第4話 私を聖女と呼ばないで

「すみませんでした。あの……私は失格でしょうか?」


 涙をこらえながら、深々と頭を下げるシルが、震えた声で試験官へと尋ねる。しかし彼女は問いかけに答えることなく、シルの回答用紙を黙々と確認する。そして最終問題の回答欄をじっくりと見てから、ようやくその鋭い眼光をシルへと差し向ける。既に他の受験生は実技試験会場に移動しており、教室には二人を残すのみ。


「……あなたがシル・フォーレスタで間違いないのね?」


「……はい、そうです」


 今更名前を聞かれることに、多少の違和感を感じながらも、それを黙殺して反省の態度を示すシル。次に試験官から発せられる言葉で自分の命運が決まると思うと、まるで死刑宣告を待つ被告人のような心持ちになっていた。


「つ、つ、つまり、それって、ええっと、あ、あのアル・フォーレスタとセアラ・フォーレスタの娘、ということよね?」


「ふえ?は、はい。血は繋がっていませんが、確かに私の両親です……二人をご存知なんですか?」


 試験官から思いがけない言葉が発せられると、シルは素っ頓狂な声を出してしまい、慌てて取り繕って質問をする。とりあえず目の前の女性が、かなり興奮していることは理解出来たが、シルの頭の中はクエスチョンマークで満たされていた。

 そんな気持ちが伝わったのか、試験官が落ち着きを取り戻して説明を始める。


「ご、ごめんなさいね、ちょっと興奮してしまったわ。あの日、『ソルエール大戦』の時に私は『世界の英雄』アル様と『戦場の女神』セアラ様、そしてあなたに助けられたのよ」


「あ、ああ……そうだったんですか……」


 先程までの凛々しかった雰囲気は何処へやら、頬を赤らめてうっとりとした表情を浮かべる試験官を見ながら、シルは四年半前の戦場を追想する。当時一つの国を乗っ取り、地上の全てをその手に収めようと、世界会議が行われていたソルエールに侵攻してきた魔族との戦い。

 アルはその戦いで見事に魔族を打ち倒し、世界を救った英雄と呼ばれるようになった。そしてシルはその戦いで聖女として、父と一緒に戦った。


「ええ、もちろんあなたが聖女と呼ばれていたことも知っているわよ」


「あ……すみません、それは内緒にしておいてもらえると、助かるんですが」


「もちろん分かっているわ、あなたたち家族のことは決して荒立ててはいけない。口外してはいけないというのは、あの場にいた全ての者の共通認識ですもの」


「ありがとうございます。あの……それで私は失格になるんでしょうか?」


 シルが再度、最初の質問を繰り返すと、試験官は申し訳なさそうに平謝りしてくる。


「ああ、ごめんなさいね、そんなつもりで呼んだんじゃないのよ。あなたが違反行為をしていないのは、そのペンダントが反応していないから分かっているわ。あの転移魔法を見て本当に本物だと思ったから、ついつい声をかけたくなってしまっただけなのよ。じゃあ次の会場に案内するわ」


「あ、ありがとうございます」


 シルはほっと胸を撫で下ろすが、つまりはここの教師たちの殆どは、自分のことを知っているということに気付く。秘密保持という観点からすれば望ましいと言えなくもないが、普通の学園生活には程遠くなりそうで、気付かれないように嘆息する。


 シルと試験官の女性は連れ立って、次の試験会場へと向かう。

 女性はカーラという名前で、今年で五年目の二十三歳。大戦が起きた日は、この学園の先生になって一年目とのことだった。

 学園の教師陣は有事の際の戦力となっており、カーラも例外ではなかった。しかし、いくら魔法分野のエリート街道を進んできたとはいえ、彼女にとっては初の実戦。そして、その戦場はとてつもなく過酷なものだった。

 カーラは自分も知っている多くの人が、傷付き倒れていくのを目の当たりにすると、いつしか恐怖のあまり身動きが取れなくなってしまった。

 極めつけは、魔界の生ける災害ともいわれるドラゴンの地上への顕現。目の前に迫るそれの圧倒的な暴力に、為す術もなく蹂躙され、肉塊へと変えられていく友軍たち。彼女を含め、その場にいた全ての者が死を覚悟した。そんなときに一刀の元、ドラゴンを切り伏せたのがアルだった。その後はセアラが張った『完全障壁イージス』に守られながら、魔族と戦うアルとシルを見ていたということだった。


 一連の出来事を顔を上気させながら、これでもかとばかりにアル、セアラ、シルを褒めそやすカーラに、シルは居心地の悪さを感じて、作り笑いを浮かべていた。


 『聖女の力』それはシルにとって、降って湧いてきたようなもの。決して自分で努力して勝ち取ったものではない。そしてその力は、彼女の人生を大きく狂わせることになった。


 黒髪の妖精族ケット・シーの歴史上、唯一無二の銀髪のケット・シー、それがシル・フォーレスタ。呪われた子として、里を追われた彼女は、そのショックで記憶を失ってしまう。アルとセアラに引き取られたことは得難い幸運であったが、それは単なる結果でしかない。


 そして『ソルエールの大戦』での最終局面、シルは当時十歳にして、四つの魔法を同時に行使するという離れ業をやってのけた。二つ同時に行使するのでさえも、魔法学園の教師でも困難な芸当。その両親をも超える卓越した技量は疑いようも無く、十分に称賛されるべきものだった。しかし周りが褒め称えるのは、やはり聖女の力ばかり。


『聖女の力ってのはすごいんだな』


『聖女様は私たちとは違うのね』


『聖女様って言うだけあって、魔法が上手いんだな』


 聖女だからすごい、魔法が上手い、自分たちとはスタート地点が違う。その言葉に悪気が無いのはシルにも分かっている。だからこそ、以前はそれを気にすることなく過ごしていた。

 だが、成長するにつれ、いつしかシルはその言葉を素直に受け取れなくなっていた。


『お前がすごいのは聖女だからだろう?』


 全ての言葉が、そんな風に言っているように思えた。

 聖女だから、聖女だから、聖女だから……どこへ行ってもついてまわる悪意のないその言葉は、シルにとってはまるで呪いの言葉。彼女の心を徐々に、確かに蝕んでいった。


「ところでご両親はソルエールに来ているの?」


「え?あ、は、はい。師匠……じゃない、学園長のところに行くと言ってました」


 沈みかける心の内を決して悟られぬよう、自然に振る舞うシル。ちなみにカーラはシルが本物の聖女だと分かると、様をつけたり敬語で話そうとしてきたので丁重にお断りしていた。受験生が試験官から敬語で話されていたら、妙な疑惑が生まれかねない。


「あ、あのね……もし、もしよかったらなんだけど、会わせてもらえないかしら?どうしても直接あのときのお礼を言いたいの」


 なかなかにずるい人だとシルは思う。ただ会いたいだけなら断ることも出来るが、お礼をしたいと言われてダメですなど、二人の意見を聞かずに言えるはずもない。


「多分、父も母もいいって言うとは思いますけれど……興奮して騒いではダメですよ?」


「もちろん!約束するわ」


 その興奮具合からして、おそらくその約束は果たされないだろうと思いつつも、シルは渋々許可を出す。多大な不安を抱えながら、鼻歌を歌って浮かれているカーラを横目に校舎を進んでいくと、やがて魔法の訓練場に出る。そこは広大な砂地の広場で、その周りには高い壁がそびえ立っている。それが学園を囲む外壁だということは、初めてここに来る受験生たちにも、ひと目で分かった。


「あの外壁……魔法障壁が張ってあったんですね」


 外側から見た際には分からなかったが、学園を取り囲む外壁の内側には、魔法障壁の術式が刻まれていた。


「驚いたわ……まさかこの距離から見て分かるなんて……説明するまでもないと思うけれど、魔法は暴発して周りに被害を出すことが一番怖いからね。安全面は一番力を入れているのよ」


 すっかり自分の横を定位置にして説明するカーラに、シルは怪訝な目を向ける。先に到着していた受験生たちからは、かなり注目を浴びてしまっていた。


「あの……カーラ先生は他のお仕事はいいんですか?」


「大丈夫。仕事するよりも、ここでシルさんの魔法を見た方が有意義だから」


 満面の笑みを浮かべながら言うカーラは、もはや梃子てこでも動きそうにない。何を言っても無駄と悟ったシルは、諦めて前を向く。


「シル、大丈夫だったの?」


 目敏くシルを見つけ、不安そうな表情で駆け寄るケイ。


「あ、うん、大丈夫だよ。ちょっと先生とお話ししてただけだから」


「そっか、良かった!」


 シルの手を取り、ケイが笑顔を弾けさせる。その様は先程の言葉が、上辺だけのものでは無いと分からせるには十分なものだった。

 友達になろうと言ったものの、たまたま席が隣になっただけの自分のことを心配してくれるケイに、シルは心がほわりと温かくなるのを感じていた。そしてそんな彼女と一緒に合格できたのなら、存外に楽しい学園生活が送れるかもしれないとも思う。気付けばシルの頬は、微かに緩んでいた。

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