第4話 高貴な漂流者-前編-
宇宙。
そこは、上も下もない、無限に広がる漆黒の空間である。
無数の星々がその中で輝いている。その光景はまるで、黒いキャンパスに宝石をばらまいたかのようだ。
そんな中を、白い球体が漂っていた。星とは違う。直径四、五メートルの、明らかな人工物である。
緊急脱出用のカプセルであった。
そのカプセルは、慣性の働くままに、星の海をゆっくりと流れていた。すぐそばに大きな惑星があるため、カプセルはその惑星の衛星にも見える。
チタン合金でできた外装が、かなり傷んでいた。後部のブースターは、完全に沈黙している。機能のすべてが死んでしまったのだろうか。
中に乗っているのは、二人。紅い髪をし、白いプロテクターを纏った美しい女性と、金髪の、年の頃十二、三と見える少年である。
二人とも、シートにもたれたまま、意識を失っていた。苦しげな表情のまま。
二人は、自分たちがどこにいるのかも、またどこに向かっているのかも知らない。このまま死んでしまうかも知れないということも。
自分たちを待ち受ける運命を知る由もない二人を乗せて、白いカプセルは静かに、宇宙を流れてゆく。
すべてを飲み込むような、広大な宇宙を。
ある大きな惑星の近くに、白い機体が閃光とともに出現した。
美しい、流れるような船首のライン。大きく開いた四枚の翼。
シュルクルーズ。
トレジャー・ハンターのロード・ハーンと、ローラ・マリウスの乗った宇宙艇である。
ウォル星から小惑星都市ウォーレルへ向かうため、二回目のワープが終了したところであった。
ワープとは、一瞬にして数光年離れた場所へ移動することである。別次元──高次空間に突入し、通常の空間を飛び越えるのだ。しかし、ワープで一度に進める距離には限界があるため、小惑星都市ウォーレルのように数十光年離れた場所へ行くには、数度のワープを繰り返さなければならない。
『第二ワープ終了。機体を安定させるため、次のワープまで、一時間慣性航行に入ります』
トーンの高い合成音声が、操縦室に響き渡る。
シュルクルーズに搭載された、機体の全機能を統率する高性能コンピュータ、愛称ティンクの声である。
操縦席のロードは、身体を固定していたベルトを外し、大きく息を吐いた。
隣に座っていたローラも、ふう、と安堵の息を洩らす。
高次空間への突入の際には、人体に強烈なG(荷重)がかかるのである。
「んっ…あーあっ…」
ロードが両腕を挙げて、伸びをする。
「やっと二回目終了か…。ワープってのは、いつやっても肩が凝るなぁ…ティンク、どこだい、ここは?」
『惑星テスラ付近の宙域です』
「テスラ?」
その名を聞いて、ロードは立ち上がった。
そして、
「久しぶりだな、ここら辺に来たのは」
と懐かしそうに言って、窓のほうに歩いてゆく。
窓の外に、青緑色の惑星が大きく見える。
「来たことあるの、ロード?」
問いかけながら、ローラもロードの隣に立った。
「ああ。まだガキだった頃、住んでたことがあってな」
「じゃあ、ロードの故郷?」
「いや、生まれたのは別の星さ。ここは、親父に連れられて来たところだよ」
「親父って…本当の?」
言ってしまってから、ローラは慌てて口を塞いだ。ロードは赤子の時に両親に捨てられ、その後、義理の父親に育てられたのである。
悲しい過去に触れてしまったことを、ローラは申し訳なく思ったのだ。
しかしロードは気にしたふうもなく、
「違う。バイ・ザーンのほうだよ」
と言った。バイ・ザーンというのが、ロードの義父の名である。ローラは、その人もかつてトレジャー・ハンターであり、ロードに跡を継がせたことを聞いていた。
「宝探しで脚を折っちまってね。療養に来たのがこの星だったってわけさ」
「ふうん…綺麗な星ね」
「ああ。工業よりも農業のほうが盛んでね、俺も親父が稼げないもんだから、大きな農場でアルバイトをしたもんだ。まったく、親父の金遣いがあんなに荒くなきゃ、貯金で食って行けたろうにな…」
ロードはそう呟いて、テスラ星を見つめる。
すると、ローラがいきなり、プッと吹き出した。
「な、何だよ?」
「あ、ごめんなさい…その、ロードが畑仕事なんて、全然似合わないんだもの…」
ローラが笑いを堪えながら言う。
たちまち、ロードが憮然とした顔になった。
「金がなかったんだ。仕方ないだろ?」
「わかってるけど…アハハッ、ロードって、どんな格好で畑を耕してたのかなって想像したら、可笑しくって…アハハッ…」
この時のローラの脳裏には、おそらく麦わら帽子を被り、つなぎを着て、鍬を手にしたロードの百姓姿が思い浮かんでいたのだろう。
それを察してか、ロードはますます不機嫌な表情になる。
「何を想像してるんだよ、まったく…」
そう言って、プイとローラから顔を背けた。
すると──。
「ん…?」
窓の外、ロードの視線の先に、星とは違う丸い物体があるのが見えた。
最初は人工衛星かと思ったが、違うようだ。惑星テスラの衛星軌道からは、かなり外れている。
「ティンク、右舷前方の球体がわかるか?」
ロードは何となく気になって、ティンクに問いかけた。
『はい。レーダーに捉えています』
「そうか…スクリーンに拡大してくれ」
『わかりました』
ティンクの声とともに、操縦室の前方上にある大きなスクリーンに、白い球体が拡大されて映った。
「これって…」
ローラもスクリーンに見入る。
『緊急脱出用のカプセルのようです。かなり損傷を受けているようで、メインエンジンは作動していません』
「脱出カプセルか…」
ロードは少しの間、宇宙に漂うこの白い球体を見つめていた。
「中に人は?」
『二人分の生体反応が確認できます』
「妙だな…」
「どうしたの、ロード?」
「生きてるんなら、この船を見つけてるはずだ。エンジンが止まってるってのに、どうしてこっちに救難信号を出さないんだろう?」
「そう言えば…」
ロードの言うことはもっともだった。エンジンが停止した宇宙船の中では、死を待っているようなものだ。充分シュルクルーズが見える位置にいるのだから、救助を求めて当然であるのに。
「何かあったのかしら?」
「たぶんな…。ま、脱出カプセルに乗ってるくらいだから、何もないってことはないだろうな」
「そうね」
「ま、俺たちには関係ないことだけどな。ティンク、もう映像はいいぞ」
「えっ?」
スクリーンの映像が消えるのと、ローラが驚いた顔でロードを見たのは、ほぼ同時だった。
「ロード、助けるんじゃないの?」
「へっ?」
ロードが素っ頓狂な声を上げた。
「助けるって…誰を?」
「誰をって、あのカプセルに乗ってる人たちに決まってるじゃない」
「何で?」
「何でって…あのままにしておいたら、中に乗ってる人たちはどうなるかわからないでしょう?」
「だからって、俺たちが助ける義理なんてないぜ」
ローラは、信じられないといった顔をした。ロードはカプセルに乗っている人たちを助けるものと思っていたのである。
「じゃあ、何であのカプセルのことを調べたの?」
「何でって、ちょっと気になったから…」
「気になって調べて、中にいる人に何かあったことを知って、それで放っておくの?」
ローラはロードに挑みかかるような口調で言った。
「何者かわかんない奴を助けたって、ロクなことないぜ」
ロードが平然と言う。
「でも、このままじゃ…!」
「ローラ」
ロードは片手を挙げて、ローラの言葉を遮った。
「ローラ、宇宙じゃ、得体の知れない物事には関わらないほうがいいんだ。とんでもない事件に巻き込まれて、死んじまうことだって、充分あり得るんだ」
「で、でも…」
「俺はトレジャー・ハンターだ。正義の味方でも何でもない。厄介事に巻き込まれるのはゴメンだよ」
それだけ言って、ロードは操縦室を出ようと、ドアのほうに歩いて行った。
「さーて、コーヒーでも飲むか」
とか言いながら。助ける気はまったくないらしい。
しかし、ローラがそれを許さなかった。ローラはロードの前に回り込んで、ドアの前に立ち塞がった。
「ロ、ローラ…」
ローラは両手を広げたまま、ロードの瞳を真っ直ぐに見つめた。その迫力に、ロードは一瞬怯む。
ローラには、あのカプセルに乗っている人たちを見捨てて行くなど、とても耐えられなかったのである。ロードの言うこともわからないではないが、命の大切さを考えると、どうしても納得できないのだ。
「お願い、ロード。助けてあげて」
「い、言ったろ? 厄介事には巻き込まれたくないんだ」
「あたしたちには、助けることができるのよ? なのに、見捨てるなんて…!」
ローラはちょっと躊躇った様子を見せたが、言葉を続けた。
「それじゃ、人殺しと同じよ!」
「ローラ…」
ロードは少なからず動揺しながら、ローラの顔を見つめた。
彼女は、いつになく真剣だった。見たこともないくらい、厳しい表情をしている。
断固としてロードを行かせないといった決意が、ありありと見て取れた。
少しの間、張り詰めた沈黙が二人の間に流れる。その間も、ローラはロードの目から、片時も目を離さなかった。
(ったく…しゃあねえな…)
ロードは、心の中で呟いた。
(ローラに人殺し呼ばわりされるのは、ちょっとな…)
と、苦笑する。
それを見て、ローラが嬉しそうな顔をする。ロードの心の変化を察したのだろう。
「ロード」
「厄介なことになっても、知らねえぞ」
「うん! ありがとう、ロード!」
「いいさ。俺も、人殺しと呼ばれるのは嫌だからな」
ロードはそう言って、くるりと振り向いた。
「ティンク、右舷前方のカプセルを収容する。頼むぞ」
『了解』
数分後、傷ついた脱出カプセルは、シュルクルーズの後部格納庫に収容された。
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