その日のコーヒーは普段より苦かった

 俺はコーヒーメーカーに豆を入れて、スイッチをオンにする。いつも通りのルーチンワークだが、今日はひと味違う。


 コーヒー豆を二倍入れている。それというのも眠いのが悪いんだ。ゴリゴリと豆を挽く音も心なし大きいような気がする。朝だというのに昨日の眠気が一向に取れておらず、カフェインを大量に欲しくてしょうがなかった。


「あ、お兄ちゃん! コーヒーですか? 私にもください!」


「別に構わないが……苦いぞ?」


 この甘党の妹に飲めるとは思えなかった。俺でさえ砂糖を入れようと思っているくらいの濃さなのに、睡が飲めるだろうか?


「ああお兄ちゃん、私の分には砂糖多めにしてミルクは練乳でお願いしますね!」


 どうやら睡はとことん甘いものが好きらしい。俺もさすがに練乳を入れれば甘くなるだろうとは思うが、そこまでしてコーヒーにこだわらなくてもいいんじゃないだろうかとは思った。


 コポコポという音が止まり、ピッとドリップ終了の音がする。俺はマグカップ二つに注いで、片方にはスティックシュガーを三本と、イチゴ用であろう練乳を大量に入れた。


 ついでに自分のやつにも砂糖を一本入れた。さすがにこの量を細かくミルで砕いた以上苦いのは当然だ。俺もコーヒーは好きだがここまで苦いとブラックでは飲めない。


 テーブルで待つ睡にマグカップを持って行った。お望み通りの苦さと甘さが最高に強い液体を睡に渡した。


「ではお兄ちゃん、乾杯!」


 普段はそんなことをしないくせに柄でもないことを仕様としている。俺も退屈していたので付き合った。


「乾杯」


 マグカップを突き合わせてから、くいっとコーヒーを飲む。砂糖一本ではどうしようもない苦味が口の中に広がる。苦味と濃いカフェインで思考力が戻ってくる。


 ふと、睡の方を見てみると渋い顔をして飲んでいた。だから苦いって言ったのにな……


「お兄ちゃん、今日のコーヒーは苦いですね?」


「ああ、豆をたっぷり入れたからな」


 睡は自分で言った手前、飲まないわけにもいかないらしく、必死に飲んでいた。


 俺はちびちびと飲みながら、窓の外の天気を眺めていた。雨が降っている、雨音はASRMにぴったりで、心地いい音を立てていた。


「雨……だな」


「そうですね、雨の日はお兄ちゃんと二人きりって感じで好きなんですがね?」


「そうかい、俺は雨の日は憂鬱なんだがな……」


 湿っぽいのは好きじゃなかった。もうすでに夏を過ぎてカラリと晴れた天気が気持ちの良い季節になっていた。


 なんともスッキリしない天気の中でメランコリックな午後を過ごしていた。


「お兄ちゃんは晴れの方が好きなんですか?」


「ああ、少なくとも傘では足下が濡れるしな、結局傘に変わる防水服でも出来ない限り外出が面倒になるんだ」


 傘を差しても風が吹けば下半身に雨が当たり、水たまりを踏めばズボンの裾が濡れてしまう。とかく雨の日というのは難儀な物だ。


 俺はコーヒーを飲み終わったのでポケットからサルミアッキを取りだして一粒口に放り込む。この味にもすっかり慣れてしまった。


 一方、睡の方はコーヒーになかなか苦戦しているらしく、砂糖と練乳の力を使っても限界はあるようだった。


 睡は3分の2くらい飲んだところでマグカップをテーブルに置いた。


「お兄ちゃん、さすがにこれは濃すぎませんかね……?」


「俺もやりすぎたと思ってるよ……」


 豆が多ければ美味しいコーヒーができるはず、そんな脳筋仕様で作ったコーヒーの味は普段の物に負けていた。


「そう言えばお兄ちゃん、今日はAmazonで頼んでた新しいコーヒー豆が届くのですが、無事今日中に届くと思いますか?」


 現在テレビではテロップで俺たちの住んでいる地域に大雨洪水警報が出ていた。


「どうだろうな……あと一日分くらいはちゃんとストックがあるぞ?」


 睡は全く悪びれず言った。


「まあ遅配ならクーポンくれますし別に全然構わないんですけどね」


 詫びクーポンが遅配されるともらえたりする。まあそれを狙って注文するわけではないが、配達予定日に遅れても何ももらえないよりよほどいいだろう。


 俺は倫理観がぶっ飛んでいるので宅配業者の迷惑など知ったことではない、どうやら睡も同じスタンスのようだった。


「遅配もあるから雨は好きじゃないんだよな……」


「お兄ちゃんは気を張りすぎですよ? もうちょっと大目に見てあげればいいじゃないですか! まあもちろん発送業者に星一を付けるわけではありますがね」


 似たもの同士という言葉が頭に浮かんだ。結局対処法こそ違えどロクな考え方をしていないのは兄妹揃って同じようだった。


「睡、今日のコーヒーはもう諦めるか?」


 手元に僅かに残っているコーヒーを見て尋ねる。


「いえ、お兄ちゃんが淹れてくれたんだから飲みますよ!」


 そう言うとグビリとコーヒーを一息に飲み干した。それからあまり気分の良さそうな顔をしていなかったが、やはり睡は俺の淹れたコーヒーならちゃんと飲みきるのが基本姿勢のようだった。


 コーヒーメーカーを洗いながらついでに睡のカップも洗う、糖分を大量に入れたのでよく洗っておかないとべとついてしまう原因になりそうだった。


「お兄ちゃん、窓の外も暗くなってきましたね」


「そうだな」


「今日中にコーヒー豆が無事届くと思いますか?」


「届くんじゃないか? 日が傾いたのだって真夏に比べて随分と早くなったからだろう」


 俺たちはコーヒーブレイクあとの気楽な時間を過ごしていた。最近はコーヒーを淹れる時に豆を多めにしていたが、今日のがその限界点のようだった。あまりにも濃いコーヒーは目が覚めても味が良くないと理解したのだった。


 時計は七時を指している。


「お兄ちゃん、私はコーヒー豆はもう届かないんじゃないかと思ってるんですが、お兄ちゃんはどうです?」


「こういうことはよくあるんだよ、どうせ最終便になってるんだろう。日も暮れたし夜になってから届くだろうな」


「賭けますか?」


「俺は賭け事は嫌いでね」


 そんなやりとりをしているとドアチャイムが鳴った、睡はさっさと玄関に向かっていった。帰ってきた頃には段ボールを一箱抱えていた。


「どうやらお兄ちゃんの方が正しかったみたいですね……」


「そんなものだよ」


「しかしここまで到着が遅いのは悪意を感じますね……」


「睡、有名な格言があるぞ」


「……??」


「無能で片付くことに悪意を見出すな、つまりはそういうことだよ」


 どこかの誰かさんの言葉だったが発言者が思い出せなかった。


「お兄ちゃんもしれっと無能扱いしているあたり酷いと思うんですがね……」


「さて、新しい豆も届いたし、今ある豆をさっさと使うためにもう一杯飲むか?」


 睡はビクリとして言った。


「いえ、ご遠慮しておきますよ。私も眠れなくなりそうなのでね」


 そんなやりとりをしながら夜は更けていった。結局古い方のコーヒー豆は翌日にまとめて使われるのだった。


 ――妹の部屋


「う゛ぇえええ……」


 さすがに……さすがにあの苦さは反則でしょう!


 私はその日のコーヒーの苦さに悶絶していました。砂糖でもミルクでも消し去れない苦さが口の中に残って私は何度も口をゆすぐのでした。


 その日、カフェインたっぷりのコーヒーでなかなか寝付くことができないのでした。

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