妹の資金の一端

「はぁ……」


 朝食時、スマートスピーカーから流れるニュースを聞きながら睡がため息をついた。基本的に世の中の流れなど気にしないと思っていたので少し奇妙に感じた。


「どしたー? 大したニュースじゃないだろ?」


 その時ニュースでやっていたのは企業への損害賠償請求が認められたとかなんとかの、言ってはなんだがよくあるニュースだった。被害者には申し訳ないが俺からすれば『知らんがな』の一言で終わってしまうような何でもないニュースだ。


「いえね……賠償請求された会社なんですけどね……持ってるんですよ……」


「持ってるって……商品をか?」


「だったらため息なんてつくわけないでしょう! 株ですよ株! ああもう!! これだけで一体いくら下がるのやら……」


 えぇ……被害者に可愛そうとか言う気持ちはないのかよ……俺にも無いけどさ……


「つーか、株なんて持ってたのか……」


「そうですよー……配当があると多少は生活が楽になりますからね。というかお兄ちゃんに渡してる仕送りだって一旦私が受けてから投資に回して増やした奴ですからね? お兄ちゃんにだって無関係じゃないんですよ?」


「人の金を流用するなよ!」


 ひどい、何で俺に被害がおよぶような運用をするんだ。自分の分だけでやれよ……とにかく俺にも影響することであることは分かった。


「まあ大した賠償でもないですし、配当がもらえればトントンくらいなんですけどね、でもやっぱムカつくんですよ」


「口が悪いぞ、一応被害者がいるんだからな?」


 人の不幸に陰口をたたくのは良くないことだろう。まあ俺の金も多少は溶けてしまうだろうことなのであまりいい気分では無いというのが正直なところだ。


 人間というのは被害者に同情することはままあるが、大抵それは自分と関係が無いことが前提の出来事の話だ。ほとんどの人間は自分が利害関係に絡むと客観的な正論など通じない。自分の取り分が幾らかが全てになってしまう。当然ではあるがそれはなんだか申し訳ない気もする。


「ちなみに今回の件で少なくとも(ピー)円以上の含み損が出ますね」


「ファッキン!!!!」


 その金額は高校生にはあまりにも重い数字だった。


「ほら、お兄ちゃんだってムカついてるじゃないですか? 実際に被害を被らないこと前提の優しさなんてそんなものですよ」


 あまりにも冷酷な言い方だったが俺も正直ムカついたのでそれを否定することはできなかった。人間の自分勝手さには我ながら驚き呆れてしまう。


 メンタルを安定させるためにサルミアッキを一つ口に放り込んだ。苦味に意識を奪われて怒りが少しやわらぐ。冷静になれ、悪いのは企業だ、被害者を悪く言うようなことは無いはずだ。


 苦味が思考回路を整理して多少冷静になった。とはいえ、自分に被害がおよぶとなると被害者に同情する気が薄れてしまう。人間はこうも薄情になれるのかと自分でも驚いてしまった。結局のところ優しさなどと言うのは相手より立場や身分、成績などが優位でなければ持てない感覚なのかもしれない。


「ままならないものだな……」


「お兄ちゃん、とっておきのハーブティーを開けましょう。リラックス効果があるやつですよ?」


「平気なのか?」


 さっきまでイライラを隠そうともしていなかった睡が途端に俺に優しげな視線を向けてくる。君子豹変するとは言うがコイツは君子ではないと思っているのでその変わり身の早さには驚かされる。


「ええ、なんかお兄ちゃんがイラついているのをみたら申し訳なくなってきました。私にもお兄ちゃん以外への慈悲の心が多少は残っていたようです」


「もう少し心を広く持てよ」


「お兄ちゃんだって大概でしょう?」


 はあ……なんだかニュースが馬鹿馬鹿しく思えてきた。今日は休日なのでいくら下降材料があれど実際に下がるのは平日になるはずだ。確か株は株式市場が動いていなければ実際には値動きしないはずだったような気がする。


 睡はテーブルを離れてシンクの下から缶を取りだして急須に茶葉らしきものを入れている。俺はニュースが意外と身近に影響のあることもあるのだと理解してなんとも言えない渋い気分になってしまった。


「どうぞ」


 睡が俺の前にティーカップを置く。いい香りが漂ってきた。


「落ち着きますよ? なんてハーブだったかはすっかり忘れてしまいましたがね」


「そうか……もらうよ」


 俺は謎のハーブティーに口を付けると優しげな風味が広がった。確かに落ち着く香りだった。意識が揺らいでぼんやりとしてくる。いつもなら感情が鈍るのは嫌うところだが、今回は怒りの感情が鈍るので悪いことではないと思った。


 コクリと俺と睡はハーブティーを飲んでいく。いつの間にかスマートスピーカーは沈黙してニュースを流すのをやめていた。そしていつも通りの平和なティータイムが進んでいった。


 このハーブがなんなのかはさっぱり分からないがリラックス効果は確かに感じられた。


「お兄ちゃん、その……ごめんなさい……運用に失敗しました」


 睡の静かな謝罪があったが飲み物のせいかそれほど怒りのようなものは沸いてこなかった。


「いや、いいよ。俺が前借りした時だってその金から出してたんだろう? 利益だけもらうなんてあまり褒められたことじゃないからな。リスクだって込みでの運用だったんだろ? 起こりえることは必ず起こるって有名な法則があるしな」


 誰が提唱したものだったかは記憶が曖昧だが『最悪に備えよ』と言っていた人がいたはずだ。世の中は碌でもないことに溢れている。だから今日もそんな貧乏くじを引いたってことなのだろう。


「そうですか……正直なところ……お金の問題じゃなかったんですよね」


 睡が奇妙なことを言う。


「金の問題じゃない? じゃあ一体なんの……?」


 睡は俺の方を静かに見て言った。


「お兄ちゃんが怒ろるんじゃないかってことですよ、それが心配の全てで多少の損失は諦めてますよ。自分だけのことなら別にいいんですけどね……お兄ちゃんを巻き込んだのが申し訳なくって……」


 睡は絞り出すようにそう言った。どうやら俺のせいでプレッシャーを感じていたらしい。



「良い日があれば悪い日もあるだろ。世の中なんてそんなものだよ」


「ありがとうございます」


 そう言って黙り込んでしまったが、俺は確かに許したし、それからしばしの平和なティータイムが続いていったのだった。


 このハーブが一体なんなのかは俺には想像も予想も出来なかったが確かに心地よい日々を与えてくれるもので感謝を覚えるのだった。


 その日、些細なニュースと多少の波乱はあれど俺たちは確かに日常を過ごしていたのだった。


 ――妹の部屋


「うぅ……お兄ちゃんにご迷惑を……恥ずかしいです……」


 私はどうしようもない無力感にさいなまれていました。お兄ちゃんは許してくれましたが一体どう責任を取ればいいのでしょう。


 私は延々と考えましたが、結局、結論は『お兄ちゃんを裏切らないこと』というシンプルな結論しか出てこなかったのでした。

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