妹とイヤホン

「お兄ちゃーん! AirPodsが壊れちゃったんですけど!」


 睡がそんなことを言いながら俺の部屋に入ってくる。一体どうしろというのか……


「そんなことを言われてもなあ……何やったんだ?」


「うとうとしながら使ってたらポロリと落ちたんですけど、落ちた場所がシンクで……」


 泣きそうな顔でそう言う睡、気の毒だがどうしようもないだろう。


「保証は効かないのか?」


 保証が効けば多少安上がりに新品が手に入る。少しお金がかかるが新品を買うのに比べれば全然安上がりに済んでしまう。


「だってあの保証高いんですよ? 入ってるわけ無いじゃないですか」


 だったらアウトではないだろうか? 俺に言ってもどうこうなる話ではないような気がする。


 俺はTwitterを操作する手を止めて答える。はっきり言ってどうもこうも無いわ! あれの修理を破壊なしにやるとか無理ゲーにもほどがある。大体公式だって交換対応がほとんどだろう、それが全てを物語っている。


「まあ運が悪かったな、つよく生きてください」


「お兄ちゃん! 冷たいですよ!」


 だってなあ……100%他人事だし、正直、興味無いんだよなあ……イヤホンとかあんまりしないし、完璧に自分のせいじゃん、俺は関係ないよ……


「俺に関係ないじゃん?」


「ありますよ!」


「えっ!?」


 俺が何かしたっけ? 本当に思い当たるところが無いんだが……


「お兄ちゃんがこれをなんとかしてくれなかったら、新品を買うのでご飯のグレードが落ちますよ!」


「おまっ!? それは反則だろう!?」


「お兄ちゃんが妹に優しくないのがいけないのです!」


 えぇ……どうしろっていうんだよこれ……しょうがないな……


「要は代わりのイヤホンがあればいいんだな?」


「そうですね……もちろん完全ワイヤレスですよ?」


 要求のレベルが高い、イヤホンがワイヤレスになり始めた初期に買った両耳がケーブルで繋がってるやつなら机の中にたくさん備品としてストックしているんだが……


 落ち着け……冷静に考えよう。Amazonで売っている通称ビリビリイヤホンや令和最新型で許してもらえないだろうか? 明らかに音質は低いが一応完全ワイヤレスだ。


 あれならAirPodsの修理代金でお釣りが来るくらいの格安になっている。しかしそれを渡していいのだろうか? 不満をため込むと俺へのあたりがつよくならないだろうか?


「睡、ケーブル付の方が音質はいいぞ?」


「えー……でも……はっ!?」


 睡は何か思いついたという風に頷いていた。


「ではしょうがないのでケーブル式にしましょう! ところでお兄ちゃん……やってみたいことがあるのですが……」


「なんだ?」


「それをしてくれるなら優先で妥協しなくもないですよ?」


「安上がりに済むならそれでいこうか、で、何をすればいいんだ?」


「とりあえずイヤホンを出してください」


 俺はUSB-Type-C端子をステレオミニジャックに変換するアダプタと二、三千円で買った優先のイヤホンを取り出す。これは死蔵していた品なので睡に渡すことは全く問題が無い。


「ではお兄ちゃん、このイヤホンを繋ぐので右耳にイヤホンをはめてください」


「右耳?」


「いいからやってください!」


 迫力に負けて俺はイヤホンの片方をつける、睡はケーブルをスマホに繋いで音楽をかけ出した、ラブソングのようだが俺はそう言う歌にはとんと疎かった。


「では失礼して……」


 睡が左耳にイヤホンをつけて隣に座る、お互いが密着していて非常に暑苦しい。


「睡、この曲に何か意味があるのか?」


「曲などどうでもいいのですよ! お兄ちゃんと一つのイヤホンを共有しているという事実が重要なのです!」


 そういってドヤ顔をする睡。確かに俺たちの距離は密着といってもいいくらい近かった。その上睡の紙から漂ってくるシャンプーの香りは非常にいい香りで、この家のシャンプーにそんなものがあったのかと思えるようなものだった。


「睡……ちょっと恥ずかしいんだが?」


「誰も見ちゃいませんよ」


 そう言って次の曲の再生が始まった、次はアニソンのようだが何の曲かは思い出せなかった。


「この曲なんだっけ?」


「まったくもう……妹モノのレジェンドアニメのOP曲じゃないですか! そのくらいは一般教養ですよ!」


 明らかに限られた範囲の教養だと思うのだがそれについて文句をつけても暴論で返されることが明らかだったので黙っておくことにした。


 その曲が終わると環境音楽が再生された。本来はリラックスを目的とした曲のはずなのだがすぐ隣に睡の顔があるので本心では音楽そっちのけで気が気ではなかった。


 その曲が終わり、ようやくイヤホンを外した睡に合わせて俺もイヤホンを外した。


「うーん……やっぱりお兄ちゃんの隣は格別なものがありますね!」


「曲の感想は?」


「全く覚えてないです!」


 清々しいまでの開き直りだった。どうやら俺の隣で音楽を聴くのではなく、俺と密着したかっただけなんじゃないかという疑惑が出てきた。


 そこを追求しても不毛な結果に終わることは明らかなので俺もそれ以上の追求はやめた。


「あの……お兄ちゃん……その……時々でいいのでこのイヤホンで一緒に音楽を聴きましょうね?」


「ああ、いい曲が入ったらな」


 俺もいい加減に返事をしておいた。睡のやりくりから言って遠からず完全ワイヤレスイヤホンを買うだけのお金が貯まるのに時間はかからないだろう。だったらそんな機会はほとんど無いはずだ。少なくとも睡が新しい曲を買うなら音質のいいイヤホンは欲しいはずなので今日みたいな事はないというのが俺の見立てだ。


「その辺の都合はバッチリですよ! 私にはコンビニで代金を支払えば無料でストアから音楽がダウンロードできる魔法のカードを買いましたからね!」


「突っ込まないぞ」


 プリペイドカードを買うんだったらそのお金でイヤホンを買えばいいじゃん? わざわざ面倒なことをするのは理解に苦しむな。


「そういうことなので夕食後に私の千曲を二人で聴きましょうね?」


 そこで俺は根本的な疑問に向き合うことにした。


「スマホのスピーカーで聴けばイヤホンの共有なんて面倒なことしなくていいのでは?」


 睡はがっかりした様子になった。


「お兄ちゃんとくっついて曲を聴くというところにプレミア感があるんじゃないですか! しかも妹ヒロインのアニソンがたくさん配信されてるんですよ! これを利用しない手があるでしょうか? いや無い!」


 そんなわけで夕食になったわけだが、幸いなことにイヤホンは俺からの支給と言うことで生活レベルの低下は避けることが出来、無事美味しい夕食を食べることが出来た。


「じゃあお兄ちゃん、私はお風呂に入ってきますね!」


 そう言って浴室にさっさと消えていく睡を見て、このまま忘れるんじゃ無いだろうかと思っていた。しかしまあ、予想通り睡は俺の部屋にやってきた。


 俺の隣に座ってイヤホンを差し出してきた。


「さっきの今で新曲なんて入ったのか?」


「そりゃあもう完璧に! お兄ちゃんも気に入ること間違いナシの選曲ですよ!」


 そういうことで、俺と睡はイヤホンを共有して同じ曲を聴いている。コイツには決してスピーカーを使えばいいじゃん等という正論は通じないのだった。


 隣ではお風呂から上がりたての睡から湯気と石けんの香りが漂ってくる。思うところがないわけではないが、俺はその程度でドキドキするほど妹に不慣れではない。


 二人きりで過ごしていることから、甘える対象が俺しかいないという事情もあるのだろうと思う。睡はスキンシップを図るのが大好きなようで時折こういう大胆な行動に出る。


 俺は何故かそれを拒絶することができなかった。現在二人で暮らしており、両親が留守にしているという事情もあって、睡との関係を悪くするわけにはいかなかった。


 やがて二曲目にさしかかったところで睡がますます俺にくっついてきた。俺はやりすぎだと思って睡の方を見やると……


「スヤァ……」


 気持ちよさそうに寝ていた。どうやら疲れていたらしい。俺は睡を抱きかかえて部屋に運んで寝かせておいた。まったく無茶をするやつだ。


 俺はその夜、確かに取り立てて感じることはなかったはずだが、なんだか睡の感触が俺の半身に付き添っているような気がしてなかなか寝付けないのだった。

 ――妹の部屋


「むにゃ……お兄ちゃん……だいすきれすよう……」


 睡の寝言は誰にも聞かれることはないのだった。


 睡が目を覚まして自室のベッドまで運ばれたと言うことに気づき、その時意識が無かったことをどうしようもなく悔やんだのはまた別のお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る