妹と紅茶

「お兄ちゃん! ティータイムにしましょう!」


 気怠い午後に睡は唐突にそんなことを宣言した。


「なんだよ、イギリスにでもかぶれたか?」


「お兄ちゃんの偏見が酷い……」


 そう言ってグチグチ言う睡だが、まあ俺ものんびりするのは嫌いじゃない。


「じゃあ紅茶をいれるか」


「あ、お兄ちゃんは座っててください、今日は私がいれますので」


「いいのか?」


「ええ、お兄ちゃんにはコーヒーをいれる時には頼んでますからね!」


 そう言って茶葉の入った缶とティーポットを取り出して持って行った。紅茶は睡の担当とはなっているものの料理関係全般を頼るのも悪いかと思っての提案だったがやんわりと断られてしまった。


 俺は手持ち無沙汰にテレビで流れているYouTubeを眺めながらその無法地帯加減にはデジタルミレニアム著作権法はあまり機能していないんだろうな、などと考えていた。


 ポップな音楽とともに合成音声が流れているが、そのBGMは限定版CDの特典曲だったはずだ。まあこういうアナーキーさもネットの楽しさだろう。そう考えてあまり細かいことを気にせず動画を眺めていた。


 睡の方をチラリと見ると電気ケトルにミネラルウォーターを注いでいた。俺ならば確実に水道水を使っていたであろうあたりが料理能力の差なのだろうか? そんなことを考えていたが答えは出そうもなかった。


 退屈になったので頭の中で作りかけのゲームのロジックを考えていた。シューティングゲームの肝になる弾幕のロジックを考えるのは楽しめる。俺はいつも制作時には弾数を多めにして処理を簡単にするのと難易度の問題上自機と敵弾の当たり判定を1ピクセルにするのが好きだった。x軸とy軸の一致を調べるだけで判定が出来るお手軽な仕様だ。しかも見た目を派手にしても処理に負担がそれほどかからないというメリットもある。


 頭の中で自機を操作して見た目と判定の明らかに一致していない敵弾を躱す動きを考える。サインやコサインを使わなければ敵弾が奇妙な動きをしてしまうので面倒くさいのは確かにそうなのだが理解していれば面倒な計算はコンピュータ任せにしてしまえる。実装するのはロジックだけでいい。


 そうして数種類の弾幕を考えたところで睡がティーポットを持ってきた。どうやらお湯が沸いたらしい。その時考えていたロジックは霧散してしまったがそれほど気にすることではない、消えたならまた考えればいいだけだ。


「お兄ちゃん、どうぞ」


 そう言って一つのティーカップが俺の前に置かれた、睡の方も自分用のカップに紅茶を注いでいた。いつもコーヒーを飲む時はマグカップなので少し物足りない気もする。


「では飲みましょうか……と言いたいところですが……」


「何かあるのか?」


「昨日買ってきたスコーンが用意してあります!」


「用意がいいな」


 睡は胸を張って言う。


「そりゃそうですよ! お兄ちゃんにばかりティータイムを任せてはおけませんからね!」


 ドヤ顔でそう言う睡、俺としては少しくらい活躍の機会くらい残して置いてくれても良いものだが、などと考えていると睡が皿に空けたスコーンをテーブルの真ん中に置いた。


「では飲みましょうか!」


「そうだな」


 こうしてティータイムは始まった。


「お兄ちゃん、これ結構いい茶葉なんですけどどうですか?」


「ん? ああ、美味しいな」


 俺がそう言うと睡はクスクスと笑ってから種明かしをした。


「冗談ですよ。常備している茶葉です。お兄ちゃんがどんな反応するか気になっただけです!」


 そういたずらっぽく言う睡、俺には茶葉の善し悪しなどさっぱり分からなかった。アールグレイとダージリンの違いくらいは分かるが同種ならティーバッグでも高級茶葉でも違いなんてものは分からなかった。


「お兄ちゃんは本当に美味しいと思ったんですか?」


 俺は迷わず答える。


「睡がいれた紅茶ならなんだって美味しいんじゃないかな」


 睡は頬を真っ赤に染めていた。


「お兄ちゃんは自然にそういうことを言うんですね……」


 恨みがましい言葉のようだが顔はにこやかで何処にも不満を感じている様子は無かった。


 ピン……ピン……ピン


 さっきから通知音が定期的に響いている、俺のスマホならApple Watchに通知が来るはずなので睡のスマホなのだろう。


「いいのか? お前のスマホだろ?」


 睡は何でもないことのように返答した。


「どーせ、クラスラインですよ、誘うから入ったんですけどしょうもないことがじゃんじゃん投稿されてますよ。少なくともお兄ちゃんより優先する話題が来たことは無いですね、必要なら電話するでしょ」


 そう言って睡はスマホを取り出してサイレントになるまでボリュームダウンキーを押してスマホを強制的に黙らせた。妙なところで思い切りの良いやつだとは思う。


「俺はクラスラインなんて入ってないな……」


 それを聞くと可哀想なものを見るかのような目で見てくる奴もいるが睡はそう言う人種ではないらしく『そうですか』とだけ言うのだった。


「まあお兄ちゃんが私とのお茶会をしているのにスマホチラチラ見てたらイラつきますしね」


 人にされて嫌なことは自分もしない、人付き合いの基本だった。


 俺は気がついて冷める前に紅茶をくいっと飲んだ。暖かな渋みが喉を通って胃に落ちていく。茶葉の違いなどさっぱり分からない俺だが、少なくとも俺にとっては美味しい紅茶だった。


 スコーンをかじると小麦粉の味が広がる。プレーンなので特徴の無い味で口の中の水分を吸い取っていく。そこで紅茶で水分を補給するとふんわり崩れて飲み込めた。


「お兄ちゃんと紅茶を飲むのも久しぶりな気もしますね」


 柔和な笑顔を向けてくる睡、確かに最近はコーヒーばかりで紅茶を飲む機会が少なかったな。そんなことを考えながら空になったカップに二杯目をティーポットから注ぐ。茶葉を浸してあった時間が長いので渋みもそれなりに出ていた。


 どちらにせよそんな細かいことは気にしないのだが世間には紅茶は一度入れるたびに茶葉を取り替える人もいるだろう。俺はその手のことを一切気にしない。味にこだわらないのが俺のスタイルだ。


 それにしても……多分もう一杯くらい飲むだろうな……


 そこで俺ははたと気がついていつものマグカップを食器棚から出して、多めのお湯をティーポットに注いだ。


「お兄ちゃん、お行儀が悪いですよ?」


 マグカップに紅茶を注ぐ俺を見て睡がそう言う。俺は全く気にしないのだが睡は気になるらしい。


「この紅茶が美味しくてな、つい……」


 睡は楽しげに微笑んだ。


「まあそう言われてはダメとは言えませんね……ふふ……」


 睡は落ち着いた雰囲気でそう言った。


 そして俺たちのお茶会は普通に進んでいった。スコーンが無くなったところでお開きとなったのだが、睡は酷く残念そうにしていた。割と残念がっていたのを見て俺は言った。


「まあこれからも時々頼むよ、美味しかったしな」


 顔を上げて嬉しそうにカップを片付けていった睡だった。


「お兄ちゃん!」


 片付け終わって俺の方を向いて笑顔で睡は言った。


「これからも紅茶は私がいれますからね! 何日も! 何年も! 何十年だって任せてください!」


 睡はそう言って胸を叩いて楽しそうに部屋に帰っていった。


 ――妹の部屋


「ぐふふ……ふへへ……お兄ちゃん……」


 ついつい笑いがこぼれてしまいます。しょうがないですよね! 何しろお兄ちゃんが私の紅茶を美味しいって言ってくれたんですから!


 私は十年後だってお兄ちゃんに紅茶をいれます、きっと二十年後だってそうでしょう、だから私はお兄ちゃんが必要としてくれるのがとてもとても嬉しいのでした。

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