妹のメンタルコントロール

「うえぇ……学校行くのめんどくさいなあ……」


 俺が朝食時にそうこぼすと、睡は俺にきっぱりと言った。


「お兄ちゃん! そんなこと言わない! こんなに可愛い妹と通学できるんですよ?」


 自分で可愛いとか言っちゃいますか……まあ自由だけどね。それはさておき、今日は俺の心がサボりたいと叫ぶ日のようだ。こういう日は時々ある、なんだかんだで登校するんだがテンションが上がらないんだ。


 とりあえずコーヒーを飲んでカフェインでやる気を出そうとしてみる。ズズズと飲んでみるが意識の覚醒こそあれやる気の方は別物らしくさっぱり出てきてくれなかった。


「面倒くさそうにしてますけど私はお兄ちゃんが一緒だから登校してるんですよ? 一人ならドロップアウトする自信があるんですけど……」


 はぁ……行かない理由より行く理由の方が大きいようだ。とはいえやる気がしない、義務があるとしてもそれにやる気が伴うかは全くの別問題だ。


「お兄ちゃん! がんばれ! がんばれ!」


「俺はそんなことでやる気を出すほど単純じゃないんだよ……」


「じゃあ……えいっ」


 ギュッと抱きついてくる睡、俺のテンションはピクリとも動かなかった。明鏡止水状態の俺の心は水面のように平坦で水滴一つの波も起きていなかった。睡が抱きついてくることなんて日常なんだからそんなことで心が動かされる方がおかしいとも言える。


「お兄ちゃん……反応薄くないですか? 可愛い妹ですよ?」


「そんなこと言われてもなあ……」


「ではお兄ちゃん、今晩はお肉料理を作りますよ?」


「よし、行くとするかな」


「お兄ちゃん的にはせくしーな私よりお肉の方が欲しいんですか……?」


「肉はメンタルに良いんだぞ?」


 俺の信条だ。美味いものを食べると心が癒やされる、俺はそんな単純な人間だった。しかしそれが悪いとは思わない、偉い人は言っていた『物事は出来る限り単純にすべき』だと。偉人が言ってたんだからしょうがないな! 確か発言したのはアインシュタインだった気がするな?


「まったくもう……じゃあお兄ちゃん! 今日は学校の帰りにお肉屋さんに寄りますよ!」


「おー!!」


「なんで私とデートする時より乗り気なんですか!?」


「いいじゃないか、さっさと学校行こうぜ」


「だからお兄ちゃんは……まあいいでしょう、二人きりの夕食ですからね、楽しみにしてくれるのは悪くないですね」


 睡が一応納得してくれたようなので俺たちは登校を始めた。学校での出来事について語る気は無い、だって誰だって何の変哲もない日常よりも何かあることを期待して求めるものだろう?


 そんなわけで学校では夕食を楽しみにしながら適当に授業を受けて過ごしたのだった。内容? 無いよ?


 そうして帰途についてわけだ。


「お兄ちゃん? ちょっと楽しみにしすぎじゃないですかねえ……」


 睡が不平を言う。そんなことを言われたって食欲は三大欲求の一つなんだから美味しいものを食べられるなら楽しみにするのはしょうがないじゃないか。


 だから俺と睡は食肉店にやってきたのだった。やはり焼き肉なら肉の専門店で買うべきだと思っている。カレーや肉じゃがのような『肉も』入った料理ならスーパーでもいいが、やはり『肉を』食べる料理なら肉屋で食べるべきだろう。つまりは『肉は肉屋』というわけだ。


「お兄ちゃんはロース推しですか? 私はカルビメインで行こうかと思ってるんですが?」


「俺はタンかなあ……軽く焼いて食べると美味いんだよ」


「はいはい、タンですね。ええっと、二人分だから……このくらいですかね」


「おばさん、これだけください」


 そう言って切り分けた肉を貰って代金を支払っていた、睡の名誉のために言うならあいつは二人の食事について一切妥協しなかった。安いからという理由で安い肉を買うようなことはせずちゃんとした部位を選んで買っていた。代金については俺が目をそらしたくなるような金額だった。


 そうして家への帰り道で睡が立ち止まった。


「お兄ちゃん、袋が重くなってきたのでお兄ちゃんも持ってください」


「ん? ああ、悪い悪い」


 そう言って俺が全部の袋を持とうとするとその手を睡が掴んだ。


「こうやって持つんですよ?」


 そう言って一つの持ち手に二人の手が結ばれた。この持ち方で重さが楽になるとは思いがたいのだが睡は確かにさっきより楽そうにしているのできっと正解なのだろう。俺は正解を理解することは滅多にないが誰かが出した答えを受け入れられないほど狭量でもない。だから睡の手の温かさを感じながら家路を歩いていくのだった。


「ふぅ、着いた着いた」


 俺は肉の袋をまとめてキッチンに持って行く。まだ早いと思うのだが早くも睡はホットプレートを取りだして肉を焼く準備を始めていた。


「おいおい、もう食べる気か?」


「そうですよ? 今から食べればお兄ちゃんは部屋に帰ったりしないじゃないですか? なので準備を手伝ってください」


 困った妹だな。でもまあ俺のメンタルが原因なので強く出ることは出来ない。睡が棚から取り出そうとしているホットプレートを俺が持ってテーブルの上に置いた。


 睡は取り皿とタレ、レモン果汁を用意していた。俺はタンにはレモンをかける方なのでそれを覚えていてくれたらしい。


 俺は袋から牛脂を取りだしてプレートの上に置いてから電源を入れる。ジワジワと油が染みこんでいき、食欲を誘う香りが漂ってきた。


「じゃあタンから焼くか?」


「ですね、クセの少ないものから焼いてくのは基本ですね」


 じゅうじゅうと肉が焼けていき、じきに色が変わっていく。


「そろそろ良いかな?」


「どうぞ」


 肉を取ってレモン果汁に浸して食べる、どんな抗うつ剤よりも効きそうな幸せな味がした。


「うまいな」


「美味しいですね」


 俺たち二人とも――俺だけか?――が肉を食べるのに集中して語彙が貧困になっていた。


「お兄ちゃん、私が買うものを決めておいて言うのもなんなんですけど……野菜とご飯は無しで良いんですか?」


「問題無い、炭水化物は呆れるほど食べてるしな。野菜については……そうだな……タレがほぼ全部植物性だから実質野菜を食べてるようなものだろ」


 睡は呆れた顔をして言った。


「そんなカロリーゼロ理論みたいな強引なことを言われましても……」


「野菜からできているものを食べるということは野菜を食べているということだ。何の論理破綻もないだろう?」


 睡は観念した様で肉を素直につまみ出した。そうして満足いくまで肉を食べてから後片付けをした。その時に睡に伝えるべきことを伝えておいた。


「ありがとな」


「へ?」


「俺のことを考えてくれたんだろ? これでちゃんとやる気は出たから安心してくれ、間違いなくお前のおかげだ」


「ふふふ……そうですね、この借りはいずれ返して貰いますよ!」


 にこやかに言う睡だが俺にはでかい借りが残ってしまった。しかしその考えも夕食で満足した脳が思考回路にロックをかけてしまい深く考えられなかった。


 ――妹の部屋


「ひゃっっっっっっほおおおおおおおおおうううううううううういいいいいいいい!!!!」


 お兄ちゃんが私を褒めてくれました! 感謝してくれました! 何より私に恩を感じてくれました!


 なんて素晴らしいことなんでしょう! お兄ちゃんが一緒にいるだけで私は不満など無いのです。さて、寝ながらお兄ちゃんに何をしてもらうか考えましょうか。


 考えは無数に浮かんだのですがそれがまとまる前に意識が落ちたのでした。

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