第6話 揺れる影
『これより、夜時間に入ります。船内はメインライトから、サブライトに切り替わります』
高性能コンピュータ、ティンクの合成音声が響く。
と同時に、シュルクルーズ内を照らしていた明るいライトが消え、淡いオレンジ色のサブライトが灯った。
定期的に訪れるよう設定されている「夜」である。宇宙には昼も夜もないため、宇宙船の中では、生活リズムを保つために一定の睡眠時間を設けているのだ。船内が暗くなるのは、暗い中で眠りにつくという、人間の習性に則っているものである。
ライロックとセレナがシュルクルーズに拾われて、最初の夜だ。
二人は相談したうえで、ロードたちに同行することに決めた。銀河中を旅するロードと一緒にいれば、色々なことが学べると、ライロックは考えたのである。
それを聞いて、ロードは初め反対し、二人をどこかの星に降ろすと言った。ライロックを追うエルマムドの手下が、いつどこから現れるか知れないからである。厄介事に巻き込まれることを嫌うロードとしては、当然の反応だろう。
しかし、結局はライロックの熱心な請願と、ローラの説得によって、二人の身請けを了承した。何より、ライロックの熱意が効果的だったようである。一刻も早く王としての才覚を身につけ、ユーフォーラの人々を救いたいというライロックの決意に満ちた瞳の輝きは、ロードの心を動かすのに充分だった。
「しゃあねえな…」
と、ロードは頭をかきながら苦笑して言ったものである。
セレナはこの時、ロードは表の柄の悪さに反して、根は結構優しい少年なのだと理解し、一人微笑むのだった。
「さて、と。寝る時間だ」
廊下が暗くなったのを見ると、ロードはそう言って休憩室のソファを立った。
「王子さんたちも、夜のうちに寝ておいたほうがいいぜ。明るいライトの下じゃ、なかなか眠れないもんだからな」
「わかりました。そうしましょう」
ライロックは頷いてソファを立った。セレナも続いて立ち上がる。
「ところでロードさん、どこで寝れば…?」
「ああ。ここの向かいに、四つ部屋があるだろ。一番左端がローラの部屋で、その隣が俺のだ。後の二つは空いてるから、好きに使ってくれ」
「わかりました。ありがとう」
ライロックはロードとローラに軽く一礼して、セレナとともに休憩室を出て行った。
「さて、俺も寝るとするか。ローラ、寝ないのか?」
ロードはまだソファに腰掛けているローラを振り返った。
「うん…何だか、目が冴えちゃって。もう少し起きてるわ」
「そうか」
「あたしはいいから、先に寝て」
「ああ、そうするよ。お前も、早く寝ろよ」
「うん、おやすみなさい、ロード」
「おやすみ」
ロードはそう言って、自分の部屋に向かって行った。
ロードが出て行った後、ローラはテーブルを離れ、部屋の奥の棚からタブレットを取り出し、ついでにお気に入りのレモンウォーターを注いでテーブルに戻った。
それから、しばらく、ページを送る音だけが聞こえる、静かな時間が過ぎていった。
ローラは、こうして静かに本を読んでいる時間が好きだった。ロードと冒険をするのも好きだが、たまには心をゆったりとして過ごすのもいいと思う。
そうして、三十分ほどが経ったろうか。
ローラはタブレットをテーブルに置き、両手を挙げて背伸びをした。
「んーっ…ふうっ…。どうしたんだろ…全然眠くならないわ…」
一日のうちにあんなに色々なことがあったからだろうか、とローラは思った。時計を見ると、GST(銀河標準時刻)で午前零時を回っていた。
「眠くなくても、いい加減寝ないとね…」
ローラはそう呟くと、タブレットを棚に戻しに行った。
と、その時。
ローラはふと誰かの視線を背中に感じ、後ろを振り返った。が、そこには誰もいなかった。
「…?」
ローラは何となく気になって、入口のほうに歩いて行き、廊下を覗いた。
すると、右手のほうに、黒い人影が見えた。マントを着ているような感じで、影はわずかに揺れながら、廊下を奥へと進んでいた。足音がしないのが妙だった。
「…誰だろう…?」
暗い中なのではっきりとは見えないが、その後姿が、ロードのものでも、セレナやライロックのものでもないことはわかった。
(だとしたら、いったい誰?)
このシュルクルーズには、今、四人しか乗っていないはずだ。
ローラは少し怖くなったが、休憩室を出て、黒い後姿をそっと尾行した。
謎の人影は、ローラにはまったく気づかないのか、振り向きもせず、真っ直ぐに歩いてゆく。
この先には、大きな窓以外何もない部屋があるたけだ。黒い影はどうやらそこを目指している。
少し経つと、黒い人影はその部屋の入口に達した。廊下の突き当たりに、白いドアが見える。そこで、人影は立ち止まった。ローラも、気づかれないように距離を置いて足を止める。
それから、ローラは信じられないものを見た。黒い人影が、まるで吸い込まれるように、閉じたままのドアの向こうに消えたのである。まるでホログラム(立体映像)のドアを通り抜けたように見えたが、あのドアは本物だ。
ローラは驚愕しながらドアに走り寄り、恐る恐る手を触れた。押してみても、手がドアに吸い込まれるようなことは起こらない。やはり、普通のドアだ。
「どうなってるの…?」
幻を見たのかと思った。が、あの人影は、間違いなくこの中に消えた。ローラは不安を感じながらも、自分の目を信じた。そして、それを確かめるために、思い切ってドアを開けた。
ドアが開くと、宇宙を映した大きな窓のある、星明りだけの部屋がローラの前に広がった。広さは、休憩室の二倍くらい。無限の星空が、窓の向こうに限りなく広がっている。
黒い人影は、探すまでもなかった。部屋の真ん中に立って、窓のほうを向いていた。やはり、ドアを通り抜けて来たのだ。
それは、黒いローブのようなものを身に纏った、白い長髪の人物だった。後姿だけではよくわからないが、かなりの高齢のようだ。
「だ…誰…?」
白髪の老人は、その声に、ゆっくりと振り返った。不気味に笑ったその顔を見て、ローラは悲鳴を上げそうになった。
「あ…あなた…いったい…?」
ローラの言葉が終わらないうちに、老人は右手をローラのほうに向けて、こう言った。
「この者に、安らかな眠りを」
その低い声を聞くと同時に、ローラの全身から、力が抜けた。そして、意識が朦朧としてくる。
ローラは床に倒れ、不敵に笑う青白い顔を見ながら、眠りについた。
「おい、ローラ! おい!」
「ん…んん…」
身体を揺すられて、ローラは目を覚ました。瞼を上げると、ロードが片膝をついて、ローラの顔を覗き込んでいる。
「やっと起きたか…」
ロードは、やれやれといった顔をする。
「…ロード…?」
ローラは上体を起こして、周りを見回した。
大きな窓のある部屋に、ローラはいた。そこには、ローラを起こしたロードの他に、セレナとライロックもいた。二人は、心配そうにローラを見つめている。
「あ…あたし…」
「あたし、じゃない。どうしたんだよ、こんなところで寝るなんて…?」
「え…寝てたの、あたし…?」
「そうさ。朝だっていうのにいつまでもお前が部屋から出てこないから、部屋に入ってみたらもぬけの殻だ。で、どこに行ったかって探してたら、こんなところですやすや寝てやがる。どうしたんだ、いったい?」
「もう、朝なの?」
「ああ、もう八時を過ぎてる」
「何かあったんですか? 具合が悪くなって倒れたとか…」
セレナが言う。
「どこか痛むところは…?」
「ううん、どこも痛くないです…」
言いながら、ローラは記憶を辿り、昨夜あったことを少しずつ思い出していった。
そして。
ローラの脳裏を、青白い、不気味に笑った老人の顔が掠めた。
「あ…!」
「どうした?」
「そうだわ、あの人…」
「あの人?」
「そうよ。あたし、夕べここで…」
ローラはロードたちに、昨夜見た、黒いローブの老人のことを話した。その老人が、ドアをすり抜けてこの部屋に入ったこと、老人が何か言うのを聞いた途端、全身から力が抜け、そのまま意識を失ったこと。
しかし、ロードはローラの話を信じなかった。笑って、夢だと言う。セレナとライロックは顔を見合わせ、何とも言えないといった表情をしていた。
だが、ローラの記憶には、あの背筋の凍るような不気味な笑みや、意識を失う寸前の猛烈な倦怠感が、はっきりと残っている。夢だとは、とても思えなかった。
「本当よ…あたし、はっきり覚えてるもの…」
「だから、夢だって。そんな奴、いるわけないんだ。この船の中には、ここにいる四人しか乗ってないんだぜ?」
「でも、あたし、こんなところで寝たりしないわ!」
「眠っちまったのは、そのジジイのせいだってのか? どうやって? 催眠術でも使ったのか?」
「それはわからないけれど…でも、あの人があたしに手を向けて、何か言ったの。そうしたら、急に力が抜けて…」
「へえ、まるで魔法だな」
ロードは感心した素振りをした。まったくローラの言うことを信じていない。ローラは苛立ちを覚えた。
「もう、どうして信じてくれないの!」
「言ったろ? この船に乗ってるのは、俺たちだけなんだ。他の奴がこっそり乗ってたとしたら、ティンクがとっくに見つけて、俺たちに知らせてるはずだぜ?」
「でも、見つからないように隠れてたかも知れないじゃない!」
「あり得ないね」
駄目だ、とローラは思った。何を言っても、ロードは信じてくれない。これでは、堂々巡りを繰り返すだけだ。
そんな時、ライロックが、
「あの、ロードさん」
と、ロードとローラに歩み寄った。
「何だ?」
「ローラさんがこれほど言っているのですから、一度船内を調べてみたらどうです? 私たちの他に、誰も乗っていないかどうか」
「そ、そうよ。お願い、そうして、ロード!」
このライロックの建設的な提案に、ローラは感謝した。船内をくまなく探せば、たとえ何も見つからなくても、自分を納得させることができる。
「誰もいなければ、それでいいじゃありませんか。もし何かがいた場合のことを考えると、何もしないより良いと思いますよ」
「んー…」
ロードは唸った。ローラを見ると、彼女は懇願するような瞳でロードの目を見つめている。
しかし、ロードはまだ、ライロックの意見に賛成したわけではなかった。そんなことをして、何になるのか、と思っている。
この船には、ロードたちの個室を除いて、あらゆるところに監視カメラとセンサーが設置されていて、いつもティンクが船内に異常がないかを監視している。だから、ティンクから警告がない限り、船内に異常はないのである。
とはいえ、何もしなければ、ローラが絶対に納得しないだろうことはわかる。納得しなければ、またローラと終わりのない議論を繰り返さなければならないだろう。ローラが時々頑固になることを、ロードは知っていた。
「ロード」
ローラが、結論を迫った。
「しゃあねえな…」
と、ロードは面倒そうに立ち上がった。
「わかったよ。調べてみましょ。その代わり、何も見つからなかったら、この話はもう終わりだ。わかったな」
「うん! ありがとう、ロード」
ローラが、嬉しそうに立った。そしてライロックに、感謝の意を込めて微笑みを送った。ライロックはちょっと照れて、笑みを返してきた。セレナがそれを見てクスリと笑う。
「ほら、行くぞ。ローラも来い。それと、ライロックとセレナも、この船の構造を覚えるいい機会だ。ついてきな」
ロードはそう言って、早足でドアのほうに歩いて行った。ローラとライロック、セレナも慌てて後を追った。
それからおよそ一時間ほどかけて、四人は、シュルクルーズ内を徹底的に調べて回った。万が一、何者かがいた時に備えて、ロードとセレナは腰にヒート・ソードを差していた。
操縦室、格納庫、エンジンルームから居住ブロックのトイレまで、ティンクにカメラとセンサーで調査もさせながら、隅々まで歩き回った。
シュルクルーズには、外見から見たよりも多くの部屋があるので、それらをすべて回ると、けっこうな時間がかかる。すべてを調べ終わった頃には、ロードたちは疲れた顔を隠せないでいた。
結果はというと、何も見つからなかった。黒いローブの老人など、影すら見えない。ロードには初めからわかっていたことだが。
四人は、これ以上は調べる必要なしと判断してから、休憩室に戻ってきた。
「さ、これで納得しただろ、ローラ?」
例によってボックスからコーヒーを取り出して、ロードはソファに座っているローラを振り返った。
「夢だったんだよ、その爺さんってのは」
「ん…」
ローラはうつむいて、曖昧な返事をした。どうやら、まだ納得がいかないらしい。
ロードはそれに気づいて、眉をひそめた。
「おいおい、約束しただろ? もう終わりだ、この話は。な、ライロック?」
「そうですね…あれだけ探しても、何も見つからなかったのですから、やはりローラさんの錯覚だったのでしょう」
ライロックが、穏やかに言った。
「あまり、気にしないほうが良いですね」
「だってよ、ローラ」
「うん…」
ローラは、少しの間考えた末、吹っ切るように顔を上げた。
「そうね…何かの錯覚だったのかもね」
「そう、見間違いだよ、見間違い。そんな爺さん、いるわけないぜ」
ロードはそう言って、コーヒーを一気に飲み干した。
「そうよね」
ローラが、ようやくいつもの笑顔で、そう言った時だった。
「果たして、そうかな…?」
突然、部屋中に、四人のものとは違う、低く不気味な声が響き渡った。
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