第22話 ライロックの思惑

 クレイ族の街は、湧きかえっていた。

 勝利の喜びに、人々の顔には笑顔が絶えなかった。戦いで大切な人を失った者も、心を落ち着かせ、笑顔を見せるようになっていた。

 あの決戦の日の翌日。街の中央の広場で、盛大な宴が開かれていた。

 これ以上ないくらいの料理が並び、楽器がけたたましく鳴っている。白い民族衣装を着た娘たちが、陽気に踊っていた。

 ロードたちが初めて来た日にも宴があったが、今度の宴は、それとは比べものにならないほど大規模で、賑やかだった。

 今回の勝利は、いつもの勝利とは違う。まさに部族が一丸となって、部族の民全員で掴み取った勝利なのだ。だから、人々の喜びもひときわ大きい。その喜びが、宴の雰囲気に反映していた。

「いてっ! いてて…いてえよ…!」

 ロードが、情けない声を上げる。痛みに顔が歪んでいた。

 宴の席から少し離れた、広場の隅に腰を下ろして、ロードは上半身裸になっていた。左肩から胸にかけて、包帯が巻いてある。ローラはそれを、せっせとほどいてゆく。

「いてててっ! もう少しゆっくり…! おい、ててっ!」

 包帯は、左肩から始まって、胸から脇を通り、背中を回ってまた肩に戻っている。そのため、包帯をほどくには、どうしても左の脇を少し上げなければならない。ロードはその度に走る激痛に、悲鳴を上げているのだ。

「もう少し我慢して。もうすぐ、全部ほどけるから」

 ローラはロードの悲鳴を無視して、包帯をほどき続ける。作業が終わった頃には、ロードの目には涙が滲んでいた。

「良かった…傷口が塞がりかけてる」

 ロードの左肩を見て、ローラが言う。

「でも、骨に当たらなくて良かったわね。貫通しちゃったんでしょ、あの人が撃った矢」

「あ、ああ…」

 ロードは少しでも痛みを和らげようと、傷口に息を吹きかけていた。その姿はローラから見ると、何となく滑稽だった。

「フフッ」

「…何だよ?」

 ロードが、ちょっと不機嫌そうな顔をする。理由もわからず笑われるというのは、決して気持ちのいいものではない。

 ローラはもう一度クスッと笑った。

「だって、全然違うんだもの、昨日のロードと。昨日はあんなに逞しかったのに、今日のロードったら、てんで情けなくって」

 それを聞いて、ロードはたちまち憮然とする。

「仕方ねえだろ。痛いもんは痛いの」

「だったら、そんな怪我をするほど無茶しなければ良かったのに」

 ローラは、消毒液の入った瓶を手に取った。

「無茶しなきゃ、奴には勝てなかったんだよ…ぎゃあっ!」

 消毒液が傷に染みて、鋭い痛みが左腕を駆け抜けた。ロードは思わずのけぞる。

「もう、いちいち大袈裟ね」

 ローラはまた笑った。

「いつもそうね。手当ての時になったら、ロードは子供みたいになるんだから」

「…そうか…?」

「そうよ」

 ローラはそう言って、ガーゼに薬を塗って、ロードの左肩に当てた。そして、新しい包帯を巻き始める。

「でも、終わったね」

「うん?」

「この戦い。やっと終わった」

「ああ…終わったな」

 ロードは、相変わらずの青空を見上げた。風が暑く、太陽が眩しい。

 広場に目を向けると、人々が笑顔を絶やさず宴を楽しんでいた。

 その中でカールスは、一匹狼を気取っておきながら、髪の短い少女と楽しげに話し込んでいた。ロードは、それ見たことかという気持ちになった。

 バドは、カインやブロイと共に、酒を呑んでいる。赤らめた顔をして、陽気にお互いを小突き合ったりしている。心の底から勝利を喜んでいるようだった。

「もう、来ないかな…?」

 ふと、不安げにローラが言う。

「ワーム族。族長とファウストは死んだけど、ワーム族はまだ残っているでしょ?」

「そうだな…新しい族長が立てば、また来るかも知れないな。けど、もう大丈夫だろ。自分たちの街を、みんなで守ることを知ったんだ。またワームが来たって、負けやしないと思うぜ」

「そうね…ずっと、守っていけるよね」

 ローラは、安心したように微笑んだ。

「じゃあ、あたしたちは、もう用無しね」

「ああ。もう俺たちがいなくても大丈夫だ。俺たちの役目は終わったよ」

「どうするの、これから?」

 包帯を巻きながら、ローラが尋ねる。

「宝探しに出るの?」

「ん、んん…」

 ロードは少し黙って、空を仰いだ。

「…ロード?」

「もう一つ、やることがあるな。宝探しは、それを片付けた後だ」

「…やること?」

 ローラは、怪訝な顔をロードに向ける。

「そのうち、わかるさ」

 ロードは、フッと笑って言った。



 宴の中で、ライロックはミルクの入ったカップを持ち、うつむいていた。

 周りの賑やかさとは無縁な、少し陰りのある様子だった。

「…どうしたんです、王子?」

 隣に腰を下ろしていたセレナが、ライロックの顔を覗き込んだ。

「ん…な、何か言ったか、セレナ?」

 ライロックがハッと顔を上げる。物思いに沈んでいたようで、セレナの声に気づくのが遅れたらしい。

「何だか、浮かない顔ですね。どうかしたんですか?」

「ん、うん…」

 ライロックは曖昧に返事をして、またうつむく。

「…?」

 セレナは、不思議そうにライロックを見つめていた。

 ライロックの心は、この場にはなかった。遠く宇宙を越えて、ライロックの心は自分の故郷、ユーフォーラ星に戻っていたのである。

 今、ユーフォーラはどうなっているだろうか。あの日、エルマムドの手を逃れて宇宙に出て、もう二十日が経つ。ユーフォーラの民は、どんな暮らしをしているだろうか。エルマムドの支配の下、苦しい生活を強いられてはいないだろうか。

 ライロックは、それが気がかりでならなかった。

 待ってはいられない。王たる才覚を身につけるまで待ってはいられないと思った。

 一刻も早く、ユーフォーラに戻らなければ。そしてエルマムドを倒し、民を救わなければ。

 ライロックの決意は、さらに固くなっていた。

「セレナ」

 ライロックは、真剣な表情をセレナに向けた。

「…はい?」

「話があるんだ。来てくれ」

 ライロックはカップを置いて立ち上がり、宴の場を離れた。セレナは、首を傾げてそれに続く。

 二人は、ロードたちがいる場所とは反対側の、広場の端まで来た。ライロックはそこで立ち止まり、セレナを振り返る。その瞳は、厳しかった。

「…何のお話ですか、ライロック王子?」

 セレナは、少し戸惑いながら尋ねた。

 ライロックは、真っ向からセレナの瞳を見つめた。セレナの表情が固くなる。

「…ど、どうしたんです? さっきから、少し様子が変ですよ?」

「ユーフォーラに戻る」

 唐突に、ライロックは言った。あまりに突然だったため、セレナは、ライロックが何を言ったのか理解できなかった。

「な…今、何て…?」

「帰るんだ、ユーフォーラに」

「何ですって…?」

 セレナは少しの間、呆気に取られた。まったく予期していなかった言葉だったのだ。

「ユーフォーラに帰る、とは、すぐにですか?」

「そうだ。今すぐにでも戻って、エルマムドを倒す」

 ライロックの表情は、真剣だった。冗談を言っているようには思えない。

「突然、なぜ…?」

「私はもう、敗北者でいるのは嫌なんだ!」

「敗北者…?」

「そうだ。一度国を逃げ出した私は、敗北者だ。エルマムドに負けた、敗北者だ」

「ライロック王子…」

「私は、もう嫌だ。今もユーフォーラの民が苦しんでいるかも知れないというのに、王子だけ逃げ回っている。こんなに滑稽で情けないことはない。私は帰らなければならないんだ」

「いけません!」

 セレナは血相を変えて声を上げた。

「今はまだ、その時ではありません! 陛下が仰っていたではありませんか! 今は逃げて、時を待てと!」

「それでは、いけないんだ!」

 ライロックは激しく叫んだ。セレナが思わず身を引く。ライロックの顔は、見たことがないほど厳しかった。

「いけないんだよ、それでは…!」

 ライロックは両拳を握り、震わせた。

「バドさんを見て、思ったんだ。民の指導者たる者は、逃げてはいけない。民の先頭に立って、戦うべきなんだ。襲い来る脅威に、真っ先に立ち向かうべきなんだよ…!」

「しかし、今の王子の力で、エルマムドを倒せますか?」

 セレナは、あえて鋭い質問を浴びせた。どうしてもライロックを止めたかったのである。ライロックはまだ子供だ。慌ててエルマムドに戦いを挑んだところで、返り討ちにあうのが落ちだ。何としても、それだけは避けなければならない。ライロックが死んでしまったら、自分たちを命懸けで逃がしたストーラ王の気持ちを、踏みにじることになるからだ。

 案の定、ライロックは言葉に詰まった。

「エルマムド一人なら、どうにかなるかも知れません。ですが、敵はエルマムド一人ではないのですよ? 王城に攻め込んで来た、謎の兵士たち。エルマムドと戦おうとするなら、その者たちとも戦うことになるでしょう。そうなったら、王子と私だけでは、とても立ち向かえません」

「…」

 ライロックは、じっと足元を見つめていた。セレナは続けた。

「国王陛下があなたを逃がした理由は、あなたが子供だということだけではありません。エルマムドと対等に戦うには、奴の軍勢以上に強力な味方が必要だとお考えになったのです。陛下はその味方を集めることを、あなたに託されたのですよ? 宇宙に出て、強力な軍隊を結成し、エルマムドと戦う。陛下は、それを王子に期待していたのです」

「わかっている。だが…」

「民を苦しませる訳にはいかない、ですか? 民は耐えてくれます。国民は皆、きっと信じています。王子が帰ってくることを。その日まで、国民は何があっても耐え抜いてくれるでしょう」

「そうかな?」

 突然、別の声が割り込んできた。セレナとライロックが、声のしたほうを見る。そこには、ロードとローラが立っていた。

「ロードさん…」

「民衆は、そんなに我慢強くないぜ」

 ロードが言った。

「みんながみんな、ライロックを待ち続けているとは限らない」

「そ、そんなことは…」

「人間には、我慢の限界ってものがあるんだ。あんまり待たせちゃ、ライロックも信用を失うな」

「…」

 今度は、セレナが言葉を失う番だった。ロードの言葉は、あながち間違っているとは言えなかったのだ。

「あたしも、戻ったほうがいいと思う。国民を一刻も早く幸せにしてあげることが、王の務めじゃないかしら」

 穏やかな口調で、ローラも言った。

「しかし、まだ、私たちには強い味方が…」

「味方なら、ここにいるだろ?」

 ロードが言った。え、とセレナは目を瞬かせる。

「ロードさん…」

 ライロックが、嬉しそうに瞳を輝かせた。

「ユーフォーラに、来てくれるんですか?」

「ああ」

 ロードは、照れたような笑みを浮かべ、頷いた。

「お前には、でっかい借りがあるからな。シュルクルーズでファウストと戦った時、助けてもらったっていう借りがな」

 ローラはロードの隣で、悪戯っぽく笑った。

「可笑しいでしょ。本当は、厄介事に巻き込まれるのが大っ嫌いなのよ」

「借りは返す。それが義理ってもんだ」

 ロードが憮然とした顔をローラに向けた。ローラは肩をすくめて、小さく舌を出す。

「とにかく、行こうぜ、ユーフォーラへ」

「ロードさん…!」

「ま、待って下さい! ロードさんたちが来てくれたとしても、まだ軍隊とは言えません。もっと味方を集めないと…!」

 セレナが主張する。彼女はあくまでも、ストーラ王の意志に従おうとしているようだ。

「エルマムドの軍勢は強力です。私たちだけでは、とても…!」

「なあに、心配ないって」

 ロードたちの背後から、また違う声が飛び込んできた。見ると、褐色の肌の少年、カールスがいた。今の話をすっかり聞いていたようだ。

「何も、正面玄関から堂々と戦いを挑む必要なんかないんだ。要は、そのエルマムドって野郎を始末すればいいんだろ? なら、少数精鋭で充分だぜ」

「カールス…?」

 ロードが、不思議そうな顔をカールスに向ける。

「お前…」

「俺はお前に借りがあるんでな。手伝うぜ、ロード」

 カールスは親指を立てて、片目をつむってみせた。

「カールスさんまで…」

 ライロックは、驚きと感謝の入り混じった表情をしていた。

「セレナ、そういうことで、どうかな?」

「俺たちで、エルマムドを暗殺するってわけた。これなら、軍隊なんか必要ないだろ?」

 ロードとカールスは、同時にセレナを見た。セレナは、迷っているようだった。

「しかし、王子はまだ子供で、王として即位するのは…」

「早すぎるか? 俺は、そうは思わないな」

 ロードが言った。それからライロックの横に立って、その頭をポン、と叩く。

「ライロックにはもう充分に、国王の資格があると思う。こいつは、自分のことよりも、国の民のことを思ってる。それだけで、充分じゃねえかな?」

「それは…」

「結局、国王に必要なのは、国民を思う心じゃねえかな? 政治の腕なんか、二の次だ。それこそ、セレナが助けてやれる。今戻っても、ライロックは立派に国を治められると俺は思う」

 ロードが、セレナの目を真正面から見つめた。同じように、ローラとカールスの視線も注がれてくる。

「…」

 セレナは、ライロックを見た。ライロックの瞳は、相変わらず決意に満ちている。

 セレナは、これ以上の説得は無駄だと理解した。もう何を言っても、ライロックは考えを変えることはないだろう。セレナは、ふう、と息を吐いた。

「…わかりました。王子に従いましょう」

「セレナ!」

 ライロックが顔を輝かせ、セレナに駆け寄った。澄んだ瞳で、一言、

「ありがとう」

と言った。

「いえ…ロードさんたちの言うことももっともですし、王子は、一度言い出したらききませんから」

 セレナは、皮肉っぽく笑った。むろん、悪意はない。ライロックも笑った。

「よし、決まったな」

 ロードとローラは顔を見合わせ、微笑んだ。カールスは、大きく頷く。

「そうと決まったら、早速アルークの修理だ。ロード、手伝ってくれ」

「手伝う? 俺が?」

 ロードが、ニヤリと口角を吊り上げた。

「部品は売ってやるけど、修理を手伝うなんて言ってねえぞ?」

「へ…」

 カールスは、拍子抜けしたような顔をした。当然、ロードが手伝ってくれるものと思っていたのである。

「おいおい、一人で宇宙船が直せるかよ。手伝ってくれるんだろ、ロード」

「んー…」

 ロードが、わざと考え込む仕草をする。横目でチラリとカールスを一瞥した。意地悪そうな視線だった。

「どうするかな…。どうしても手伝ってほしいってんなら、手伝わないこともないけどな」

「ロード」

 ローラが何か言おうとしたが、ロードはそれを片手で制した。

 カールスはロードの言わんとしていることを理解し、不機嫌そうに、

「何が条件なんだ」

と尋ねた。

「そうだな…とりあえず、五割だ」

「五割? 何の五割だ?」

「とぼけんなよ。お前は、こんなところに遊びに来たんじゃねえんだろ? お前がここで見つけた財宝の五割だよ」

 ロードは、期待を込めた目でカールスを見ていた。だがカールスは、困ったような顔をする。ロードがそれに気づいて、どうしたのかとカールスに一歩詰め寄った。

「どうした、おい? 見つけたんだろ、お宝を?」

「…」

 カールスは、黙っている。ロードがもう一歩近寄ると、カールスは小さく言った。

「…見つかってないんだよ…」

「へっ?」

 ロードが素っ頓狂な声を上げる。そして、カールスの胸倉を掴んだ。

「見つかってないって、どういうことだよ、おい!」

「砂嵐に巻き込まれたのは、探しに行く途中だったんだ!」

「何だって! じゃあ、俺は報酬もなしでワームと戦ったのか!」

「何い? お前、金が目当てで戦ってたのかよ!」

「当たり前だ! 誰が無料で命懸けで戦うかよ!」

「何だと!」

 ロードとカールスは、お互いの鼻がくっつくほど顔を突き合わせた。目を大きく見開いて、睨み合っている。

「また始まったわ…」

 呆れた顔で、ローラが言った。ライロックとセレナは、呆然と二人のやり取りを見ている。

「仕方ないな…」

 ローラは、声を荒げて言い争うロードとカールスのところに歩いて行って、息を吸い込み、耳をつんざくほどの声で叫んだ。

「やめなさあーいっ!」

 ロードとカールスが、ビクリと肩を震わせ、口を閉ざす。

 あまりの声に、宴で盛り上がっていたクレイ族の人々も、驚いてこちらを見た。が、ローラはまったく気にした風もなく、言葉を続けた。むろん、大声で。

「まったく、いい加減にして! ロード、あなた欲が深すぎるわよ! カールスはあたしたちに協力してユーフォーラに来てくれるって言ってるんだから、無料で手伝ってあげて!」

 ローラのあまりの剣幕にロードは圧倒されてしまい、思わず、

「は、はい…」

と、素直に頷いてしまった。

「素直でよろしい」

 ローラはニッコリと笑顔を浮かべた。

 カールスは、ローラがロードを説得してくれたことをありがたく思いながらも、女というものは恐ろしいと考えていた。

(俺も女ができたら、あんな風に言いなりになっちまうのかな…)

 もちろんローラは、ロードを言いなりにしようなどと思ってはいない。ロードの意地悪な考えを正そうとしただけである。

 カールス・デイ。勘違いの多い十七歳であった。

「これで解決ね、ライロック君」

 ローラが微笑む。その横には、不平そうな顔のロードと、何か小声でぶつぶつ言っているカールスが立っている。

 ライロックは、本当に一番強いのはローラなのではないかと、冗談混じりに思った。

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