九月の名残

 今日は十月一日、ようやくあのクソ暑い九月ともおさらばできたというわけだ。分かっていることは月をまたいだからと言って一日変わっただけで環境が変わるわけもないという当たり前のことだった。


 通学途中の商店街ではハロウィンとかいうマスコミが最近になってもてはやしだした外国のお祭りの準備で浮き足立っていた。生憎俺にはそのお祭りが小さかった頃には見向きもされなかったことを知っている。だが、きっとハロウィンもいずれ『伝統的な』祭りとやらに格上げされるのだろう。経済活動とやらには頭が下がる思いだった。


「お兄ちゃん? なんでそんな苦々しい顔をしているんですか?」


 隣を歩いていた睡が俺に問いかけてきた。俺はその問いかけに答える。


「別に、ただ人間って言うのはたくましいなって思ってただけだよ」


 睡は「ふーん」と言って興味をなくしたようだった。


「ところでお兄ちゃん! ハロウィンが近いですね! 私も仮装しましょうかね?」


「ハロウィンって子どものお祭りらしいぞ」


 高校生がバカ騒ぎをするようなお祭りではないだろう。もっとも、日本でどのように姿を変えてしまったかは知らないのだが。バレンタインがお菓子会社のキャンペーンになったように、日本ではすっかり変わってしまったのかもしれない。俺の知ったことではないのだがな。


 そんなやりとりをしながら学校に着くと、教室はエアコンが相変わらず効いていた。十月になったんだから無しという無慈悲な判断は下されなかったようで安心する。


「おはよ、誠」


「おはよ、重」


「おはようございます、重さん」


 俺たちはいつもの挨拶をして席についてくだらない授業を受ける。退屈極まりない講説をする教師に飽き飽きしつつも睡のお手本となるために黒板の内容をノートに書き写す。というか睡がノートをろくに取らないので俺が取っておく必要があるだけなのだが……


 大体睡のために真面目に授業を受けてから昼休み、重が俺と睡に話しかけてきた。


「二人とも、最近あんまりこうして話してないわね?」


「クソ暑い日だったからな。あんまり人と話すのにエネルギーを使いたくなかったんだよ」


「怠惰ねえ……」


「私はお兄ちゃんが話さないならいいかなあと思いまして」


「睡ちゃんは私への思いやりを持ってもいいと思うわ」


「ふぁ……じゃあ俺は昼休みは寝るわ」


 実際俺は最近睡が夜更かしをすることが多いのでクソ眠かった。暇があれば意識を休ませてやりたかった。脳がオーバーヒートして正常な判断が下せなくなっていた。その結果がこの前の失言だ。


「ダメ人間ねえ……」


「お兄ちゃんは私がいないとダメな人ですから」


 なんだか意識に暗黒の帳が下りる前に悪口を言われ、ギスギスしたムードが漂っていたような気もするが、そんなことを気にする余裕は結局のところ存在しないのだった。


 結局、昼休みの間ほとんどを寝て過ごしたのだが、チャイムで目が覚めた時には睡と重が俺の方を見なかった。薄情な連中だと思ったが薄情さでは俺も睡以外に対しては大概なので文句の一つも言えなかった。


 午後の授業が始まる前に、俺は自販機でエナドリの一つでも買っておくべきだったと後悔した。眠気がクライマックスになり、強く意志を持っていないとすぐさま寝てしまいそうな有様だった。こんな事なら昨日は無理にでも早く寝るべきだった。隣がやかましいならイヤーウィスパーでも使えば済むだけのことだったのに、『眠れるだろう』などと安直な考えで布団に入ったことを後悔した。


 午後の授業は予習した範囲をなぞるだけの退屈なものだった。しかし退屈そうにするわけにもいかない、兄は妹の手本たらねばならないからだ。そういう事情から人生の時間をすでに知っていることに費やすことになった。現代文など日本語が読み書きできればいいと思うのだがその最低限が出来ない日本人がいるのだろうか? 識字率100%近い国で知っている言葉を勉強するのに時間を費やすのは無駄に思えた。


 しかし現文の教師はそんなことは微塵も気にしていないのか、あるいは自分の偉大な知識を下賜したいのか――あるいは両方か――熱心に授業を進めていった。


 ようやく授業が終わった頃、その日のことで頭の中に残ったのは今朝食べたベーコンエッグが美味しかった事くらいだった。


「ふぁ……終わった終わった、睡、帰ろうか」


「れすね……ねむかったれす」


 俺と違って睡は本気で眠りについていたようだった。こりゃあまた授業のノートを見せる羽目になりそうだと思いながら帰宅の準備を進めた。


「睡ちゃん、私も一緒に帰っていいかな?」


「ダメです」


 重の問いに即答する睡、その問いかけへの返答には一切の眠気が感じられなかった。


「誠、構わないかな?」


「好きにしてくれ」


「決まりね」


 睡が俺の返答に割って入った。


「ちょ!!!! お兄ちゃん!?」


「あら、私は誠と一緒に帰るのであって睡ちゃんと一緒に帰るんじゃないわよ? 何か問題が?」


「あるに決まってるでしょうが! 私とお兄ちゃんの中に割って入ってこないでください幼馴染みだとしても妹の方が優先されるはずです!!」


 早口にそうまくしたてて、重に抗議するが俺がいいと言ったものを翻すのは難しいと判断したらしく、結局は三人で帰宅することになった。


 帰宅途中、何の変哲もない帰途だったのだが、睡は多少不機嫌で、重が俺に話しかけるたび機嫌を悪くしていったのだが、重の自宅への道との分かれ目に来たところで急に元気になって重を『気をつけて帰ってくださいね!』と気遣う余裕も出来てきたようだ。


 二人きりの帰り道、睡は突然手を握ってきた。俺も人の目も無さそうだしいいかなと思って握り返しておいた。ただし睡がこの暑いのに余計暑苦しくなるようなことをする意図が分からなかった。それでも睡も多少は暑いのだろう腕に抱きついてくるようなことはしなかった。


 帰宅後、睡は「お兄ちゃんの好きなカレーを作りますよ!」と言ってカレーを作り出したのだが、エアコンが効いているとは言え沸騰したお湯の入った鍋を前にしていたのにもかかわらず睡が一切汗をかいていなかったのは驚異的だと思った。


「ごちそうさま」


「はい、お粗末様でした」


「睡のカレーは美味しいな」


 俺はそんな他愛もない感想を口にした。


「その……お兄ちゃんが側にいてくれる限り作り続けますよ?」


 その言葉の真意は分かりかねたが、しばらくの間は食事の心配をしなくて良さそうなことだけは確かに理解できた。


 ――妹の部屋


「やっぱり重さんには注意が必要ですね」


 私は重さんを要注意だと判断しました。これに論理的な理由は無いのですが、まあ女の勘というやつですね。


 そうして私はお兄ちゃんが料理を褒めてくれたことだけを考えながら寝ることにしたのでした。

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