第17話 それぞれの決意

 それからしばらくして、街は静かになった。

 だが、いつもの夜と違うところがあった。街の人々が、子供たちを除いて、ほとんどが目を覚ましていたのである。

 戦うか、逃げるか。誇りか、命か。迷い迷って、決断を出そうとしているのだ。男たちはもちろん、女、老人たちも。だから、どの家も、まだ明かりがついたままだった。

 そんな中、ロードとローラは二人並んで、通りを林に向かって歩いていた。

 しばらく、二人とも何も言わない。黙って足を進める。ロードは、真剣な表情だった。ローラはその表情に、何か強い決意のようなものを感じ取っていた。

 月明かりの差し込む林の中を、さらに歩き続ける。涼しげな空気が、二人の頬を優しく撫でた。

「ここ、似てるな…」

 ふと立ち止まって、ロードは呟いた。

「え?」

「雰囲気だよ。あの曲に似てる。何て言ったかな…あのフルート」

「ああ、『幻想の森』?」

「そう、そうだ。あんな感じだ、ここ」

「そうね…綺麗だわ」

 ローラは顔を上に向けた。木々の葉の隙間から、大きな月が見える。

「ああ、綺麗だ…」

 そう言って、ロードはまた黙った。目が、再び真剣になる。

「…ロード…?」

 ローラは、小さくロードの名を呼んだ。ロードは答えない。じっと足元を見つめている。

「ロードってば…」

 ローラが一歩近づこうとすると、ロードはぽつりと言った。

「…ファウストと決着をつける…」

「えっ…?」

 少し強い風が、木々を揺らした。木の葉が数枚、地面に舞い落ちる。

「おそらく今度が、最後の戦いになる。その時俺は、ファウストを倒す」

「でも、ファウストは部隊に加わらないで、後方にいるんでしょ?」

「そうだ。俺のフライング・プレートはまだ使える。そいつで敵の部隊を飛び越えて、奴のところに行く」

「…殺すの?」

「さあな。けど、手加減できる相手じゃない。たぶん、殺し合いになるだろうな…」

「…そう」

 ローラはそう言って、うつむいた。悲しげに、ため息をつく。

「止めても、無駄でしょうね…」

「ああ。奴は、俺が連れてきちまったんだ。俺が始末をつけなきゃならない」

「でも…危険だわ」

「わかってる。奴の強さは、充分承知してるつもりだ。だけどな…」

 ロードは、拳を握り締めた。

「奴を倒さなきゃ、俺の気が済まないんだ」

 ロードは今日の戦いで、ファウストの術に敗北を喫した。そのことを、ロードは悔しく思っているのだろう。それだけではない。ファウストはローラを殺そうとした。そして今度はワーム族に味方して、クレイ族を滅ぼそうとしている。ロードにとって、到底許せる存在ではないのである。

 ローラにもそれはわかっていたから、あえて止めなかった。本当は止めたかった。ファウストは強い。ロードが返り討ちにあわないという保証は、どこにもないのである。ロードに死んでほしくない。そうは思うが、止めても無駄なこともまたわかっていた。

「…わかった」

 ローラは小さな、しかししっかりした声で言った。

「勝ってね…必ず」

「ああ」

 ロードはローラに微笑みかけた。

「だけど、一つ約束してほしい」

「なに?」

 ロードは少し躊躇った後、迷いを振り切るように言った。

「俺が死んでも、俺を止めなかったことを後悔しないでくれ」

 ローラは、エメラルド色の瞳を見開いた。ロードが自分が死んだときのことを言うなど、今までになかったことだからだ。どんな危険な冒険に出掛ける時も、ロードは自分が死んだ時のことを話したことはない。もしかしたら考えてはいたのかも知れないが、ローラの知る限り、それをロードが口に出したことはなかった。

 つまり、ロードはそれだけファウストとの戦いに危険を感じていることになる。かつてないほどの危険を。

「約束してくれ。これは、俺の意志でやることだ。ローラには何の責任もない」

 ロードはローラを見つめた。真っ直ぐな目で。

 ローラは、黙っていた。沈黙が、少しの間続く。木々の枝葉が風に吹かれ、乾いた音を立てた。

「…ローラ」

「後悔なんかしないわ」

 ローラは微笑を浮かべて言った。

「ロードが死んだら、あたしも死ぬから」

「え…」

 ロードが呆然とする。

「本気か…?」

「うん、決めたの。ロードにどこまでもついて行こうって。地獄の底までも、ね」

「…天国じゃないのか」

「だって、ロードは地獄へ行くでしょ? 天国ってガラじゃないもの」

「…違いない」

「でしょ?」

 ローラは、にっこりと笑った。その笑顔は美しく、覚悟に満ちていて、ロードの胸を熱くするのに充分だった。

 ロードはローラに歩み寄り、その肩をきつく抱き締めた。

「あ…」

 ローラは一瞬驚いたが、すぐに自分の置かれた状況を理解すると、静かに目を閉じ、両腕をロードの背中に回した。

 月明かりの中、二人の影がしなやかに絡み合った。

 それを、シーアが木の陰から見ていた。ロードを探しに、心当たりの湖に行こうとしていたのである。

 シーアの頬を、一筋の涙が伝った。ロードとローラのやり取りを見て、自分の入る隙間がないことを理解したのである。

 ロードはローラを想い、ローラはロードを想っている。二人は、強い絆で結ばれている。愛情という、何物にも勝る絆で。

 そう。今日の戦いの時も、ローラは危機に陥ったロードを助けるため、危険を顧みずに戦場へ飛び出した。それにひきかえ、自分は何もできなかった。ただ家の中で、ロードの無事を祈ることしか。

 ローラには勝てない。シーアはそう感じた。ローラのロードへの愛情の深さには、とても勝てないと。と同時に、ローラこそがロードに相応しいと思いもした。

 シーアはそっとその場を離れた。ロードのことは諦めよう。そう心に決めて。

 彼女の走り去った後に、銀色の涙が散った。



 月の砂漠。

 街から少し離れた処。宇宙艇アルークの側に、カールスは立っていた。

 その右手に握られたヒート・ソードが、刃に赤い輝きを宿している。

 カールスはしばらくその刃を見つめ、やがて柄のスイッチを切った。剣を腰の鞘に収めると、アルークを見上げる。

「俺は、トレジャー・ハンターだ…」

 カールスは、アルークの装甲に手を触れた。冷たく、砂がこびりついてザラザラしている。

 またこいつで飛んでやる。カールスは心に誓った。生き残って、宇宙一の宝を探しに行くんだ、と。

「死んでたまるか…!」

 カールスがそう呟いた時、背後に人の気配を感じた。振り向くと、バドが立っていた。バドはカールスに並んで、地平線を見つめた。

「今のうちに、礼を言っておくよ。言わないうちに死んでしまうかも知れないからな。ありがとう」

「言ったろ? 恩返しだって。礼はいらない。それと、死ぬことを考えるな。勝つことだけ考えろよ」

「ああ、そうだな」

 バドはそう言って、軽く笑った。カールスも笑みを見せる。二人はまた、砂漠を眺めた。

「今度が、最後になるな…」

と、カールス。

「ああ。今度で終わりだ。奴らも、そのつもりだろう」

「勝とうな」

 カールスは、バドに手を差し出した。バドは嬉しそうに、しっかりとその手を握る。

「必ず」

 二人の瞳は、力強い輝きを秘めていた。



 バドの家の一室で。

 ライロックは、ぐっと拳を握り、それをじっと見つめた。

 彼の脳裏に、あの反乱の日の様子が浮かんだ。ユーフォーラを脱出した、あの日のことが。

 あの時、ライロックは逃げた。一時的な逃亡であるといっても、敵を前にして逃げたことには間違いがない。つまりライロックは、敗北者なのだ。今まで意識していなかったが、先刻のロードの言葉でそう感じた。逃げた者、すなわち敗北者。ライロックの胸の中で、悔しさが込み上げてきた。

 もう、敗北者でいるのは嫌だ。もう、逃げない。ライロックはそう思った。

「私にも、できることはある…!」

 ライロックは、戦う決意を固めた。ワーム族と、そして、その後はエルマムドと。



 深い青に包まれた空に、光が灯った。地平線から、眩しく輝く天体がせり上がってくる。夜明けだ。

 決断の時が来た。

 街の広場に、バドは、シーアとカールスと共に立っていた。すぐ後ろに、ライロックとセレナもいる。

 少しして、シュルクルーズの停まっている方向から、ロードとローラが歩いて来た。二人は昨夜はバドの家に戻らず、シュルクルーズの部屋で一夜を過ごしたのである。

 そのすぐ後だ。あちこちから、扉の開く音が聞こえてきたのは。

 広場に一人、また一人と人が集まって来た。男ばかりでなく、女や子供、老人まで。

 バドは、安堵と喜びに顔をほころばせた。

 ロードとカールスが、顔を見合わせて笑みを交わす。

 やがて広場は、人でいっぱいになった。おそらく家に残っている者は、誰もいないだろう。断固として戦うことに反対していたあの農夫も、集まった人々の中に混じっていた。

 結論は出た。バドが望んでいた結果だった。全員一致だ。

 バドが、拳を高々と挙げた。クレイ族の人々は、喊声を上げてそれに倣う。ロードたちは黙っていたが、気持ちは一緒だった。

 決戦だ。部族の誇りをかけて、一丸となってワーム族に挑む。

 勝てるかどうか。それは誰にもわからないし、誰もが不安だった。しかし、これだけは言えた。固い決意を持ち、結束した部族は強いということだ。

 それぞれの決意を込めて、太陽が明るく輝いていた。

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