


「ああ、もちろんさ。しかし、そうか……貴女が通われるとなると、楽しい学園生活が送れそうです」


 エドワードは人当たりの良さそうな笑みを浮かべるが、シルにはそれがどことなく不自然なものに思えた。


「所詮、私は平民の娘。いくら身分差のない学園と言えども、一国の王子ともあろうお方から、そのようなお言葉を賜る身分にございません。万が一、学友として机を並べることになろうとも、深く関わるようなことなどないでしょう。それでは失礼致します。行こう、ケイ」


「あ、うん……」


 シルはエドワードに対し、まるで拒絶を示すかのように、感情を込めずに、平民として当たり前の返答をする。そして、相手の反応を待つことなく、訳が分からず呆然としているケイの手を引いて、逃げるようにその場を後にした。


「おやおや、嫌われてしまったかな?しかし学園に来たのは正解だったみたいだな。同級生に英雄の娘……ようやく私にもツキが回ってきたようだ……ふふ」


 エドワードは周囲の誰にも聞こえぬように独り言つと、抑えきれない笑いを漏らすのだった。

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