平日の過ごし方アナザー

 頭が重い……視界がぼやける、身体の奥から熱気が湧いて出てきている。まったく……人のことは言えないものだな……


 要するに俺は現在風邪に苦しんでいる。風邪を引いた理由はおそらく睡から移ったのだろう。しかし、その事を言うとアイツは心配するに違いない、アイツはそういう奴なのだ。


 朦朧とする意識をはっきりさせるために洗面所で冷水を顔に叩きつける。いつもなら意識がはっきりとするところだが今日はどうにも視界と同じくぼやけて見える。足がふらついて転びそうになる、踏ん張って何とか気力だけで踏みとどまる。


 何度か水を浴びて顔の赤さを誤魔化す、熱があることばかりは誤魔化しようがないが、それについては触れられなければ悟られることもない。昨日、仮病で休んだというのに今日は本当に休んだ方がいいのかもしれない。だが、睡に心配をさせるわけにはいかない。


 キッチンに歩いていくと睡が元気そうに待っていた。


「お兄ちゃん! 遅いですよ?」


「ああ、悪い悪い」


 呑気に見える返事をする、喉が痛いので出来るだけ口をきく回数を減らす。コレがおそらく睡からうつった風邪だろう事からもう一度睡にうつることはないはずだ。ならば心配をかけないことにだけ集中しておけばいい。


「お兄ちゃん、もしかして風邪を引いてますか?」


「え!? いや……その……」


 見抜かれた!? 俺はできる限りの取り繕いをしていたはずなのに、コイツは一目見るなりその誤魔化しを一目見ただけで気づいたというのか……


「なんで分かったのかって顔してますね……? そりゃあ分かりますよ、何年妹やってると思ってるんですか? それに汁物ばかり食べてますよね? パンが食べづらいんでしょう? お兄ちゃんは昔から喉をやられることが多いですね、扁桃腺を切っておかないからそう言うことになるんですよ?」


「手術までやるようなことでもないだろう……」


 喉が痛くてあまり喋ることが出来ないが、扁桃腺が腫れているせいだろう。よくここを煩う人は手術で切り取ってしまう人もいるらしいが、俺はメスを入れてまで根治しようとは考えていない。


「何にせよ、大したことはないから気にせず学校に行ってくれ」


 睡はこちらを真剣な目で見て返事をした。


「昨日お兄ちゃんが私を看病してくれたんですよ? まさか私が今日登校するほど薄情な人だとお兄ちゃんは私のことを思ってるんですか?」


 やっぱりこうなるか……だから風邪のことを知られない方がいいと思っていたのだが、どうにもそう簡単にはいかないらしい。


「はい……体調が悪いので……はい……はい」


 睡は電話をしている、相手はもちろん担任だ。『ご迷惑おかけします』と一言言って電話を切る。俺の方に向き直って微笑んだ。


「お兄ちゃん! 今日は二人揃ってお休みですよ! しっかり看病しますからね!」


 笑いながらそういう睡には昨日の風邪を引いていた様子は微塵も感じられない。風邪はうつすと治るというのは本当なのだろうか?


「ささ、早くベッドに入ってくださいね? 添い寝もしてあげましょうか?」


「添い寝は看病と微塵も関係ないよな?」


「お兄ちゃんは細かいことを気にしますね……私はお兄ちゃんを看病したいんです!」


 言いだしたら聞かないのが睡なので俺にとやかく言うことは出来ない。俺は観念して部屋に戻っていった。ぐらつく頭を抑えながら机の引き出しからアスピリンアセチルサリチル酸を取り出す。PLは昨日の睡に寝る前に与えた一方で最後だった。まあいい、どのみち寝るしかないのだ、頭痛が治まればなんとか眠ることは出来るだろう。


 残念な点を言えば、昨日アイスノンを睡に使ったので今朝は全く冷えていない、だからこそ解熱鎮痛剤を使用するのが一番効率がいい方法だ。


「お兄ちゃん! お粥ですよー!」


 そうこうしていると睡が朝食のお粥を持ってきた。喉が痛いので朝食はスープばかり飲んでいたので栄養のあるものはあまり食べられなかった。


「はい、どうぞ」


 睡は上半身を起こした俺の口にスプーンを運んでくる。


「いや、自分で食べられるし……」


 睡は不満そうに答える。


「お兄ちゃんは私に食べさせてくれたんです、私が食べさせてあげる権利があるとは思いませんか?」


 その曇りのない目で睨まれるとどうにも断りづらい。結局俺はお粥を茶碗一杯睡に食べさせてもらったのだった。


「さて、お兄ちゃん! 汗をかいたでしょう? 身体を拭いてあげましょうか?」


「いや、別に汗はかいてないよ、俺は風邪をひいても汗をかくことは少ないんだ」


「えー……」


 残念そうな睡だが、妹にそこまで面倒をかける兄というのは良い兄ではないだろう。多少の汗はかいているが我慢出来るレベルだ。やせ我慢だがコイツに面倒をかけるのは本意ではない。


 昨日睡を看病したことを思い出していると、眠気が次第にやってきた。アスピリンはPLと違って眠気を催す作用はないはずだが、昨日少し無理をしたせいだろうか、抗いがたい眠気が俺にのしかかってきた。


 そうしてしばらく経ったのだろう、意識が覚醒してきた。頭がひんやりしている、アスピリンは解熱こそするがこのように体温以下に冷たくはならないはずだ。手をおでこに伸ばしてみると冷たくて水気のある布に手が触れた。


 それは冷たい水を含んだタオルだった。


「お兄ちゃん、起きましたか?」


「ああ、このタオルは……?」


「私だってこれくらいはできますからね?」


 そう言って自慢げに氷の浮いた水の入った洗面器を指さす。


「ありがとう、もう大丈夫だ」


 俺は眠っている間、ずっと睡がタオルを交換してくれていたのだろう。睡の手は少し赤くなっていた。いくら暑くなってきたとはいえ、氷水に手を浸すのはつらいことに変わりないだろう。そこまでしてくれた睡に感謝と申し訳なさを感じた。


「お兄ちゃん、大人しく寝ててくださいね、それと……」


「なんだ?」


「私はお兄ちゃんの看病ができてなかなか満足してるんですよ?」


「ハハッ……ありがとな、本当にありがとう」


 はにかみながら睡は顔をとろけさせる。言葉にうそ偽りが無いことを感じて今日だけはコイツに甘えても良かったなと感じるのだった。


「お兄ちゃん、出来れば今晩もこうしてあげたいところですがそろそろ限界なのでアイスノンも冷えてきましたし、それで寝てくださいね」


 窓の外は夕焼けに染まっている。自分でもここまで寝ているとは思わなかったので少し驚いた。


 そうして再びアスピリンを飲んで睡の持ってきたアイスノンを頭の下に敷いて眠りについた。


 今日は睡に借りができたな……そう感じながら眠ることになった。


 ――妹の部屋


「へへへ……お兄ちゃんが私を頼った! なんて良いことなんでしょう!」


 しかも私が一晩敷いていた枕で眠ってくれる! コレはもう私とお兄ちゃんが一緒に寝ていると言っても良いのでは!?


 とはいえ、私は少し心が重くなっています。何故ならお兄ちゃんが風邪をひいたのはきっと私のせいだからです。お兄ちゃんは優しいので私のせいだなんて絶対に言いませんが私以外の誰のせいでもないのは明らかです……


 お兄ちゃんの看病を必死にしたのはそれが多少の理由でもあります。


 お兄ちゃんは私に何をされても文句一つ言わないでしょう、しかしそれは愛と呼ばれるものとは違うと私は考えています。


 いつかお兄ちゃんに愛情を注いで貰えるように、私は今日もお兄ちゃんに貸しを一つ作りました。

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