妹とお茶会事件

 俺と睡はコーヒーを飲んでいた、何でもない普通の日常……のはずだった……


 ピコン


 きっかけはスマホの通知音だった。俺は気にもとめなかったがスマホはテーブルの上に置いていた。それをめざとく睡が見つけたのだった。


「お兄ちゃん……知らない人からメールが届いているようですが……」


「勝手に見るなよ」


「通知の内容表示を有効にしてればそりゃ気になりますよ! で、何のメールなんですか?」


 俺はスマホを手に取ってメッセージの内容を見る。睡もこちらを覗き込んできている。しょうがないのでロック解除だけを見られないように手に取って行い、メッセージは睡も見えるように机の上に置いた状態で開く。


「私は主人をヒクイドリに殺されて一年が経ちました……(以下略)」


 スパムだった。いや、スパム自体は構わないんだがこのご時世にこの内容で引っかかると思っている方が驚きだし、SMSの代金だってタダじゃないだろうに、ご苦労様としか言いようのないくだらない内容だった。


 しかし、どうやら睡はこの手のスパムに慣れていないようだった。


「お兄ちゃんが人妻と……ムムム……」


 俺はこの内容を真に受ける睡に驚いた、ピュアにもほどがあるだろう。何年前のスパムだよと言う内容に睡は真剣に向き合っていた。俺は放置してコーヒーの続きを飲んでいた。


 やがてコーヒーを飲み終わる頃に睡が俺の方を見て聞いてきた。


「で、お兄ちゃんはこの方とはどういうご関係で?」


「お前なぁ……微塵も関係ないよ、というかこのスパムって古生代からあるようなものだぞ? こんなもん信用してたら金がいくらあっても足りんよ」


 あまりにも今更な内容に呆れている俺に対して睡は真剣だった。


「だって……私の方にはこんなメールは来ませんよ?」


「そりゃ送信する難易度が違いすぎるよ、Androidを使ってるならGmailだろ? あれのスパムフィルタはものすごく強力だからな」


 時々正規のメルマガなんかまでスパムフォルダに入っているのは秘密だ。俺はスパム対策とは言えメールを覗かれるのが好きではないのでそれほどGmailには頼っていない。個人の感性のレベルの話だが嫌なものは嫌なんだ。


「しかし……なんでこんな文章で届くんですか? 現実感が無さ過ぎませんか?」


「そりゃ(検閲削除)とか(検閲削除)みたいな直接の表現なんて使ったら即ブラックリストに放り込まれるからな。メーリングリストを読むのに使ってるサーバなんかはスパムフィルタがないからちょいちょい海外の富豪の遺産やら買ってもいない宝くじが当たっただののメールが来てるしな」


 買わないものが何故当たるのかという当然の疑問はさておき、英語圏に知り合いがいないのに突然アメリカの富豪の遺産がもらえるとか日本人に送ってくるのはわけが分からない。常識というものが無いのだろうか? ああ、そんなものを持ち合わせているならスパムを送って金を稼ごうなんて発想はしないのか。


 しかし、睡は微笑ましいと思えるほどに悪意というものの存在を信用していなかった。まるで世界に大嘘つきが存在しているなどと欠片も思っていない様子だった。


 それは幸せなことなのかもしれないがいい加減ネットに書いてあることを疑うことを覚えないとトラブルになるぞ。


「へー……じゃあお兄ちゃんのところにはメールも一杯来るんですか?」


「今回はSMSで送ってきたがな……愚にもつかないメールなんてたくさん来るよ。嫌ならメールなんてやめてしまうしかないな」


 どのみち皆が使っているのは各種メッセンジャーだろうけどな、と心の中で付け足した。


 メールは最近やりとりする機会がめっきり減ってしまった。通販の注文確認と発送メールで埋まっているメーラを思い出した。スマホが出来てからすっかり皆メールから散っていってしまった。結局人はお手軽な方に流れるのだろう。


 そんなことを言っても俺は以前メールで友人とやりとりした――当時は睡が監視をしていなかった――頃を懐かしんでメールを使っている。


「気に食わないです……」


「へ!?」


 睡の一言に思わず驚いてしまう。


「何がお気に召さないんだ?」


 睡は当然のことをように言う。


「お兄ちゃんが私の知らない通信手段を持っていることが、ですよ。どうせアドレスもいくつか持ってるんでしょう? 教えてくださいよ」


 やれやれ、どうやらどうあってもそれが気に食わないらしい。


「自動送信のメールを受け取るくらいにしか使ってないぞ?」


「私が送りますよ」


 断言されたので俺も一個のメールアドレスを紙に書いて睡に渡した。スマホにもメーラは入っているから睡なら設定くらいは出来るだろう。


「なるほど、これがお兄ちゃんのメールアドレス……」


 何がなるほどなのかは知らないが、一応満足してくれたようなので構わないだろう。


 俺は手元の温くなったコーヒーの残りを胃の中に注ぎながら、何故睡がそんなに俺にこだわるのか疑問に思ったが、それの答えはカフェインの効き目に頼っても一向に理解できそうな気がしなかった。


「満足したか?」


 俺が睡にそう問いかけたが返ってきた答えに俺は呆れかえった。


「満足ですか? するわけないじゃないですか? これはあくまでお兄ちゃんの情報の一部であってお兄ちゃん自体ではないんですよ、私はお兄ちゃんの全てが欲しいんです!」


 欲張りな妹だった。いや、それ自体が悪いことではないのだが、欲望が他人に向いた時ロクなことにならないのが世の常だ。


「睡、あんまり欲張るのは良くないぞ?」


 しかし睡は俺の忠告など意に介していなかった。


「私はお兄ちゃんが欲しいだけであって他の全てを捨てられますよ? 欲張りって言うのはなんでも欲しがるものじゃないんですか?」


「分かった分かった……お前は欲張りじゃない、ただ単に依存体質なだけだな」


「別にそれでも構わないと思ってますからね! お兄ちゃんが私に依存しないのは多少不満ですがね?」


 ニコリとしながらそんなことを言う。目は笑っていないし、背後にどす黒いものを抱えてるのが透けて見えるが俺はそれと向き合うほどの覚悟はなかった。そう言う面倒なものはメンタルが強いやつが受け持つべきだろう。メンタル弱々の俺にはとても無理な話だ。


 というか妹が闇を抱えてるってなかなかに困った状況なのだが本人には自覚が無いのか鋼のメンタルなのか一切気にしている様子がない。


 俺は深く考えるのをやめてサーバーから二杯目のコーヒーをマグカップに注いだ。真っ黒な液体だが、このブラックコーヒーだって睡の心の闇ほど暗くはないだろう。怖気をするのを覚えながら俺はカフェイン入りの液体を飲み干したのだった。


 なお、その夜睡から延々とメールが送られてきたのは言うまでもないだろう。俺が教えたのがあまりメールの来ないアカウントだったから気づけたものの、一日に大量のメールが届くアカウントを教えていたら、チェックがものすごく大変になっていたであろうことに、そうならなかったことに安心したのだった。


 ――妹の部屋


「書き出しに案外悩みますね……」


 私はお兄ちゃんへメールを送ろうとしています、問題は書き出しが思いつかないことです。メッセンジャーであれば序文などと言うものは必要無いのですが、長文を送れると言うことはやはり書き出しのインパクトが重要と言うことです!


 私は悩んだ末に思いついた全ての書き出しでメールを作り全部を送ってみることにしました。お兄ちゃんが真面目に返信をくれたのが『当たりの』序文ってことでしょう。


 しかし全てを送るには時間が足りず、私は結局途中で寝落ちしてしまいました……

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