妹と耳栓

「ふぁ……ふぁああ……」


 思わずあくびが出る。最近寝付きが悪い、カフェインを減らしたのになかなか横になっても眠ることが出来ない。


 原因は恐らく騒音だろう。この大都会とは言えない地方にもやかましいマフラーを付けたバイクで深夜に走っている酔狂な奴はいる。連中が事故ろうと知ったことではないのだが警察もやる気を出してほしいものだ。警察より真夏のクソ暑い中バイクで走っている連中の方が根性があるのではないだろうか?


 キッチンに向かうと睡が笑顔で出迎えてくれた。


「お兄ちゃん! おはようございます!」


「おはよ……」


 睡は訝しげに俺を見る。不思議そうな顔をしているのだがコイツはあの爆音が響いている中でも平気で眠れるのだろうか?


「お兄ちゃん、元気ないですね?」


「そりゃ毎晩あんだけクソみたいな音を聞かせられたらな……車検制度って機能してんのかね……」


「?」


 睡は不思議そうな顔をする。どうやらコイツは眠りについたら夜中の爆音で起きるようなタイプではないらしい。日本の誇る厳しい車検も真面目に受けなければ意味が無いということも、部屋でNVIDIA製のヘアドライヤーよりうるさい音が響いても平気らしい。


 双子なので年齢は同じだ、耳を消耗していて聞こえなくなるにしては、騒音の多い環境に晒されたわけでもないはずなのだが。


「お兄ちゃん、部屋の中に音源を抱えすぎなんじゃないですか? PCのファンだけでも結構な数があるでしょう? 私もゲームでゴリゴリ動かす時はファン付のスマホクーラー使ってますけどうるさいですからね」


「ファンの音はほとんどホワイトノイズみたいなもんだから平気なんだがなあ……」


「それでも全開で回せばうるさいとは思いますがね」


 ファンの騒音などたかがしれている。確かに真夏にエアコン無しで稼働させると全力で回ってやかましいが、夏場部屋にいる時は空調が効いているので全開にはならない。贅沢を言えば放熱するなら冬場に室温を上げるくらいはしてもいいんじゃないかと思うがな。


 ファンコントローラーを付けろと言う声もあるだろうが、俺は割とノイズがあっても眠ることが出来る。あのバカどもがマフラーを付けていないレベルの騒音を流しだす前は騒音でたたき起こされることはなかった。


「睡、あのクソやかましいバイクの集団を前にしてよく眠れるな? Pentiumの黒歴史のプレスコットだってもうちょっと控えめな音だぞ?」


「本当の黒歴史はItaniumだと思いますがね……まあ確かにうるさいと評判でしたが……」


 なんでコイツがItaniumを知っているのかは分からないが、あの音の暴力に耐えられてはいるようだ。


「何か秘密でもあるのか?」


「別に……ああ、耳栓はしてますね」


「耳栓?」


 存在自体は知っているが耳を両手で塞いだくらいのものだろう。あのクソうるさいエンジン音が消えるとは思えなかった。


「ノイキャンイヤホンとは違うのか?」


 少なくとも俺のAirPodsProでかき消せるほど生ぬるい音ではない。一度試しにAirPodsを付けて寝てみたことがある。音は消えないわ耳から落ちて探さなきゃならないでかなり苦労した。


「ちょっと待ってくださいね……」


「……これは……お兄ちゃんに……ふるを……つかって……ンス」


「何か言ったか?


「いえいえ、こちらの話ですのでお気になさらず!」


「ちょっと待っててくださいね、耳栓を取ってきます」


 そう言って睡はキッチンから出て行った。俺は眠気覚ましにコーヒーを淹れることにした、豆をコーヒーメーカーに突っ込んだところでミルの音がそれなりに結構うるさいことを思い出した。さすがにバイクには負けるが、ゴリゴリッと豆を砕く音は耳に優しくはなかった。


「お兄ちゃん! はいこれ!」


 いつの間にか戻ってきていた睡が俺に手を差し出した。そこには黄色い二つの円筒形のスポンジのような物が乗っていた。


「耳栓ってこれか?」


「そうですそうです! これで大分音が静かになりますよ! ……まあ私のお古なんですがね」


 何か不穏なことが聞こえたような気もしたが聞こえなかったことにする。


「で、これってどうやって使うんだ?」


「押しつぶして耳の穴に差し込むんですよ、ああ……私の耳に入っていたものがお兄ちゃんの耳に……」


 うっとりしている睡を放っておいて試しに潰してみる。なるほど確かに耳の中に入るようにちゃんと潰してから元に戻るまでにタイムラグがある、この間に入れろということなのだろう。


「ではお兄ちゃん、挿入してください!」


「なんで顔を赤くしてるんだよ……」


 俺は黄色い塊を細く押しつぶして耳の中に突っ込む。細くする方向には潰したが長さは変わっていないのでかなり長めの部分が耳の中に入り込む。


 じきに膨らみだして周囲の音量が小さくなっていく。なるほど確かにかなり静音性が高いものらしい。


「……ちゃん……よ……お兄ちゃ……いして……」


 睡が何か言っているようだがはっきりとは聞こえなかった。しかし顔を赤くしているところからしてロクなことを言っていないようだとは思った。


 俺はさっき豆を入れたコーヒーメーカーのスイッチを入れる、水は充填済みだ。


 開始を押すといつもなら『ガガガガ!!!!! ゴゴゴゴ!!」と轟音を立てるところだが、耳栓を使っていると『ゴリゴリ……コココ』程度には音量が下がっていた。なお、ミルを回している間に後ろで睡が何か言っているような感じがしたのだが、耳栓とミルの音のコンボで発言内容はさっぱり分からなかった。


 ええっと……外す時は引っこ抜けばいいのかな?


 耳に詰まったスポンジを取り出すと生活音が再生された。走り屋どもがいない普通の時間だがそれでも世界は案外音に溢れていたのだと気がついた。


 俺は耳栓を睡に返してから訊いた。


「どこで買えるんだコレ? 結構いいな」


「でしょう! でもお兄ちゃんには私のお古を使わせてあげたいので教えません!」


「えぇ……」


 普通そう言うの衛生環境を気にするもんじゃないのかなあ? それはさておき……


「睡、何か用事があったのか? さっき俺に何か言っているような気がしたんだが?」


 睡は口笛を吹いて顔をそらした。答える気は無いという硬い遺志を感じる。この件について話す気は無いのだろう。


「じゃあお兄ちゃんには私が買ったやつの一組をあげますね! 大事に使って、使い終わったら私に返してくださいね?」


「使い終わったらって……コレがそんなに長く何度も使えるとは思えないんだが……?」


「お兄ちゃんの使用済みというところに価値があるんじゃないですか!」


 大丈夫だろうか……この妹……


 多少の変態性はあったものの、その夜は眠れる程度には静かな日になったのだった。


 ――妹の部屋


「ふひひ……お兄ちゃんの使用済み……」


 私は幸福でした、お兄ちゃんのお古があるだけではありません! お兄ちゃんに『愛しています』とはっきり言えたのです!


 まあお兄ちゃんには聞こえていないようでしたが……そこは大した問題ではないのです! 私が精一杯の勇気を振り絞れば告白できるということを証明できたのが何よりも大きなことなのです!


 私はお兄ちゃんの使った耳栓を使って眠りました。まるでお兄ちゃんが耳元で囁いているような気がしてとても心地よい眠りを楽しめたのでした。

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