妹のメランコリー

 その日は、なんだか妹の睡のテンションが低かった。


「あぁ……お兄ちゃん、おはようございます」


 どうにも睡が元気を出していないと俺の方も調子が狂ってしまう。睡に何かあったのだろうか?


「なんかあったか?」


「へ!?」


「ああ、いや、なんか落ち込んでるみたいだったからな」


 睡はため息をついてから俺に滔々と語る。


「実は……昨日レスバで負けまして……完膚なきまでに負けてしまったので落ち込んでいるんですよ」


 珍しいな、負けを認めなければ負けじゃないというスタンスの睡が負けを認めたのか。素直に負けを認めたことは立派なことだと思うが落ち込まれてもこちらも困ってしまう。


「一体何について議論したんだ?」


「ヒロインが実妹である必要があるか、です」


 相変わらずしょうもない話だった。いつものことだが付き合いきれないぞ。


「いつも通りだな、負けたのか……」


 睡は机をバンバン叩きながら言う。


「そうなんですよ! ソイツは義妹でもいいし、なんなら妹的なキャラでもいいじゃんなんて神をも恐れぬことを言うんですよ! ふざけてるじゃないですか!」


 ものすごくどうでもいい、というかコイツのやっているソシャゲは全部実妹だっただろうか? だとしたらどういう家族関係になっているのか興味のあるところだ。


「で、なんて言われたんだ?」


「愛情に血縁は関係ないと、そう言ったんですよ!? 私はそれに反論したんですが住人が皆ソイツに同意するんですよ!?」


 そりゃあそうだろう、性癖の中でも特殊な方のシスコンに正論は効く。


 頭痛がしてきそうな理論を展開する妹に、俺はアスピリンでも飲もうかななどと真面目に考え始めていた。


 睡曰く、『血は水よりも濃い』、『血縁は消えない絆』、『古事記にも書いてある』などと言いだしたあたりで真面目に聞くのをやめた。というか古事記にも書いてあるというのは書いてないことについて言う時に使うものだが古事記にはマジで妹が出てくるからな?


「諦めろよ、絶対に正論には勝てないって。負けを認めたのは相手の意見を受け入れたんだろう。一応人として成長したって事じゃないか」


「お兄ちゃんが褒めてくれるのは大変嬉しいですが私もここだけは譲れないんですよ……」


 妙なところで頑固な妹だった。実妹主義はなんとも窮屈ではないだろうか? 何か実妹だけのメリットがあるのだろうか?


 俺はいくつかのソシャゲをプレイしたが、実妹のみのものは少なかった、というか実妹がヒロインやっている方が珍しいだろう。


「なんでそんなに実妹にこだわるんだよ?」


 睡は頬を膨らませながら言う。


「お兄ちゃんはロマンといういう物を分かっていません! 妹は貴重なのですよ!」


 貴重かどうかはともかくとして、血縁故の絆的なものでも感じているのだろうか? 俺には多分理解できない範疇の悩みなのだろう。


 この議論には永久に決着が付かないだろうなとは思った。睡が負けを認めればそれで終わりだがコイツは絶対に負けを認める気は無いだろう。


「そこまで実妹が重要かな? 別に義妹でも絆的な何かがあればいいんじゃないか?」


 睡はショックを受けた顔をして俺にまくしたててきた。


「お兄ちゃん! 実妹は義妹より貴重なのですよ! 昔のあの手のゲームでは実妹が禁止だったのですよ! 今実妹が解禁されたということは世間に実妹が求められていることの証左なのです! つまり皆実妹が禁止されているから義妹に逃げていただけで本心では実妹を求めていたのです!」


「そんな一部界隈の話をされても……」


 まあそういう界隈があることは知っているのだが、それをリアルに持ち出すと修羅場一択のような気がする……


「人の本能に訴えかける業界でそうだったということは人は本心では実妹が欲しかったということでしょう!」


 本能とは随分と業の深い物だと思う。人は誰かを求めているが、それがたまたま妹だったということもあるだろう、あるいはそれを恋人にしたいと思うこともあるのかもしれない。しかし欲張りすぎはいいことでは無いだろう。


「お前が妹好きなのはいいけどさ、世の中には博愛主義者だっているんだぞ? 誰にでも愛情を注ぐことができるのは随分と結構なことだと思うがな……」


 俺にはできないことだ。誰でも愛情を傾けられるほど俺は人間ができていない、今の俺には……


「お兄ちゃんは博愛主義者なんですか?」


「いや、俺には目の前のことだけで精一杯だよ」


 目の前にいる手のかかる妹、俺にはコイツの面倒を見るので精一杯だ。


「にへへ……そうですか……お兄ちゃんは私に精一杯ですか……フフフ」


 締まりのない笑顔を向けてくる睡。どこか危なっかしい性格をしているので放っておくこともできないんだよな。


「お前のそういうところが目が離せない原因なんだよなあ……」


「なるほど、私が変わらなければお兄ちゃんがずっと私につきっきりでいてくれると……」


 そういう事じゃないんだよなあ……自立をして欲しいという意味で言ったんだが、どうにもコイツには常識というか意図を汲み取る力が足りないらしい。


「まあなんだ、匿名掲示板で争いになるくらい構わないがIDが固定の場所でやるんじゃないぞ」


 俺は元々の問題について解決法を提示する。匿名掲示板で諍いがあっても翌日になれば忘れ去られるのが日常だ。あの界隈では争いが起きるのが普通になっているから住人も慣れたものだ。


「つまりTwitterや顔本でそういうことをやるなって話ですか?」


「TwitterはともかくFacebookでは絶対にやるなよ? あそこアカウントの削除もクソ面倒なんだからな?」


 あのサイトのアカウント削除の手間が異様なほどかかるのはどうにかならないのだろうかと思えてならない。そりゃあトラッキングを防止されるだろうというくらいにしつこくCookieやフィンガープリントを作り出している。隙あらば情報収集するのは迷惑極まりない。


 しかも実名で登録しろときている。炎上したら特定班がまず漁るのがそこだろう。それだけのリスクのあるSNSだ。


「じゃあ、もう寝ろ。一晩寝れば今日のことはもう過去のことになるよ。明日は今日じゃないんだからな」


「そうですね、私もお兄ちゃんが私のことを考えてくれてるだけで満足するべきなのかもしれないですね」


 そういって部屋に帰っていく睡を見送りながら俺は一人でコーヒーを飲むことにしたのだった。


 ――妹の部屋


「ふふふ……でゅふふ……お兄ちゃんが私のことを考えてくれてますねえ」


 大変嬉しいことです。他の誰よりお兄ちゃんが私を見てくれるほど嬉しいことはありません。


 私は眠ろうとしたのですが、今日のお兄ちゃんが妙に優しかったことを思い出して、今日が明日になってしまうことがどうしようもなくもったいなく思えるのでした。

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