これまで:これから

「おにーちゃん!」


 朝食を食べている時にマッハで食べ終わった睡が抱きついてきた。十月になりそれなりに涼しくなってきているし、まだエアコンの必要な寒さでもないがさすがにこの距離感だと暑苦しいと感じる。


「なんだよ急にくっつかないでくれないか?」


「お兄ちゃんは意地悪ですねえ……兄妹なんだからこれくらい普通でしょう?」


 普通? 普通ってなんだっけ? 睡の中では普通の基準が何処かズレているのかも知れない。


「で、何の用なんだ? 今日は休みなんだからそんなに急いで食事を済ませる必要も無いだろう?」


「あるんですねえこれが……お兄ちゃんが逃げちゃわない食事時を狙ってスキンシップを図ってるんじゃないですか! お兄ちゃんが私とイチャつくことが出来ていれば何の問題も無いんですよ?」


 無茶苦茶な理論だった。というか俺とイチャつく理由が分からん、暑い中スキンシップなんてする必要があるのだろうか? しかし睡は一向に気にしていないようで自分の理論を信じているようだった。ダメだねこれは……


 俺は睡を押しのけながらスマホで今日の予定を確認する。スケジューラには特に予定が入っていないのを確認して睡に言う。


「分かったよ、今日はお前に付き合ってやるからとりあえず離れろ、暑苦しいんだ」


 ぱあっと顔を輝かせて頷く睡、こう言うと即離れるあたり即物的だなあとは思う。ま、こういう割り切った姿勢は嫌いじゃないな。


「じゃあお兄ちゃん! 言ったり書いたりすることも憚られることをしましょう!」


 相変わらずだな。コイツは倫理観って言葉を知っているのだろうか? 言うのも躊躇われるようなことを平気でやるのが睡という妹だ、悪い方面への信頼感はとてつもなく厚い。


「はいはい、全年齢対象な兄妹的なことをしような」


 睡はがっかりしていた、まるで俺が悪い見たいじゃないか……酷くない!? そんな妹の暴論はさておき、俺は現実的な提案をする。


「とりあえずコーヒーを淹れようか? 寝ぼけてるからそんな無茶な発想になるんだろ」


 睡は深呼吸をして『ください』と言った。睡が一体何をしたかったのかについては追求するとロクなことになりそうにないので黙っておいた。


「お兄ちゃん、砂糖とミルクはたっぷりで」


「はいはいいつも通りね」


 俺は慣れた手つきで砂糖の袋を二つ開けてカップに入れる、ミルクは一つ、ここにコーヒーを淹れればブラウンの甘ったるいコーヒーのできあがりだ。コーヒー牛乳と言ってもいいかもしれないくらいコーヒーぽくはないが、それでもコーヒー『牛乳』という名称は法律か何かで使えないようになっているのであくまでもコーヒーだ。


 ガガガガとミルがコーヒー豆を砕いていく、水を注いでおくと後は全自動だ。全自動なら睡がやっても変わらないような気もするが、本人曰く『気分の問題』らしい。よく分からないこだわりだが、そんなに面倒なことでもないし、俺もコーヒーかエナドリを飲まないと目が覚めないのでいつものルーティンとして淹れている。


 コポコポと水が沸騰する音が立つ。ドリップされたコーヒーの香りが漂ってくる。いつも通りのコーヒーがサーバに溜まっていく。


 ピーと鳴ってドリップの終了を知らせてくれるのでスイッチを切って二人分のマグカップになみなみと黒い液体を注ぐ。俺の方は黒いまま、睡のカップには入れたそばから茶色に変わっていくコーヒーができあがった。


「ほら、コーヒー二人分できたぞ」


 そう言って睡の前にピンク色のマグカップを置いた。睡はこちらをうっとりとした目で見ながら少しずつ飲んでいった。


 俺もどうにも頭がぼんやりとしているのでそれを振り払うためにカップに入った黒い液体をぐいっと飲んだ。熱くて苦い液体が口の中を刺激して眠気が俺の意識について来れず振り落とされた。スッキリとした頭で睡と向き合う。


 さて、俺は部屋にあるサーバについて考えていた。最近アップデートをしていない、時々はアプデをしないとまとめてかけた時に依存関係で全部がおシャカになってしまう。そうして俺は休日をサーバ管理に費やそうかと考えているところで睡が話しかけてきた。


「お兄ちゃん、今日は外に出るのはやめましょうね? お家デートです!」


「デートかはさておき別にいいけど珍しいな?」


「まあ重さんが最近涼しくなってきたので休みに出かけることが多いって聞いたんですよね別にいいですけど私は負けませんしそれでもわざわざエンカウントすることは無いなって思うじゃないですか?」


 とんでもない早口でまくしたてられて、何を言いたいのかさえほとんど聞き取れなかったが外に出たくないというのは理解できた。


「ところで食事はどうするんだ? 俺は作れないし、睡が作るにしても材料がないと作れないだろ?」


 睡はそこで大仰に頷いた。


「ふっ……私がこの前買い物に行った時にたっぷり買ってきてますからね! こんな事もあろうかとってやつです!」


 確かにこの前買い物に付き合わされた時はやけに買うなあと思っていたが買いだめをしていたのか……


 たくましい発想の妹についていくのが大変だが、今日の食事は心配しなくていいということだけは分かった。


「ところで家の中で何をやるんだ? 何も無いだろう?」


「そりゃもうナニですよ?」


「は?」


「ちっ……お兄ちゃんは察しが悪いです……」


「何で俺が責められてるのかな?」


 睡はかぶりを振ってから一つの提案をした。


「では今日はお兄ちゃんの部屋で過ごしましょう!」


「うへぇ……」


 俺が思わず嫌そうな顔をしてしまった。睡のプライベートに突っ込んでくる宣言はあまり歓迎できるものではなかった。


「不満げですね?」


「そりゃなあ……俺にだってプライバシーはあるんだぞ?」


 睡は虚を突かれた顔をした。


「は!? 兄が妹に隠しごとをするなんて許されるわけ無いじゃないですか! 私は情報開示を求めますよ!」


 堂々と人権を無視したようなことを宣言する睡。自信満々で悪いことをしようとしている気はまるで無いようだった。どうやら自覚は全く無いらしい。本心から言っているからなお質が悪いと言える。


 そんなわけで俺の部屋に二人で入っているのが現在の状況だ。睡は入って早々に隙間や暗がりに手を突っ込んで秘密の所持品はないかどうか確認していた。俺は心底データ化というのは偉大な技術だと感じる。人間の進化というのはすごいものだ、情報化すれば物理的にもほとんど空間を取らない。家族持ちならデータにしておくのはメリットばかりだ。


 俺はディスプレイのケーブルを繋ぎ替えてサーバマシンにキーボードと一緒に繋ぐ。睡はめざとく俺の行動に気づき声をかけてきた。


「なるほど、お兄ちゃん! 画面を早く表示してください! 見られたくないものが入っているような予感がします!」


 意外といい勘をしている。ところがそれでは『見られたくないもの』がどのように保存されているかは分かっていないらしい。


 ディスプレイの電源を入れると真っ黒な背景に白いものがずらっと並んだ。


「お兄ちゃん、これなんですか?」


「なんですかってサーバだが?」


「気になりますね……ちょっと確認させてください!」


 幸いなことに管理者パスワードを睡は知らないので許可されていないデータを見られる心配は無い。もっともアクセス権があったところでキーボードでの操作しか受け付けない画面を前に操作できる人は少ない。


 古代のPCでは全部がこんな画面だったらしいが生憎俺はそんな世代よりかなり後の世代だ、睡に至ってはスマホくらいしか使っていないので操作は不可能だろう。


 睡はメインPCに繋いであるマウスをカタカタとクリックしたり動かしたりして操作を試みている。繋いであっても使えないがそもそも繋がっていないことさえ気がつかないようだった。


「むむむ……分かんないですね……」


 睡は両手を挙げて降参してしまった。無理も無いのだがこれで身辺捜査は終わったらしい。睡はマウスを放り出して俺の隣の椅子に座った。


「さて、残念ながらガサ入れは失敗したわけですが……失敗したわけですが!」


「何故二回言った……」


「お兄ちゃんの卑劣な隠蔽工作に勝てなかったのが悔しいからですよ! まあそんなことはいいのでこの話題はその辺に放っておきましょう」


 そう言って睡は本題に入るのだった。


「聞こう聞こうとは思ってたんですがね、お兄ちゃんとしては私のこと嫌いなんですか? 脈が感じられなくて心が折れそうなんですが」


「嫌いってことはないぞ。大事な妹だし家族なら仲が良いのは当たり前のことだろう?」


 睡は呆れきったような顔をしてから俺に言った。


「今日の返答はそれで満足しておきますがね……私はお兄ちゃんを諦めないってことだけは覚えておいてくださいね?」


 俺はこの問答に意味を感じられなかったので適当に色よい返事をしておいた。


「まあお前がどうするかは自由だし頑張ればいいんじゃないか」


 満足げに頷いてから睡は食事を作りに向かうのだった。


 余談だがその日のオムライスにはケチャップでハートが描かれたあざとすぎる仕様だった。コイツは兄相手にこのオムライスを出してどうして欲しいんだろうな……


 俺は呆れて流されるままに一日を過ごすのだった。


 なお、サーバには後日アップデートを行ったがメジャーバージョンがその間に上がっていてデータ用HDDこそ無事だったもののOSのシステムがぶち壊れたことは付記しておく。


 ――妹の部屋


 お兄ちゃんの秘密のデータ……有るはずなんですけどねえ……


 私はお兄ちゃんが何かを隠していることには気がつけました。それに気がつかないほどの鈍感ではないですが、それが具体的になんなのかについてはさっぱり分かりませんでした。


 お兄ちゃんのことをもっと知るために私はもっと精進が必要だと確信したのでした。

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