第13話 波乱の予兆
ロードとすれ違った男は、手近な家の裏に回ると、大きく息を吐いた。
どうやら、怪しまれなかったようだ。声も掛けられなかったし、尾けられてもいない。安堵した男は、通りに誰もいないのを確かめると、再び夜の街を歩き出した。族長の家に向かって。
男の名は、ベル。ワーム族の人間である。だが、今着ているのはクレイ族の服だ。今日の戦いの後、死体から剥ぎ取ったものである。
彼は緊張した顔つきで、通りを進んでいた。何か物音がする度に、ビクッと身体を縮こませる。この男、かなり臆病そうである。
そう。この臆病さこそが、この男がここにいる訳なのだ。
ベルは、臆病ゆえに、いつも仲間から馬鹿にされ続けてきた。彼が戦いに行くと言い出した時も、仲間は大笑いしたものだった。お前には無理だ、何もしないうちに殺されるだろう、と。
ベルは、悔しかった。何とか、自分を馬鹿にしてきた連中を見返してやりたかった。
だから、ここへ来た。戦いに参加するのではなく、今この時に、クレイ族の族長を殺すために。
そのために、戦いの最中はずっと死んだふりをしていた。そしてワームが退散して、クレイ族の連中が大喜びしている隙に、素早くクレイ族の死体から服を剥ぎ取り、変装してこの街に紛れ込んだ。敵の族長の首を取る、そのために。
族長の首を持って帰れば、誰も自分のことを臆病者とは呼ばなくなる。ベルはそう信じていた。
少し経って、族長、バド・サーラの家に着いた。街の高台の、一番大きな家だ。迷うことはなかった。
静かに、木のドアを開ける。砂漠の民には、家に鍵を掛ける習慣がない。それはワーム族もクレイ族も同じだった。
ドアを開けると、広い廊下が真っ直ぐ伸びていて、両側に部屋の扉が四つずつ見えた。そして、突き当りに一つ。あのどれかの中に、族長がいる。ベルは、逸る気持ちを抑えながら、忍び足で廊下を進んだ。
大抵、主人の部屋は、一番奥だ。ベルはそう見当をつけて、廊下の突き当たりまで来た。だが、突き当りの部屋は広間だった。そうすると、族長は廊下沿いの八つの部屋のどれかにいることになる。
こうなったら、見当がつかない。どの部屋も、同じような扉だ。
「一つずつ見ていくしかないか…」
ベルは、とりあえず、すぐ左の扉を開けることにした。部屋の主が眠っていることを願いながら、扉を、頭一つ分だけ開ける。そこからこっそり覗くつもりたったのである。
しかし、その時。
「誰?」
女の声が、部屋の中から聞こえた。
──しまった!
この部屋にいるのは、族長ではない。しかもまずいことに、目を覚ましている。
ベルは、扉の前で硬直した。
「どうしたら、どうしたら…」
このままここにいては、見つかってしまう。だが、逃げ出してしまえば、かえって怪しまれてしまう。不審者が家に入って来たことを知れば、家の者は警戒するだろう。そうなっては、族長の首を取るチャンスがなくなってしまう。
「…誰なの?」
中の女が、再び言った。声がわずかに震えている。怯えているようだ。
この瞬間、ベルは有効な手段を思いついた。中の女を殺すことだ。声を上げる前に喉元を短刀で突き刺せば、即死させることができる。そうすれば、自分の存在を他の人間に知られずに済む。族長の首を取ることも、可能になる。
「そうだ…やるしかない…!」
ベルは、帯の中に隠しておいた短刀を取り出し、強く握り締めた。
部屋の中にいたのは、バドの妹、シーアだった。シーアは薄い下着姿のまま、木製のベッドの上で上体を起こし、わずかに開いた扉を凝視していた。
誰かがいる。扉の向こうに。誰かと尋ねたが、返事がない。シーアは、身体が震えるのを感じていた。
「…何なの…?」
シーアの心が不安に包まれる。もしシーアの知っている誰かなら、返事をしてもいいはずだ。それがないということは…。
扉が、さらに開いた。と同時に、見知らぬ男が部屋の中に駆け込んできた。汗ばんで、目を大きく見開いたその顔は、悪鬼のようだった。右手に、短刀が光っている。
「──!」
シーアは、素早く毛布を引き寄せ、白い肌を隠した。逃げることを忘れてこうしてしまうのは、女としての本能だろう。
男は勢いをつけたままベッドに飛び乗り、シーアの上にのしかかった。
「キャ…」
悲鳴は途中で途切れた。男が左手でシーアの口を塞いだのだ。
シーアは逃げようと、必死に暴れた。毛布がずれ、白い下着があらわになる。だが、力では男に敵わない。男はシーアをベッドに押し倒し、両肩に膝を乗せて抵抗できないようにした。
シーアは思い切り悲鳴を上げたが、口を押さえられているため、唸り声にしかならなかった。
男が、短刀を振りかぶる。窓から差し込む月明かりを受けて、刃が青白く輝いた。
──助けて!
シーアは心の中で、そう叫んだ。短刀が振り下ろされる。刃が喉に迫る。
刹那──。
鈍い音がして、男が真横に吹き飛んだ。壁に頭をぶつけ、床に倒れる。
シーアが、慌てて身体を起こし、毛布を引き寄せた。すると目の前に、栗色の髪の少年が立っていた。ロードだ。
「大丈夫か、シーア!」
「あ…はい!」
シーアが頷くと、ロードはニッと微笑む。その笑顔に、シーアの胸が一瞬高鳴った。
「ぐ…くそ…」
男が、頭を押さえて立ち上がる。
「おっと、まだやるか?」
ロードが身構えた。男は短刀を振りかざし、ロードに突進してきた。
「ロードさん、危ない!」
シーアが叫んだ。だがロードは逃げようともしない。それどころか、不敵な笑みさえ浮かべている。
男──ベルが短刀を突き出す。ロードは身体を開いてこれをかわすと、ベルの手首に手刀を打ち込んだ。ベルの手から、短刀が落ちる。
「くそっ!」
ベルが短刀を拾おうと身を屈めた。そこへ、ロードの蹴りが入る。ベルは再び壁に叩きつけられ、気を失った。ぐったりと、首をうなだれる。
「ふうっ…」
ロードは、大きく息をついた。それから、シーアに向き直る。
「危なかったな。こいつはたぶん、ワーム族だろう。お前の兄貴を殺しに来て、部屋を間違った。そんなところだろうな」
「あ…ありがとうございます…」
シーアは、顔を真っ赤にしながら礼を言った。
その時、いくつもの足音がして、部屋にバドを始め、ローラやカールス、そしてライロックとセレナが入って来た。
「何の騒ぎだ!」
「ロード、どうしたの!?」
「シーア! ロードさん、これは一体…?」
バドは、気絶している男を指して言った。
「さあな。散歩から帰ってきてもなかなか寝付けなくてな。そうしたら、変な物音が聞こえてきたんだ。何かと思って来てみたら、こいつがいたんだ。ワームだと思うがな」
「ワーム族? この男がですか?」
バドが信じられないといった顔をする。服装はクレイ族のものだから、無理はない。
「その人、あたしを殺そうとしたの。ロードさんは、あたしを助けてくれたのよ」
シーアが言った。毛布を纏い、下着姿を隠してはいるが、白い肩が剥き出しだ。それに気づいたライロックは、頬を染め、慌ててシーアから目を逸らした。
「そうか…ワームが、いつの間に…。とにかくロードさん、妹を助けていただいて、ありがとうございました。この男は、俺が引き受けます。どうぞお休み下さい。みなさんも」
「ああ、そうするよ。シーア、本当に大丈夫か?」
「は、はい。ありがとう…」
ロードはシーアに軽く微笑みかけて、部屋を出て行った。その後に、ローラたちが続く。
「もう大丈夫だ。安心して眠れ、シーア」
バドは、優しくそう言って妹の頭を撫でた。それから、カールスと二人で、シーアを襲った男を担いで出て行った。
扉が閉められ、シーアはまた、部屋に一人になった。
まだ、心臓が高鳴っている。今夜は眠れそうにない。シーアはそう思ったが、とりあえず横になり、目を閉じた。
すると、シーアの瞼の裏に、栗色の髪の少年の顔が浮かんだ。つい今しがた、シーアに微笑みかけてくれた時の顔が。シーアは、ハッと目を開けた。胸の鼓動が、早くなっていた。顔が火照っている。
「なに…?」
こんな気持ちは初めてだった。ロードのことを考えると、胸が高鳴る。
「あたし…」
シーアは、気づいた。自分が、恋をしてしまったことに。
「おのれェ!」
月明かりの差し込む大きな部屋の中、ベルツーア・ベイラは怒りに任せてテーブルに拳を叩きつけた。酒の入ったカップが倒れ、わずかに残っていた中身がテーブルを濡らす。
ここは、クレイ族の街から南へ約百キロのところにある、ワーム族の街。クレイ族の街と同じように、オアシスに作られた街だ。
ベルツーアたちは、戦いに敗れ、夕刻にこの街に帰って来た。以来、ベルツーアはずっと自室に閉じこもっている。
「なぜだ…あんな街一つ、なぜ落とせん!」
ベルツーアはもう一度、テーブルを殴った。側に控えている侍女が、ビクッと肩を震わせる。
「我々はワーム族だぞ…クレイ族なぞに、負けるはずがないのだ。だのにあのザマは…!」
「あの、お酒は…」
恐る恐る、侍女が問う。ベルツーアは鋭い目つきで侍女を睨みつけた。
「もうよい! さっさと下がれ!」
「は…はい…!」
侍女は逃げるようにして、部屋を出て行った。ベルツーアはフンと鼻を鳴らした。そして、自分でカップに酒を注ぎ、一気に飲み干す。
「それにしても、何者なのだ、奴らは…?」
ベルツーアの脳裏に、空飛ぶ円盤に乗った二人の戦士の姿が浮かんだ。あの二人だ。あの二人のおかけで、退却を余儀なくされたのだ。
「奴らを何とかしなければ…」
我らの勝利はない。そうベルツーアは考えた。
「我々は、どうしてもあの街を手に入れねばならん…」
この街は、異常な人口過密状態に陥っている。人口に対して収穫される作物が少なく、餓死する者も少なくない。この危機を乗り越えるには、ここから最も近いクレイ族の街を、第二のワーム族の街にするしかないのだ。
「負けられん…」
この次に攻める時にこそ、勝利しなければならない。日に日に、餓死者は数を増している。特に、子供たちの死が顕著だ。このままでは、将来のワーム族を背負って立つ者がいなくなってしまう。事は一刻を争う。
だが、勝利するためには、あの不可思議な機械を操る二人が、大きな障害だった。クウェイよりも素早く、空中に浮かび上がることのできる機械。好きな時に攻撃し、好きな時に逃げることができる。あれに乗った戦士は、まさに無敵だ。どうすれば奴らを倒せるのか。ベルツーアにはわからなかった。
「おのれ…!」
やり場のない怒りに、ベルツーアは拳を震わせた。
その時。
「手を貸そうか…?」
不意に部屋の奥から、低い声がした。不気味に響く声だ。
「誰だ!」
ベルツーアは驚いて振り返った。
部屋の奥には大きなベッドがあり、壁には狩りで仕留めた獲物の首が飾ってある。それが、明かりでオレンジ色に浮かび上がっていた。
その、すぐ横に。
不敵な笑みを浮かべた、白髪の老人が立っていた。黒いローブが闇そのもののように揺れている。
「私が手を貸そう…お前の勝利のために…」
「お…お前は…」
ベルツーアは、老人の放つ妖気のようなものに、威圧感を覚えていた。一目で、ただ者ではないとわかる。
「何者だ…」
ベルツーアの問いに、白髪の老人はニヤリと笑った。
「我が名はファウスト。偉大なる魔導士…」
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