第5話 高貴な漂流者-後編-
「う、うん…」
低く呻いて、セレナ・ターレスは不快感の中、目を覚ました。
目を開けて初めて見えたのは、薄暗い部屋の天井だった。それから、自分が柔らかいベッドに横たわっていることに気づく。
「私は…確か…」
セレナは記憶を辿り、カプセルの中で気を失ったことを思い出すと、慌てて身体を起こした。
プロテクターは身に着けていなかった。剣も腰にない。赤い薄衣姿でベッドを降り、部屋の真ん中で周囲を見渡すと、部屋の隅にまとめて置かれているのが、薄暗い中見えた。
「ここは…?」
セレナは呆然とその場に立ち尽くしていた。
自分が置かれている状況が理解できない。オレンジ色の淡い光に照らされた部屋の中には先刻までセレナが横たわっていたベッドと、小さなテーブルと椅子、クローゼットらしい両開きの戸があるだけだった。
──ライロック王子がいない!
それに気づいた途端、セレナの心臓が早鐘を打った。
「王子は、どこに…?」
セレナは右手に見えるドアに駆け寄り、開閉スイッチと思われる正方形のプレートに手を触れた。だが、何度触れてもドアは開かない。外からロックされているようだ。
「まさか…」
ふと、セレナの脳裏に、恐ろしい考えが浮かんだ。
自分たちは、エルマムドの宇宙船の中にいるのではないか、と。
仮に──セレナはもう、半ばそう思い始めていたが──自分とライロック王子がエルマムドの放った追っ手に捕えられたとしたら、ライロック王子はまだ生きているだろうか?
エルマムドは王家の血を根絶やしにしようと企んでいたから、ライロックが生きている可能性は低い。ここがエルマムドの手の者の宇宙船の中で、かつ捕まってからすでに数時間も経っているとしたら、ライロックは確実に殺されている。
セレナは、身も凍る思いがした。セレナの考えはあくまで推測の域を出ないが、ライロック王子がここにいないことが、セレナの不安をかきたてていた。
と、その時、遠くから、堅い足音が聞こえてきた。それは、着実に近づいてくる。
セレナは戦士としての本能から、素早くドアを離れ、部屋の隅に置かれた剣を手に取った。
足音はすぐ側まで来ていた。セレナは部屋の真ん中に立ち、剣を構える。
足音がドアの前で止まった。すぐ後に、小さな電子音がした。おそらく、ドアのロックを解除したのだろう。
セレナは、剣を握る手に力を込めた。緊張が、彼女の心に走る。
空気の抜けるような音とともに、ドアが開いた。セレナはドアの前に立つ、腰に剣を下げた少年の姿を見るや否や、剣を突きの構えにして少年に肉迫した。
「なっ…!?」
少年──ロードは、セレナのいきなりの攻撃に驚いた。だが持ち前の反射神経で咄嗟に後ろに身を引く。セレナの剣はロードの左頬のすぐ横を通り、廊下の壁に突き立った。
「あ…危ね…」
ロードは冷や汗を滲ませてセレナの剣を見た。と同時に、怒りが湧き起こる。
「いきなり何しやがる、てめえ!」
セレナの顔を睨みつけて、そう怒鳴る。しかしセレナは怯んだ様子もなく、叫んだ。
「王子はどこだ!」
「お、王子?」
ロードが目を丸くした。怒りの形相が消える。
「そうだ! ライロック王子をどうした!」
「お、王子って…?」
「とぼけるな! エルマムドの手先め!」
「エ…エル、何だって?」
ロードは、わけがわからないという風に言った。目の前の女は、何か誤解をしているようだ。
「おい、何か勘違いしてないか? エル…何とかって、何のことだ?」
「まだとぼけるか!」
セレナは壁に刺さった剣を抜いて、再び構えた。
「違うって! 落ち着けよ!」
「何が違うか!」
セレナは斬りかかった。やむを得ず、ロードも剣を抜いて迎え撃つ。刃と刃が衝突し、甲高い音が廊下に響いた。
「ライロック王子を返せ!」
「だ、だから!」
ロードは剣を押した。力勝負は不利と悟ったか、セレナは素早く後方に跳ぶ。着地と同時、再び剣を構える。
「王子だか何だか知らねえが、お前の連れなら、隣の部屋にいるって!」
「えっ…?」
セレナは剣を止めた。拍子抜けしたように目を瞬き、ゆっくりと剣を下ろす。ロードか王子の居場所をあっさりと教えたことで、自分の誤解に気づいたようだ。
「どうしたの、ロード?」
左右に伸びた廊下の左の方から、ローラが何事かと走ってくる。
これがさらに、セレナに効果的だった。エルマムドの手下に、こんな少女がいるわけがないのである。
「こ、ここは、一体…?」
剣を足下に落とし、セレナは呆然とした。
「ふう…」
ロードは安堵の息をつき、剣を鞘に戻す。
「勘違いだって言ったろ…?」
女剣士セレナの誤解は解けた。
ロードとローラは、隣の部屋で眠っているライロック王子の姿を見せて、セレナを安心させた。
それからロードとローラ、セレナは、ソファや長テーブルのある休憩室で、ライロック王子の意識が戻るのを待った。この時にロードとローラは自己紹介し、ここがどこなのかということ、漂流していたセレナたちを自分たちが助けたことを説明した。言うまでもなく、セレナは無礼を詫び、ロードは激怒した。ローラはロードの怒りを沈めるのにひと苦労だった。
しばらくして、ライロックの意識が戻った。そこでセレナとライロックは、改めて助けてもらったことに礼を言い、自分たちが何者なのかを話した。
惑星ユーフォーラの王子、ライロック・フォン・ライバーンと、その護衛の剣士、セレナ・ターレス。
二人はそれを聞いて、驚きに少しの間、言葉も出なかった。
「で…その王子様が、何でこんなところを流れてたんだ?」
いくぶん落ち着いてから、ロードが尋ねた。四人は休憩室のソファに、テーブルを挟んで二人ずつ、向かい合って座っている。
「だいたい、ユーフォーラって言ったら、こことは全然違う星系じゃねえか」
「はい。訳あって…」
セレナがそう答えた。
「ね、ねえロード、ユーフォーラって、どんな星なの?」
ローラが、小声でロードに聞いた。
が、ロードは大きなため息を一つついただけで、何も答えなかった。セレナの「訳あって」という言葉に、何か嫌な感じを覚えたのだ。
「…ロードってば」
ローラがもう一度問う。
すると、ローラの言葉が聞こえたらしく、
「それは、私からお話しましょう」
と、ライロックが言った。
「え? あ、き、聞こえていたんですか? ごめんなさい…」
ローラはいつになく取り乱した。やはり、ユーフォーラの王子を前にして、ユーフォーラのことを知らないというのは、失礼に当たると思ったのだろう。
だが、ライロック王子は気にした様子もなく、
「構いませんよ」
と言った。隣に座っているセレナも、微笑して頷く。
二人は、すっかり警戒心を解いているようだった。
ライロックは、王族らしい落ち着いた口調で、話を始めた。
「私たちの星、ユーフォーラは、アリュース星系の第五惑星です。水に覆われた星で、大陸が一つ、後は小さな島々があるくらいで、人の住める場所は大変限られています。ですが、海底に眠る豊富な地下資源のおかげで、農業とともに工業も発展し、他星との貿易も盛んで、かなり豊かな星と言えるでしょう。政治のほうも、百年ほど前に私の先祖が大陸を統一してからは、いたって順調で、平和な時代が続いていました…」
そこまで言ったところで、ライロックの表情が曇った。
「どうしたんですか…?」
ローラが気遣わしげに尋ねる。
するとロードが眉をしかめて言った。
「…何かあったんだな?」
「…そうです」
そう答えたのは、セレナだった。
真紅の髪をした女剣士は、厳しい目をし、ライロックに代わって話を続けた。
「ユーフォーラは、代々ライバーンの家系によって統治されてきました。歴代の国王陛下たちの政治は、大衆の支持を得た、まさに善政で、ここ百年の間、平和な時代が続いていました。しかし、十日前、その平和が破られてしまったのです」
セレナは、悔しそうに下唇を噛んでいた。
「国王陛下に仕えていた宰相、エルマムド・ラーダが、突如反乱を起こしたのです。どこで手に入れたのか、エルマムドは強力な軍隊を従えて王城に攻め入りました。王城の兵士たちにはなす術もなく、城は瞬く間に奴らに…」
「それで…」
ロードは休憩室の隅にある四角いボックスのほうに歩いて行った。
「あんたたちはそのエルマムドとかいう奴の手を逃れて、ユーフォーラを脱出した…そんなところか」
ボックスからカップに入ったコーヒーを取り出して、ロードが言った。
ライロックとセレナは、同時に頷いた。
「私たちは脱出カプセルで宇宙に逃れ、追っ手を振り切るために、危険を承知で連続ワープを行いました…」
「なるほどな。インターバルを置かずにワープを繰り返せば、カプセルの機能がイカれても不思議はない。機体がバラバラにならなかっただけ、運が良かったってもんだ。下手すりゃ、次元回廊に飲み込まれて一巻の終わりだったかも知れないぜ?」
ワープ機能を司る次元航行システムが暴走し、爆発すると、異なる次元への穴が開く。これを次元回廊といい、ここに飲み込まれた者は永遠に次元の狭間をさまようと言われている。
「無茶をしたと思っています…」
セレナが申し訳なさそうにライロックを見る。ライロックは黙って微笑し、軽く首を左右に振った。
「…で? これから、どうするつもりなんだ?」
コーヒーを一気に飲み干してから、ロードは尋ねた。
「国王陛下は、私にライロック王子を託される時、言いました。今は逃げて、時を待て。王子が王たる才覚を身につけたその時に、ユーフォーラに戻り、エルマムドを倒して平和を取り戻せ、と…」
「要するに、このお坊ちゃんが大人になるまで待てってことだな?」
ロードはライロックに歩み寄り、その頭をポン、と叩いた。
「ちょ、ちょっとロード、失礼よ!」
ローラが慌てた。いくら小さな少年といっても、一国の王子である。その頭を叩くなど、とんでもないことだ。
しかし、ロードは謝る様子もない。加えてライロックまでもが、
「いえ、良いのです」
と言った。
「王子と言えど、国を出てしまえば、ただの子供です。ローラさんも、私に敬語を使う必要などないのですよ」
それを聞いたロードが、感心したように口笛を吹く。
「へえ、気に入ったぜ、王子さんよ。自分の立場がよくわかってるじゃねえか」
ライロックは、微笑した。
セレナもライロックの言っていることを充分に理解しているようで、ロードの無礼な行為に剣を抜くようなことはしなかった。ただ、少しだけムッとした顔を見せはしたが。
「おっと、怖い怖い」
ロードが肩をすくめてみせた。
「そんなに怖い顔するなって。それより、ちょっと質問してもいいかな、セレナさんよ?」
「…何です?」
「あんたたちの置かれてる状況はわかった。けど、一つ疑問がある。そのエルマムドって奴が政権を握ったとして、必ずしも悪政を行うとは限らないんじゃないかってことさ」
その瞬間、セレナの瞳がカッと見開かれた。
セレナの両手が、テーブルに叩きつけられる。あまりに大きな音だったので、ローラがビクッと肩を震わせた。
「あの男が、良い政治を行うはずがありません! あの利己的な男は、ユーフォーラを、自分に都合の良い社会に作り替えようとしているのです!」
憎しみもあらわに、セレナは言った。
「そうなのか、王子さんよ?」
ロードはライロックに視線を戻す。
突然感情的になったセレナより、ライロックのほうが冷静な答えを期待できると思ったのである。
ライロックは沈んだ目をして、静かに頷いた。
「セレナの言う通りです。残念なことですが、エルマムドは野心家でした…」
「そうか…」
ロードはそう言って、天井を仰いだ。
それからしばらくの間、重い沈黙が漂う。
セレナはテーブルの上の両拳を、じっと見つめていた。ローラはそんなセレナを、不安そうな瞳で見ている。
ライロックは目を伏せ、ロードは二杯目のコーヒーを注いで、口に含んだ。
そうして、五分が過ぎていった頃。
ようやく沈黙を破ったのは、ロードだった。
ロードは大きなため息とともに、こう言った。
「こいつは、とんだ拾い物だぜ…」
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