塩化アンモニウムを食す
パクリ……美味い……モグモグ……美味い……
俺が飴をなめながら水を飲む、さすがにこれにコーヒーを合わせる気にはならない。というか一気飲みが可能なものでないとしょっぱさで口の中がやられる。
「お兄ちゃん? コーヒーを飲まないんですか?」
俺がお菓子タイムを優雅に楽しんでいるところへ睡が割り込んでくる。
「ああ、コーヒーにも合うものと合わないものがあるからな」
「でも水ですか……水がそんなに合うものってありますかね?」
「塩っぱいものとかは水一択だぞ。甘いものも苦いものも合わないと思ってる。あとこれを食べた後だと水が甘く感じる」
「水が……甘い?」
睡は俺を奇妙な目で見ている、もっともだろう、水の味なんて基本的に気にしないのだから。
「お兄ちゃん、これは砂糖水じゃないですよね?」
「飲んでみるか? タダの水だぞ」
「では一口……」
睡はジョッキ一杯の水を一口飲んで確かにそれが水であることを確認した。
「ふむ……水ですね」
「だろう……もきゅもきゅ」
俺は二粒目を箱から取り出し口に放り込む。クスリと塩辛さのハーモニーがなんとも絶妙な味を奏でる。塩化アンモニウムを食品にしようと考えついたやつは天才じゃないだろうか?
「お兄ちゃん、さっきから何を食べてるんですか?」
「ん? ああ、これ」
手に持っている箱を睡に見せる、『見た目は』お洒落な箱に入ったグミキャンディーだ。パッケージには数カ国の言語で成分表が書かれているが、残念ながら日本語は入っていない。
「なんです、これ? ええっと……さるみあっき?」
「そう、塩っぱいから水が欲しくなるんだよ」
「へぇ……お兄ちゃん、一粒もらっていいですか?」
俺は逡巡してからそつないお断りの言葉を考える。どうせコイツに一粒食べきる根性はないに決まっているのだから食べる前にお断りしておくのが人情ってものだろう。
「やめとけ、不味くはないが人を選ぶぞ」
そう、不味くはないのだ。日本の感覚で食べるときついものがあるが異国情緒を感じるには差し支えない物だ。欲しければ自分で買ってくれとしか言いようが無い味だった。
「でもお兄ちゃんは食べてるじゃないですか! 私にも一つくださいよ!」
このままだと粘りそうなので睡に箱から一粒をつまんで渡す。睡はそれをためつすがめつして考えていた。
「これ……美味しいんですか?」
「『俺にとっては』美味しい、それがお前にとってどうかはまた別だがな」
睡は少し訝しんでからもう一度聞いた。
「お兄ちゃんにとってはどうかはともかく一般的にどうなのかが気になりますね……」
俺は黙って頷いておいた、否定も肯定もしない曖昧な答えを表情だけで返しておいた。やはり怪しいと思うのかドロップの匂いを嗅いでいた。多少はそのアレさが分からなくもないが、食べてみないとどんな味かは分からないものだ。
「お兄ちゃん、なんかこの飴ドクペよりも薬みたいな匂いがきついんですけど……」
「じゃあ要らないかな?」
睡にそう言うとサルミアッキの乗った手のひらを引っ込めて食べる意志を示した。
「お兄ちゃんが食べてるものなので気になります! 食べてあげようじゃないですか!」
そう宣言してサルミアッキは睡の口の中に消えていった。直後、睡は涙目になりながらその奇妙な飴を噛みしめていた。
「お兄ちゃん……なんですかこれ!? 何をどうすればこんな味が出るんですか!?」
泣きそうにはなりながらもなんとか吐き出さない程度には食べることが出来ているようだ。
「ただのキャンディだよ、ちょっと塩化アンモニウムとリコリスが入ってるだけでな」
「リコリスが何かは分かりませんけど塩化アンモニウムって明らかに食品ぽくない響きなんですけど!?」
俺は睡の肩にポンと手を置いて言う。
「塩だって正式名称は塩化ナトリウムだぞ? ちょっとナトリウムがアンモニウムに変わったくらいどうってことないだろ?」
「お兄ちゃん! 水……水をください!」
そう言ってジョッキの水をグイグイと飲み干した。どうやらサルミアッキは完食を諦めて水と一緒に流し込んだようだ。
「ぷはー! お兄ちゃん! 情報開示をちゃんとしてくださいよ!? これを完食するとか正気ですか!?」
「フィンランドの人に失礼だなお前」
さらっとディスっているが北欧じゃあ名物なんだぞ……美味しいじゃないか……美味しいよな?
「お兄ちゃんの味覚を理解するのは大変ですね……」
俺は素直な言葉を睡にかける。
「気にしなくても良いんじゃないか? 俺は睡の作った料理好きだぞ?」
「お兄ちゃん基準で好きって言うのが問題なんですがねえ……」
俺基準で美味しいというのがまるで間違っているような言い方だな。俺は何も間違っていないぞ、失礼な話だ。
「まあ今日の夕食もちゃんと力を入れて作りますから期待しておいてくださいね! 後そのサルミアッキは私には早すぎたようです」
そう言う睡の敗北宣言とともに夕食が作られていくことになったのだった。
睡の名誉のために付記しておくと、その日の夕食は確かに美味しいものだった。お世辞でも何でもなく俺が好きな味をしていた。睡からすればその味が信用できないという話なのだが……
「美味いな」
「でしょう! 私の渾身の手料理ですからね! 美味しいのも当然です!」
満足そうにそう言って夕食が進んでいくのだった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
睡は食事が終わってから俺に質問をしてきた。
「どうですかお兄ちゃん! あのクソマ……独特な味のサルミアッキを参考に大分塩気を増やしたんですけど美味しかったですか?」
「ああ、とっても美味しかったぞ」
「そうですか! それは何よりです!」
睡は楽しそうにそれを聞いてからお風呂に向かっていったのだった。そして俺はサルミアッキを食べた時と同様にいつもより多めの水分が必要になるのだった。
――妹の部屋
「私の料理が! あめ玉に負けた!?」
嘘でしょう、そんなことがあっていいはずがありません! 私はいつだって完璧なのです! お兄ちゃんの好みは私だけが知っていればいいし、お兄ちゃんが美味しいと言ってくれるものは私だけが作れればいいのです!
そう確信はしているのです、だとしても……
「食べ物に塩化アンモニウムぶち込む発想はありませんでしたねえ……」
それはささやかな私の発想力の敗北でした。
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