第16話 会合

 血と埃にまみれた戦士たち。

 戦いに敗れ、絶望感を覚えながら、彼らは街に戻ってきた。だが、その数は少ない。この戦いで十三人の死者が出た。生き残ったのは、わずか二十一人。しかも、皆、どこかに傷を負っている。

 街に残っていた女たちは、自分の夫、あるいは恋人に、悲痛の叫びを上げて駆け寄って行く。帰ることができなかった戦士たちを思い、涙する者も数多かった。

「兄さん!」

 傷だらけのバドに、シーアが走り寄る。いつもならにっこり笑って妹を受け入れてくれる彼だが、今度ばかりは違った。悔しそうに歯を食いしばった表情で、何も言わずに家に向かう。

「兄…さん…」

 シーアのことなど見えていないかのように、家へと歩いてゆくバド。その背が小刻みに震えているのを、シーアは見た。

 その後から、ローラを抱いたロードが、ライロックと並んで歩いてきた。セレナとカールスが、さらに後ろに見える。

「ロードさん! 無事で良かった!」

 シーアが言う。だがロードは、厳しい表情を変えなかった。

「ロードさん…?」

 ロードは答えない。気を失っているローラを抱えて、バドの家へと急ぐ。カールスもセレナも、黙って後に続いた。

「皆さん、疲れているんです。今は、そっとしておいたほうがいいでしょう」

 ライロックが振り返って、沈痛な口調でそう言った。そして、ロードらの後を追う。

「…」

 シーアは悲しそうな目をして、彼らを見送った。

 それからシーアは、少しの間、街の中を歩き回った。今は、家に戻らないほうがいいような気がしたのである。

 街は、沈んだ空気に包まれていた。女子供のすすり泣く声が、あちこちで聞こえる。傷を負った男が、何人も広場で力なく座り込んでいた。

 皆、絶望している。シーアはそう感じた。敗北したことで、戦う気力をなくしている、と。

「この街を、出て行かなければならないのかしら…」

 シーアは、不安になった。街の人々が、逃げることを主張しやしないか、と。

(でも、そうなっても無理もないわ)

 あれだけ完全に負けたのだ。そして、次に勝つ見込みもない。逃げ出そうと考える者が出てきてもおかしくなかった。

 シーアは林を抜け、いつの間にか、湖の畔に佇んでいた。

 ここだけは、いつもと同じだ。澄んだ水をたたえて、静かにさざ波を立てている。

 シーアは腰を下ろし、じっと水面を見つめた。空の色が映った、茜色の水面を。だがその色はシーアに、血の赤を連想させるのだった。



 その夜、死者たちの埋葬を終えた後、広場に街中の人々が集まった。さして広くないスペースに、人々が身を寄せ合うようにして座っている。

 クレイ族の会合が、緊急に開かれたのである。

 招集をかけたのは、むろん族長であるバドだ。人々の前に、少し緊張した面持ちで立っている。妹のシーアは、兄の後ろに控えるように立っていた。ロードたちは、最前列に座っている。

 全員が揃ったと思われる頃、バドは話を始めた。

 話の内容は、誰もがわかっていたことだった。

 これから、どうするべきか。このまま戦い続けるか、それとも、降伏するか。あるいは街を諦めて出て行くか。それを、皆に問いかけるものであった。

 バド自身は、戦い続けることを主張した。この街を守ることの意義を、熱意をもって語った。だが、皆はいい顔はしなかった。

「無理だ!」

 真ん中辺りで、一人の男が立ち上がった。包帯で、片方の目を隠している。皆の視線が彼に集まった。

「奴らは、強すぎる。勝ち目はない!」

「だが、俺たちが負けたのは、今回が初めてだ。それまでは、何度も奴らを退けてきたじゃないか!」

 バドはそう言って、人々の勇気を再び奮い立たせようとした。

 だが、他の誰かが、

「今まで勝ってこられたのは、奴らが本気じゃなかったからだ!」

と言い出した。

「今度こそ、奴らは本気だ。勝てる訳がない!」

「そ、そんなことは…!」

「大体、戦力が違いすぎる!」

 別の誰かが叫んだ。

「こちらには、もうまともに戦える奴はほとんど残っちゃいないんだ!」

 バドは、絶句した。

 確かに、今の言葉は正しい。今回の戦いで、クレイ族の戦力は激減した。生き残った者の中にも、ひどい怪我を負った者が多い。以前に負傷したために今回の戦いに参加しなかった者を合わせても、戦いに出られるのは二十人が限界だろう。これでは、来る度に数を増してくるワーム族に対し、あまりに不利だ。

 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。ここで敗北を認め、街を明け渡してしまったら、今までの戦いで死んでいった者たちはどうなる。ただの無駄死にだ。

 バドはそのことを、人々に強く主張した。

「俺たちは、今まで死んでいった者たちの遺志を継いで、ここまで戦ってきたんだ! みんなはたった一度の敗北で、彼らの死を無駄にするのか?」

「そうだ! 死んだ連中は、俺たちが降参することを望んではいない!」

 がっしりとした体格の男が、声を上げた。味方がついたことを、バドは心強く感じた。

「街を捨てることは、部族の誇りを捨てることだ。それに、みんなは耐えられるのか?」

 バドの言葉に、人々は迷い出した。人々の心には、クレイ族としての誇りが根付いている。皆、幼い頃から、クレイ族に生まれたことを誇りに思うよう教育されてきたからだ。おそらく今、人々の心の中で、二つの思いが交錯している。命を取るか、部族の誇りを貫くか。どちらを選ぶか、迷っているのである。

 もう一押しだと、バドは思った。

 だが、バドの主張に反対する者は、まだ多かった。負けるとわかっていてなお戦いを挑むのは、愚かなことだと。部族の誇りも、命があってこそ感じられるものだ、と。

「今度こそ、奴らは俺たちを皆殺しにするに違いない! そうなる前に、街を出て行くべきだ!」

 農夫の格好をした男がそう言った。

「だが、それでは…!」

「だがもくそもねえ! 戦える奴が残ってないんじゃ、どうしようもないんだ!」

 瞬く間に、再びバドが押され始めた。そうだ、そうだ、とあちこちで声が上がる。皆、死が怖いのだ。それは理解している。理解しているが、バドにはこのまま終わるつもりはなかった。あっさりと敗北を認め、街を捨てるつもりは。

「みんなの気持ちはわかる。だが、ここは俺たちの街なんだ。かけがえのない、俺たちの故郷なんだ。奴らには渡せない」

「第二の故郷を作ればいい!」

 先刻の農夫が叫んだ。どこからか、賛成の声が上がった。バドは当惑した。

「犬死によりはいい!」

 農夫が言う。すると。

「だったら、今すぐ尻尾を巻いて逃げ出せよ」

 最前列にいたロードが立ち上がり、鋭く言い放った。バドが驚いてロードを見る。他の人々も、一瞬遅れてロードに視線を向けた。

「逃げたい奴は、逃げればいいさ。ただし、一生後悔することになるがな」

「なっ、なんだと…!」

 農夫が、眉を吊り上げた。今のロードの言葉には、さすがにカチンときたのだろう。怒りをたたえた目で、ロードを睨みつける。

 だが、ロードは動じた様子はなく、さらに語気を強めてこう言った。

「犬死にするだと? そんなこと、どこの誰が決めたんだ!」

 農夫が負けじと言い返す。

「さっきから言ってるだろう! ここにはもう…!」

「戦える奴が残ってないってのか? 寝言は寝て言え、アホウが! ここに、腐るほどいるだろうが!」

 ロードはそう叫んで、集まった人々をぐるりと見渡した。人々は驚き、目を丸くする。農夫も一瞬、呆気に取られる。

「ここにいる者たちで、戦えっていうのか?」

「そうだよ。ここにいる全員でかかれば、数の勝負じゃ負けやしねえ」

「無謀だ!」

 誰かが叫んだ。人々がざわめく。

「ロード、無茶よ」

 座ったままロードを見上げ、ローラが言った。だが、ロードは話し続けた。

「いいか、今まで戦ってきたのは、部族の中のほんの一部だ。男の中にだって、戦ってない奴がいるはずだ。お前もな」

 ロードが指差すと、農夫はビクッと肩を震わせた。

「ここには、三百人近い人間がいる。みんながみんな、何もできねえ能無しなわけはない。何かできるはずだ。例えば、軽い弓なら、女にだって撃てる。子供だって、石を投げることくらいできるだろうが。何も先頭に立って戦えってんじゃない。援護くらいはできるだろうって言ってるんだ」

「だが、そんなことで奴らに勝てるという保証はないぞ」

 片目の男が言う。バドは、この男の口調が、先刻より穏やかになっているのに気づいた。つまり、ロードの考えに興味を示しているのだ。ロードにもそれがわかったらしく、ニッと口角を上げた。

「わかってるさ。けど、負けるという確証もないだろ?」

「そうだ」

 カールスが立ち上がった。

「やってみなきゃわからねえよ、何事もな。それに、正面から突っ込むだけが戦いじゃない。頭を使えば、奴らに勝てる方法も見つかるはずだ」

「そうかもな…俺たちはいつも、正面から戦いを挑んでいた。それで勝てないというなら、別の戦い方をすればいい。諦めるのは早い」

 先刻の体格の良い男が言う。その後に、何人かの男が立った。皆、わずかな迷いは見えるが、戦う決意をその顔に浮かべていた。

 だが、あの農夫を始め、他の人々は未だに迷っているようだった。無理もない、とバドは思った。クレイ族では、戦いに出るのは戦士と呼ばれる選ばれた男たちと決まっている。それ以外の者が戦うなど、過去に一度もなかったことだ。戦士でない者は、戦う術をまったく学んでいないのだ。

 しかし、いい雰囲気だとバドは思った。ロードの言葉に、皆の心が揺れている。バドは感謝の眼差しをロードに向けた。

「とにかく、俺は戦う。逃げて、一生敗北者として生きていくのはゴメンだからな」

 ロードが言った。

「俺もだ」

と、カールス。と同時に、ライロックが腰を上げた。続いてセレナ、ローラも。さらにまた四、五人の男が立ち上がる。

 それでもまだ、決意を固めたのはごくわずかだ。他は、座ったままでいる。しかし人々の表情は、先程までとは明らかに違う。どうしたものかと、落ち着きなく近くの者と話している。

 バドは一歩前に出て、口を開いた。

「決断を急ぐことはない。こうしよう。戦う決意のできた者は、明日の朝、またここに来てくれ。最終的な決定は、その時出そう。だが、これだけは覚えておいてくれ」

 バドは一呼吸してから、真剣な眼差しで言った。

「今こそ、部族が一つになる時だと、俺は思う」

 人々は少しの間、沈黙した。

「じゃあ、とりあえず解散だ」

 バドが言うと、人々は立ち上がり、それぞれの家に向かって歩き出した。

 人々の顔には未だ迷いがあったが、バドは希望が見えてきたような気がしていた。

「兄さん」

 シーアが兄に歩み寄る。彼女の表情は明るかった。

「みんな、きっと来るわ。きっと」

「俺もそう思うよ。みんな、ロードさんのおかげだ。礼を言わないとな」

 バドはロードたちのところに駆けて行った。シーアも走ってついてゆく。

「ロードさん、ありがとう!」

 バドはロードの手を取った。ロードはフッと笑う。

「俺は、自分の気持ちをそのまま言っただけだ。礼には及ばねえよ」

「そんなことありません。ロードさんのおかげで、みんなの考えが変わり始めているんです」

 シーアが言った。

「あたしからも、お礼を言います。ありがとう、ロードさん」

「やめろよ」

 ロードは、頭をかいた。照れた顔を隠すように、空を仰ぐ。

「あら? ロード、顔が赤いわよ」

 ローラがからかった。ロードは、

「そ、そんなことねえよ。何言ってんだよ」

と、後ろを向く。

「こいつ、礼を言われることなんか滅多にないからな。慣れてねえんだよ」

 カールスは、ニヤニヤ笑っていた。セレナが、口許を押さえて吹き出した。

「そうなんですか?」

 シーアが怪訝な顔で尋ねると、ローラとカールスは同時に頷いた。それを横目で見たロードが、憮然とした顔になる。

「お前ら、俺を馬鹿にしてんのか!」

 直後、いくつもの笑い声が重なって、夜空に響いた。

 会合が始まった頃は真っ暗だったバドの心に、今、一条の光が差し込んでいた。バドは、ここにいるロードやカールスたちに、感謝しきれないほど感謝した。

 彼らは、いつも前向きに物事を考え、困難から決して逃げることをしない。どんな状況からも良い結果をもたらすために、なすべき事を考える。具体的な解決策を考えずに、ただ困難に立ち向かうことだけを主張していたバドとは違う。

 バドは自分の未熟さを痛感すると共に、彼らを見習わねばと思っていた。

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