第21話 血まみれの終焉
戦闘が続いている。
ここから見ていても、刀同士がぶつかる金属音が聞こえてきそうだった。
クレイ族の男たちは、よく戦っている。ワーム族を、ほとんど街に寄せつけていない。
戦いが始まった時から今まで、ワーム族は十人もここまで到達していない。それどころか、逆にワーム族を南へ押しやっている感さえある。
戦いは、クレイ族に有利に進みつつある。防壁の裏から戦いの経過を見守っていた女たちは、そう確信していた。このまま行けば、ワーム族を撃退できる、と。
ローラにも、それはわかった。徐々にワーム族の戦士たちの数が減ってきている。もちろんクレイ族にも死者は出ているが、絶対数では、まだクレイ族のほうが上だ。はっきりとは言えないが、クレイ族が有利であろうと思われた。
それは、とても喜ばしいことであり、女子供は表情が明るい。だがローラは、胸の辺りが詰まるような思いに捕らわれていた。
嫌な予感がする。ロードの身に何か良くないことが起きているのではないかと、不安だった。
ローラは胸の前で両手を組み、目を閉じた。そしてじっと、ロードの無事を祈る。ローラの知っているありとあらゆる神々に祈った。
「ロード…無事でいて…」
それは、胸の奥から絞り出すような声だった。
「ローラ…さん…?」
ふと、誰かがローラの背後に立った。振り向くと、シーアがそこにいた。
「どうしたんですか? 顔色が良くありませんけど…」
「え? あ、うん…」
ローラは曖昧な返事をして、下を向いた。その仕草で、シーアはローラが何を考えているのか理解した。
「ロードさんのこと…ですか?」
ローラは驚いて顔を上げ、シーアを見た。図星だ。
「心配なんですね…」
ローラが黙って頷く。その肩は、どことなく弱々しかった。
「ロードは…帰って来るかしら?」
ローラが、自信なさそうに尋ねてきた。
シーアは少しの沈黙の後、微笑して言った。
「帰って来ますよ、必ず」
「必ず…?」
「ええ。信じてないんですか?」
「え…し、信じてるわ。信じてるけど…嫌な予感がするのよ」
ローラは、心配そうに戦場に目をやった。だがここからでは、ロードは見えない。それが、ローラの不安を煽っているのだろう。
「信じるしか、ないんじゃないかな…」
シーアがそっと言った。ローラがシーアを見る。
「あたしたちにできることは、信じること…違いますか?」
「シーア…」
シーアの微笑。ローラは、何となくホッとした。胸の詰まりが、少しだけとれたような気がした。
「そうね…。信じること…そうね」
ローラは、微笑んだ。心からの微笑みではないが、充分に綺麗だった。シーアは、ロードに相応しいのはこの笑顔だと思った。
ローラは心の中で、ロードに呼びかけた。
(勝って…)
と。
だがローラの願いは、神々に届いてはいなかった。
空中に、ロードが浮いている。ファウストの頭上二メートルくらいか。ヒート・ソードは手にしていない。それは砂の上に転がっていた。ファウストはロードに向けて右手を上げている。力んでいるのか、その手は震えていた。
と、ファウストが素早く右手を下げる。その動きに呼応して、ロードの身体は勢いよく地面に叩きつけられた。
「ぐあッ!」
背中を強打し、ロードは咳き込んだ。一瞬、呼吸困難になる。呼吸が戻ると、落下による激しい痛みが全身を駆け巡る。
「ぐ…つっ…」
ロードは痛みに呻いた。それを、ファウストは愉快そうに見つめている。
右手はロードに向けられたまま。ファウストの魔術は、未だロードの身体の自由を奪っていた。
テレキネシス。直接触れることなく物体を自在に操る超能力だ。ファウストはこれを使い、ロードを空中に持ち上げては地面に叩きつけているのである。もう、十回目になるか。ロードの頭からは血が流れ、全身から脂汗が吹き出していた。息は荒く、口の中に酢のような味が広がっていた。
限界だった。ロードの身体は、もう悲鳴を上げている。身体の中で、痛くない場所などもはやどこにもなかった。
だが、ロードはまだ戦意を失っていない。敗北を痛感しながらも、ロードのプライドが降伏することを許さなかったのだ。
ロードは砂の上に仰向けに倒れたまま、ファウストに鋭い目を向けていた。
「フン…まだそのような目を私に向けるのか。よほど死にたいらしいな」
ファウストが、歪んだ笑みを浮かべる。
「ならば、望み通り、楽にしてやろう。そろそろサンドゴーレムを呼び出さねばならんしな」
ファウストの右手が、再び上に向く。ロードの身体も、また浮き上がった。そしてロードがファウストの頭上二メートルほどのところまで到達すると、ファウストは右手を強く握り締めた。
その瞬間、ロードの身体は弓型に曲がった。強烈な力が、頭と脚を上から、背中を下から押しているのである。
「ぐおああああ!」
ロードは絶叫した。身体が腰から半分に割れそうだった。
「ロードさん!」
バドの声が聞こえる。バドは未だ、ベルツーアと刀を交えていた。ベルツーアは笑っている。
「そのまま死ぬがいい…!」
と、ファウスト。右手に、さらに力を込める。
「ぎゃああああ!」
「ロード!」
第二戦場から主戦場まで戦いの場を移動してきたカールスが、空中で身体を折り曲げられているロードの姿を見つけた。
だが、助けに行くことはできない。今カールスは、三人の敵を相手に戦いを展開していたのだ。敵はカールスを囲み、牽制の突きを見舞ってくる。ちょうどセレナが囲まれた時のように、敵はカールスの動きを封じるつもりなのだ。
「ちくしょう! てめえら、邪魔なんだよ!」
カールスは、すぐに助けに行けないこの状況を呪った。
「あ…ぐ…あああ…!」
激しい痛みの中、ロードの意識が薄れる。自分を呼ぶバドの声が遠くなる。
(俺は…死ぬのか…)
ロードが、声にならない声で呟いた。
(あの手…ファウストの手さえ、何とかすれば…)
ロードは、今更ながらに気づいていた。ファウストの魔法の発動が、すべて手を通して行われていたことに。ならばあの手を切り落とせば、ファウストは魔術を使えなくなるのではないか。
だが。
(今更、遅いか…俺はもう、死んじまうんだからな…)
ロードは、とうとう諦めた。戦意を失った。もう、どうでもいい。早く死んで、この苦しみから解放されたい。そう思った。
だが、その時。
ロードの頭の中に、ローラの悲しげな顔が浮かび上がった。と同時に、悲痛な叫びが聞こえてくる。ローラの、ロードを呼ぶ声だ。
「ローラ…!」
途端、ロードの心に、生きることへの執着が湧いた。死にたくない。いや、死ぬわけにはいかない! ローラに、悲しい思いはさせられないんだ!
「ローラァ!」
ロードの叫びが、声になった。
「うおおおおおーッ!」
ローラへの想いを原動力にして、ロードは、全身に力を込めた。弓型に曲がったままの身体が、震えだす。痛みが身体中を駆け抜けるが、構わない。ロードは、残されたありったけの力を込めて、この呪縛から逃れようとした。
「ぬ…ぬうッ!」
ファウストの右手が、徐々に開いてゆく。本人の意志ではない。ロードの抵抗が、ファウストの呪縛を打ち破らんとしているのだ。
人には誰しも、魔力がある。精神力といっても良い。それを極限まで高めることで、相手の魔法を打ち破ることが可能になるのだ。今ロードの精神力は、異常な高まりを見せていた。本人に自覚はない。闇雲に力を込めているだけだ。だが確かに、ロードの精神力は急激に高まっていた。
それを正確に理解していたのは、ファウストだけだった。ファウストは大きく目を見開き、そして喘いだ。
「想いの力が…奴の魔力を高めているというのか!?」
ファウストは必死で右手を閉じようとするが、今はロードの抵抗のほうが強かった。ファウストの意志に反して、右手が開いてゆく。
「こんな…こんなことが…馬鹿な!」
「死んでたまるかああッ!」
ロードの叫び。砂漠を震わせるほどの叫び声だった。バドやベルツーアにはもちろん、カールスにもそれは聞こえた。直後、ファウストの右手が弾かれるように開き、ロードの身体は自由を取り戻した。ロードは砂の上に落ち、ゆっくりと立ち上がった。その顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。
「ば…馬鹿な…」
ファウストは、狼狽した。自分の魔法が打ち破られるなど、初めてのことだったのだ。しかも、魔力の使い方も知らぬこんな小僧に。信じられない。いや、信じたくない事実だった。
「へへ…ようやく自由になったぜ…」
ロードは足元に転がっていたヒート・ソードを拾い、柄のスイッチを押した。
ブン、とヒート・ソードに赤い輝きが戻った。それは、ロードの戦意の復活を意味するものでもあった。
「ファウスト!」
ロードは走り出した。ファウストに向かってではない。ファウストの周りを全力で走り始めたのだ。時折、急停止やターンも混ぜて。
「く…ぬうッ!」
常に、そして不規則に動き回るロードに、ファウストは狙いをつけられずにいた。向けた手の直線上に標的がいなければ、魔法は標的にかからないのだ。ロードは、それを察知したのである。
「おのれェ!」
ファウストは衝撃弾を連発する。白い光球が迸り、砂に着弾して砂塵を巻き上げる。だがそれはロードには当たらず、ファウスト自身の視界を遮っただけに過ぎなかった。
「どこだ…どこにいる!」
ファウストは周囲を見た。だが見えるのは、舞い上がる砂埃だけだった。
その時──。
砂塵の中から、激しく回転するヒート・ソードが飛び出した。ファウストの背後だ。ファウストは振り向いて目を丸くする。咄嗟に防御しようと腕を上げたが間に合わず、高熱の刃はファウストの右手首を切り落とした。
「ぬおおおおッ!」
手首から血を噴き出し、ファウストは絶叫した。血糊が砂に落ちる。
「ぐあううう…!」
ヒート・ソードは回転しながら弧を描き、持ち主の手に戻った。持ち主──ロードは、チャンスとばかりにファウストに向かって突進した。
「うおおおおッ!」
「ぐ…!」
ファウストは痛みをこらえ、残った左手を突き出した。掌が輝き、そこから光の矢が飛び出した。矢はロードの左肩を貫いた。しかしロードは速度を緩めない。肩を染める血をも、まったく気に留めない。その鋭い瞳は、ファウストだけを捉えていた。
「お、おのれェ!」
ファウストは、今度は衝撃弾を放とうとする。掌が輝く。だがそれより早く、ロードの剣が一閃した。真紅に輝く刃がファウストの左手首を切り飛ばす。
「がああああッ!」
両手を失ったファウストは、悲痛の叫びと共に膝を折った。砂に額をつけ、苦しそうに呻く。
ロードは剣を下ろし、そんなファウストを見下ろした。
「ぐうう…!」
「終わりだ。負けたのはお前だ、ファウスト」
ロードは荒い息の中、静かに言った。
ファウストが負けた。
それは、ベルツーアにとっては衝撃的な事実だった。ワーム族を勝利へと導くはずの男が破れたのだ。
「ば…馬鹿な…」
ベルツーアは、大きく目を見開いていた。呆然と、ファウストのほうを見つめる。両手を失い、もはや魔法の使えなくなった魔導士を。
ベルツーアは、絶望した。ファウストがいなければ、この戦いには勝てない。現状からそれを理解していただけに、ファウストの敗北によって、ベルツーアの戦意は喪失した。だから、バドの刀がベルツーアの腹を切り裂いた時も、彼はまるでそれに気づいていないような顔で倒れていった。
「わ…私は…」
ベルツーアは、手を伸ばした。青い、限りなく青い空に向けて。
息絶えた時、ベルツーアは、自分の死を理解していないような表情だった。
「終わった、か…」
バドは、ふう、と息を吐いた。血と汗にまみれた身体を、風にさらして目を閉じる。
爽やかさと虚しさが、一緒になったような気持ちだった。
「私が…負けた…?」
ファウストは、砂の上に仰向けに倒れていた。その側に、左肩を力なく垂らしたロードが立っている。
「負け、か…どうやら事実らしいな…」
ファウストはそう言って、自分の手首を見つめた。血だらけの、手のない手首を。
「さあ、殺せ。お前の勝ちだ。私は、敗北者として生きながらえるつもりはない」
ファウストは、目を閉じた。両腕を広げ、無防備な姿を晒す。ロードは剣を逆手に持った。
「一つ、聞かせてくれ」
「…何だ」
「なぜ、ワーム族に味方した? 俺への恨みか?」
ファウストは少しの間、黙った。
「それもある」
ファウストは言った。
「だが、もっと大きな目的があった。ワーム族を支配下に置き、この大陸に存在するすべての部族を屈服させるのだ。そしてこの大陸を支配した後は、この星を、そして、最後には全宇宙を支配するつもりだった」
「…時間のかかる話だな」
半ば呆れるように、ロードは言った。
「時間は問題ではなかった。私には、無限の寿命があったのだからな…」
ファウストは、例の不気味な笑みを浮かべた。だがそれはすぐに咳に変わり、血反吐が宙を舞った。
「ゴホッ…フフ…だが、まさかこんなところで死ぬことになるとはな…」
ロードは、ファウストを哀れに思った。自分の野望に溺れた、哀れな男だと。
「さあ、殺せ! これ以上、私に生き恥をかかせるな!」
ファウストが叫ぶ。
ロードは、悲しい目をして。
ズッ…!
ヒート・ソードが、ファウストの心臓を貫いた。
乾いた砂の上で、魔導士は息絶えた。
ファウストとベルツーアが死んだことで、戦いは終結を迎えた。
バドはベルツーアの首を刀の先端に刺し、それを掲げて叫んだ。
「お前たちの族長は死んだ! 族長の後を追いたくなければ、抵抗を止めて去るがいい!」
この言葉をきっかけに、ワーム族は退却を始めた。中には族長の仇を討とうと斬りかかってきた者もいたが、クレイの戦士がバドを守った。
もう、戦っても無駄だ。勝ち目はない。ワームの戦士たちも馬鹿ではないから、それを悟ると、ある者はクウェイに乗り、ある者は徒歩で逃げ帰って行った。遠い、自分たちの街へと。
戦いは終わった。
激しい戦いで血にまみれた男たちが、地平線に消えてゆくワーム族を見つめる。
勝利だ。クレイ族は、勝ったのだ。
男たちは安心したのか、急に力なく砂の上に膝をついた。疲労感が男たちを包んでゆく。だが、皆の顔は笑っていた。勝利の喜びに、笑顔を見せていた。
ロードとカールスは、血だらけのお互いの顔を笑い合った。
バドは、カインやブロイたちと輪になって座り、これまた笑い合っていた。
ライロックは疲れ切ったのか、セレナの膝の上で眠りについていた。セレナは優しく微笑んで、ライロックの金色の髪を撫でていた。その姿は、さながら仲の良い姉弟のようだった。
やがて、女子供が歓声と共に駆けてきた。むろん、ローラとシーアも走ってくる。
「ロード!」
「ローラ…」
ローラの姿を見て、ロードはホッとしたように微笑んだ。
走って来た勢いそのままに、ローラはロードに抱きつく。疲れていたロードはローラを支え切れず、二人は砂の上に倒れ込んだ。ロードの上に、ローラが乗っている格好になる。
「あ…ごめんなさい…!」
ローラが慌てて起き上がる。ロードも痛そうに後頭部をさすりながら上体を起こした。
「無事、ロード…?」
ローラが血まみれのロードを見て、心配そうに問う。ロードは、ぎこちなく片目をつむってみせた。
「何とか、無事みたいだぜ」
「…よかった」
ローラは瞳に涙を浮かべ、そっとロードの胸に自分の額をつけた。ロードは、ローラの肩に両腕を回す。左肩がひどく痛んだが、気にしなかった。
「見せつけてくれるな、ロード」
カールスが、からかうように言う。目が、ニヤニヤと笑っていた。
「羨ましいか? お前もさっさといい女を見つけろよ」
「冗談。俺は孤独を愛する男だぜ。女なんかにうつつは抜かさねえよ」
「何だと? ずいぶん引っ掛かる言い方だな、カールス」
「引っ掛かるように言ってんだよ」
カールスがケラケラと笑う。ロードはローラを放し、カールスの胸倉を掴んだ。
「俺がいつ、女にうつつを抜かしたってえ?」
ロードの顔は笑っていたが、声は震えていた。
「抜かしてないってのか?」
「このやろ…!」
ロードは腕を上げたが、途中で止め、カールスの胸倉を掴んでいた手も放した。
「…駄目だ。怒る気力もねえ…」
ロードは、大きく息を吐いた。だらりと両手を下げる。
「俺もだ。いつもだったら、受けて立つんだがな」
「はは…」
「へへ…へ…」
二人は、同時に笑い出した。いつもの元気はなかったが、この場を和ませるには充分だった。
ロードとカールスにつられて、周りの戦士たち、女子供たちも笑い出した。だが死んだ男たちの恋人や妻、子供は、その笑いの輪の外で、悲しみの涙を溢れさせていた。
喜ぶ者もいれば、悲しむ者もいる。だが生き残った男たちは、今だけは喜びに浸っていたかった。命がけの戦いに勝利した喜びに。
「ローラ」
「うん?」
ロードは、ローラの顎に手を当てた。ローラはロードの考えを理解して、頬を朱に染める。
「約束だ」
「うん…」
ロードは、自分の唇をローラのそれに重ねた。
カールスが、口笛を吹く。周りの人々からも、歓声が飛んだ。シーアもバドと共に、それを微笑ましく見ていた。
もうシーアには、ロードに対する未練はない。ロードに相応しいのが誰なのか、それを理解し、認めていたからだ。
もともと、ロードとローラには深い絆があった。そこにシーアが入り込むなど、初めから無理だったのだ。
深く、長い口づけを交わすロードとローラ。その二人を見て、シーアは微笑んでいた。少し悲しかったが、お似合いだと思った。
「いつまでやってんだよ。こっちが恥ずかしくなっちまうじゃねえか」
カールスがそう言って、プイと顔を背けた。顔に、うっすらと赤みが差している。
「やっぱり、羨ましいんだろ?」
ローラから唇を離し、ロードが言った。カールスはむきになって、
「うるせえ! 俺は、一匹狼なの!」
「無理すんなって」
「黙れっての!」
カールスの顔は、真っ赤だった。ローラがそれを見て、プッと吹き出す。それがきっかけになって、ロードとバドが大笑いした。周りの人々も、つられて笑い出す。
「何だってんだよ、いったい!」
カールスの声は、周りの笑いにかき消された。
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