平日の過ごし方

 眠い……眠いけれども今日は水曜日、起きて学校に行くしかない日だ。窓の外ではじめっとした空気が日の光にあぶられてゆらゆらと陽炎が浮かんでいる。そろそろ表も十分に温かくなってきたこの頃、外出は憂鬱の極みだ。


 とはいえ平日の悲しさとして登校の必要があると言うことだ。暑いから登校しませんなどと言う暴論は通じないのが世の中の条理だ。まだ五月だというのにクソ暑くなってきていることがこれから先の苦行を感じさせて考えていると嫌気がさす。


「ダメだな……」


 考え込むとどうにも心が嫌な方向へと向かっていってしまう。さっさと着替えて顔でも洗って気を取り直そう。部屋を出て洗面所の向かう、湿気を肌で感じるほど湿度が高い。洗面台で水を顔に叩きつけると少しだけスッキリしたのでキッチンへと向かった。


 朝食はすでに用意してあり、トーストとピーナッツバターの瓶が置かれていた、珍しくシンプルだな。睡は朝食に割と力を入れているのにと考えていると俺の対面に睡が座った。何故かその前には何も置かれていない。


「睡、朝食は食べないのか?」


「はい、ちょっと食欲が無くて……なんか面倒なんで朝ご飯はコレで我慢してください……」


 そう答える睡の表情はぼんやりとしていて、目は焦点が合っておらず、頬はほんのりどころではなく赤くなっている。


「ちょっといいか?」


 俺は答えを聞かず睡の額に手をあてる。自分の額にも手をあてると明らかに睡に当てている方の手には熱が伝わってきた。


「ひゃう!! お兄ちゃん何をするんですか!?」


 そんな驚きの声は放っておいて俺は一言言う。


「お前、風邪ひいてるな?」


「え? らいじょーぶでしゅよ……ちょーっと目がぼんやり見えて、すこし頭がぽかぽかして、身体があついくらいですから……」


「それを風邪というんだよ」


 まったく、無茶をするのが好きなやつだな……


「部屋で寝てろ、後でお粥持ってくからな」


「へ!? お兄ちゃん、学校は?」


「休むよ、どうせ風邪がうつったって言っておけば検証なんてされないだろ」


「いいんですか?」


 どうせ俺が学校に行ったら家の中で何をするか分かったもんじゃない。俺の目の届く範囲に置いておきたいと思うのは過保護なのだろうか? なんにせよ、俺は風邪の妹をおいて学校に一人行くほど薄情ではないのだから休んでしまおう。


「ええ……はい、ごほっ……ちょっと体調が……はい……はい……」


 固定電話の受話器を置いてほっとする。幸い診断書を出せなどと細かいことはいわれなかったので、俺と睡の病欠は無事受け入れられた。あの担任だと欠席にうるさいかと多少尻込みしたが何のことはなくあっけなく受け入れられたのだった。


 コトコトとお粥を炊きながら久しく仮病など使っていなかったことを思い出す。そういえばあの頃は重が『睡ちゃんが心配だから私が看てる!』と言って聞かなかったことを思い出す。今は距離感は近くなったものの遠慮のなさが裏目に出ているところもある。出来れば仲良くして欲しいものだがな……


 そうこう考えているうちにできあがったお粥をお椀についでスプーンと一緒にお盆に載せて睡の部屋へ持っていく。そういえば睡の部屋に入る事ってあんまり無かったな……


 コンコン


 部屋のドアをノックすると『どうぞ……』と細い声が響いてきた。ドアを開けて中に入ると睡はベッドで寝込んでいた。


「お兄ちゃん……ありがとうございます……」


「いいって、ただし今朝みたいな無理はしないように! 体調が悪い時は正直に言えよ?」


「ははは……そうですね……お兄ちゃんがお腹を空かせるかと思ったので……」


「馬鹿にするな、数日間の食事くらいどうとでも出来るぞ」


「お兄ちゃんは頼もしいですね……ついでなので食べさせて貰えませんか?」


「しょうがないな……」


「へ!?」


「ほら」


 俺がお粥をすくって上半身を起こした睡の口へ運ぶ。自分で言っておいて顔を真っ赤にしながら口を小さく開けてスプーンをくわえた。


「美味しいです……お兄ちゃんはやれば出来るんですね?」


「まあな、俺は本気を出さないだけで本気を出したら結構いろいろ出来るぞ?」


 睡は苦笑しながら咳き込んで答える。


「出来れば私に頼って欲しいのであんまり本気を出さなくていいですよ」


 その答えに俺も苦笑しながら頷いてスプーンを運び続けた。お椀一杯のお粥が空になった頃、睡はぼんやりと意識をはっきりさせていないようだった。


「ほら、PLな。薬局で買えるようになって便利なもんだよまったく……」


 風邪など引かないにこしたことはないけれど、優秀な風邪薬がどんどん薬局で処方箋なしに買えるようになるのが悪いことではないと思う。ロキソプロフェンナトリウムもいろいろ薬局で売ってるし、保険証いらずで便利になったものだ。


 顆粒を渡して部屋を後にする。なんだか後ろ髪を引かれるような気がするが風邪を引いて寝込んでいる睡を起こすようなことをするのは良くない。風邪の時は寝るのが一番だ、風邪薬は症状を抑えるだけで治してくれるわけじゃあない。睡にはしっかりと栄養と睡眠を取って早く治ってもらわないとな。


 俺はアイスノンを冷凍庫から引っ張り出す。もともと俺の愛用品だったが、別に専用というわけでもない。使う必要があるなら睡に使ってもらえばいいだろう。


 タオルを巻いてひんやりとした塊を抱えて睡の部屋に入る。そこには『下着姿の』睡がいた……


「わわわあわ悪い! 脱いでるとは思わなかった!」


 バタンと扉を閉じて部屋を出る、少しして『入っていいですよ』と許可が出たので部屋に入る。


「お兄ちゃん、もうちょっと入る前に確認しましょうね?」


「ごめんなさい」


 弁解の余地もない。


「まあ汗を拭いていただけですし……私は別に構わない……」


「え?」


「なんでもないです……何か用があってきたんでしょう?」


「ああ、コレを枕に挟んで使ってもらおうと思って」


「ああ、氷枕ですか……これお兄ちゃんが小さい頃よく使ってたやつですね、物持ちがいいですねえ……フフフ……」


 笑いながらそれを受け取って枕の上に置いてその上に頭を載せる睡。


「気持ちいいですね。今日はコレを私のものにさせてもらいますね?」


「ああ、そのつもりで持ってきた」


 そう言ってもう眠ってもらおうと部屋を出る時に『ありがとうございます……』と聞こえたような気がしたのは気のせいだっただろうか?


 そうして無事眠り込んだ妹は翌日にはすっかり元気になっていたのだった。


 ――妹の部屋――少し前


 ヒャッフューーーーーー!!! お兄ちゃん愛用の枕ですよ! コレはもうお兄ちゃんと寝ていると言ってもいいのでは!?


 いけません、興奮で熱が出てきました……


 お兄ちゃんの使っていた枕を使えるとは、ものを大事にするのも悪いことではないですね……


 ひんやりとした冷気が後頭部と首元に伝わってきて気持ちがいいです……コレは寝てしまいますね……


 こうして私はお兄ちゃんの思い出とともに眠りについたのでした。

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