妹と留年の危機

「睡、お前マジで勉強した方がいいんじゃないか?」


 俺はそう話題を切り出した。コイツはやれば出来るやつだ、問題は『やらない』ということなのだが……


 ことの始まりは抜き打ちテストだった。睡は一夜漬けが得意だ。何が問題かと言えば突発的なテストに一切対応できないと言うことだ。今回のような抜き打ちで開催されるアクシデントには全く対応できないと言うことだ。


「お兄ちゃん、私はやる時はやる女なんですよ?」


「だったら常時やる気を出してくれないかな?」


「お断りですね、お兄ちゃんに関係のない話にリソースを割く気はしません」


 にべもない答えだった。ここで俺は考えた、『ご褒美』を与えればいくらでもコイツは頑張るだろう。しかし商品で釣って勉強をさせることが健全だとは思えなかった。


 睡が勉強しないというのは極論を言ってしまえば睡の問題だ。しかしだからといって放置していい問題には思えなかった。そこでいくつか考えた末にこう言った。


「睡の成績が悪いと俺よりランクの低い大学にしか行けないかもよ?」


 アメとムチだ。こう言った方がやる気を出すだろうと考えての俺の発言だった。しかしね無の方が一枚上手だった。


「その時はお兄ちゃんが私のレベルに合わせてくれればいいじゃないですか?」


 しれっと俺のレベルを下げれば問題無いと発言した、ボクシングの体重測定じゃないんだぞと言いたかった。問題無いことは分かっていてもそれと心配になるかどうかは全く別の話だ。同じ日に生まれた妹に『先輩』と呼ばれるような立場になどなりたくはない。睡の方はそれはそれで満更でもないのだろうが俺にとっては災難でしかない。そんな悪夢に打ち勝つために『勉強』が必要なんだ。


 そんなことを言ったところで睡がやる気にならないだろうことは予想がつくし、聞くまでもないことだ。ならばシンプルに一つの解決策を差し出そう。


「睡が勉強してくれたら……そうだな……何か一つ買ってやろう」


 睡はピクリを眉を動かして俺の提案に興味があると言った雰囲気を隠せなくなっていた。物欲――とてもシンプルな人の欲求に訴える方法をとってみたがどうやらそれは成功したらしい。


「ほほぅ……ちなみに何でもですか?」


「言っておくがお前が俺の財政を管理しているのは分かってるよな? もちろん『有限の』範囲で何でもだ。もしも中間テストでパーフェクトを取ったらエンタープライズ向けハイエンドルータを買ってくれとか言われても無理なのは分かるな?」


 睡はゆっくりと頷いた。我が家の財政大臣は俺の財布の事情だってしっかり分かっているはずだ。何しろちまちま仕送りの前借りをお願いしているのは他ならぬこの妹を相手に交渉しているのだから。


「ま、お兄ちゃんに大きな期待はしてませんよ! とにかくご褒美ありってことですね?」


「まあ平たく言えばそうなるな」


 睡は急に目を細めてやる気満々といった風に体に力を入れているのを感じた。俺は言ってから発言の意味をよく考えてみた。つい口を滑らせた失言のような気もしたが一度口から出た約束を再び口の中に収めることは出来ない。言ってしまった以上俺は『キャンセル可能期間』を過ぎてしまったのだ。


 睡が熱っぽい目でこちらを値踏みしている。自分で言うのもなんだが値踏みされて当然だろう、何しろ信用されるほどご立派なお金の使い方をしていないのだからこんな大盤振る舞いに疑いを持って当然だ。


 俺が純粋に睡の心配をしているというのは事実だ。しかしその問題に『ご褒美』という解決策を差し出すのはなんだか酷く間違っている気がした。『気がした』だけだ、まだそうなってはいない。例えば睡が気まぐれに俺にどこぞの国の通販サイトの安い品で手を打つ可能性がないわけじゃない。ただしその場合ねだられる物が何になるのかはさっぱり分からない。


「ではお兄ちゃん……」


 そうして睡は俺に対してさぞや高いであろう代償を要求しようとしている。債務に対する当然の権利の行使だ、そう『失言』には高いコストがかかるものだ、大抵の政治家だって失言一つで安易に失脚している。俺はそんなとんでもない権利を睡に与えてしまったのだ。


「何が望みだ? 宝石? まとも――社会的な――な場所での食事か? それとも最新のiPhoneか?」


 睡はかぶりを振って俺に違うと告げる。安心できないぞ、もっと高くつくかもしれないんだから。


「私はお兄ちゃんの時間が欲しいですね、時は金なり、つまりお兄ちゃんの時間を買いたいのですが……」


 予想外の提案に俺もたじろぐ、一体何をやらされるのだろう? 中世の奴隷が回している謎の車輪を一日回せと言われるかもしれないし、犯罪的な行為だって平気で言う奴だ。つまりは睡にとっては俺が捕まらない程度で自分に被害がなければ何をしてもいいというスタンスだ。


 そう言ったところで俺が言い出したことを翻すことは出来なかった。睡の目には確かな希望が宿っていて、もし俺がここで発言を撤回したなら二度と勉強なんてしないんじゃないだろうか? そう思わせるだけの信念を持った目で俺を見ていた。


「分かった、ただし俺が死んだり少年院に入る羽目になったりしない範囲で言うことを聞こう」


 睡はニコッと笑って俺に言った。


「大丈夫ですよ! お兄ちゃんは私と一緒にショッピングをしてくれるだけで構いませんから!」


 ショッピングときたか、なら何故始めから買って欲しいものをねだらなかったのだろう? そうした方がよほど早いし、まどろっこしいお願いにくるむ必要だって無いはずだ。


 そう考えた時にはもう睡は部屋を後にしており自室に戻っていた。悪いとは思いながらもこっそり覗いたところ机に向かって一心不乱に参考書をめくりボールペンを走らせていた。その様子はさながら何浪もしたかのような東大志願者のようだった。


 その様子を見ながら、何故睡がこうも熱心になるのかは甚だ疑問だった。その疑問が解けたのは翌日ランジェリーショップに連れ込まれるまで分からないのだった。


 ――妹の部屋


「うふふふふふ……ふへへへへへ……お兄ちゃんが何でもしれくれます……」


 最高じゃないですか! お兄ちゃんを恣に出来る! なんて素敵な響きなんでしょう!


 私は最高の一日を過ごすためにその日は熱心に勉強をしました。まだ具体的なプランは決まっていませんがお兄ちゃんには渡しに最高のご奉仕をしていただかなくてはなりませんね! フフフ……


 私はその夜徹夜をしました。もっとものところ、時間の大半を費やしたのは勉強ではなくお兄ちゃんとのデートプランのためにではあったのですが……

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