第1話 密林の礼拝堂

 巨大な葉を掻き分けて、栗色の髪の少年ロード・ハーンと金髪の少女ローラ・マリウスは、密林の中を進んでいた。

 天高くまで樹木がそそり立ち、その枝葉が青空を大部分隠している。根元には腰あたりまでくるほどの長さのシダ植物が生い茂っており、歩き難いことこの上ない。

 耳に入ってくるのは風が起こす木々の葉擦れの音と、爬虫類の特徴を半ば残した原始的な鳥たちの甲高い鳴き声だけであった。

 ロードはデジタル表示のコンパスで方角を確かめながら、先へ先へと進み、ローラはその後を少し不安げについてゆく。

 しばらく歩くと、ふと、前方の木々の間に、岩壁のようなものが見えた。

「あれなの、ロード?」

 ローラが後ろから声を掛けてくる。

 ロードはちらとローラのほうを向いて、頷いた。

「間違いない。こいつによると、あの岩壁に洞窟があるはずだ」

 そう言って、ロートは黄ばんだ古い羊皮紙をひらひらさせた。それは地図であり、二人はこれを頼りにここまで来たのである。

「ほら、地図の通りだ」

 岩壁まで来て、ロードはニッと笑った。

 そこは高さ百メートルはあろうかという高い崖の麓で、樹海が途切れている。そしてロードとローラの目の前には、洞穴がぽっかりと口を開けていた。

 自然のものではない。入口は、四角い石を組み合わせて縁取られている。

「この中に…」

「ああ、この奥に礼拝堂がある。マーヤの幻石は、そこだ」

 マーヤの幻石。それが二人の目的であった。

 遥かな昔、ここウォル星に住んでいた人々は、マーヤという神を信仰し、世界各所に礼拝堂を造った。そしてそこに神を表す石像を置き、祀っていたという。

 マーヤの幻石とは、その石像の額に嵌め込まれているといわれる拳大の宝石のことである。

 ウォル星の原始文明が滅んで、五千年。世界中に散らばるマーヤの礼拝堂はあらかた盗掘され尽くしてしまったが、ここにまだ、手つかずの礼拝堂があった。そういう情報を二人は手に入れて、ここまで来たのである。

「行くぞ」

 そう言って、ロードは洞窟の中へと足を踏み入れた。ローラも、後に続く。

 洞窟は、わずかに下に傾斜している。床は石畳、壁は石のブロックを積み上げたものだが、長い年月が経っているために、無数の亀裂が入っていた。

「く…崩れないでしょうね…」

 ローラが思わずそう口にする。恐る恐る足を進めながら。

「不安になるようなこと言うなよ。大丈夫さ、大丈…」

 ロードがそこまで言いかけた時だった。

 カチッ、とロードの足下で小さな音がした。はっと下を向くと、ロードの右足が置かれた床のブロックが、わずかに沈んでいる。

「まずい!」

 叫ぶと同時に、ロードは振り向きざま、ローラを押し倒した。

「キャッ!」

とローラが小さな悲鳴を上げるのと、左側の壁の隙間から飛び出した細長い何かが反対側の壁に当たるのとは、ほぼ同時だった。

「あ、危ね…」

 起き上がり、右側の壁を見て、ロードは冷や汗を拭った。

 そこには、鉄製の細い槍が数本、突き刺さっていた。

「幻石を守るための罠…?」

 ロードに手を引かれて、ローラも起き上がる。

「正しく道を通らなきゃ、神様は拝めないってわけか…」

「それだけ大切なのね、マーヤの神像は」

「それだけすごいお宝なのさ…マーヤの幻石は」

 ロードはそれから、腰に下げていたヒート・ソードを抜くと、それを右手に持ち、杖のようにして数歩先のブロックの安全を確認しながら進んだ。

 もちろん、それだけで完全に罠を防ぐことはできなかった。

 時には何気なく触れた壁のブロックが引き金となって、天井から岩が降ってきたり、偶然足に引っ掛かった蔓が、毒矢の発射装置に繋がっていたこともあった。

 しかし二人は、それらの罠をどうにかかわし続け、一時間ほど経った頃には、長く危険な一本道を抜け、ドーム状に掘り抜かれた礼拝堂の前に立っていた。

「やっと着いたな…」

 言いながら、ロードは礼拝堂をざっと見渡した。

 礼拝堂といっても、奥に三体の石像と祭壇があるだけで、粗末な造りである。樹海の侵食を受け、天井や壁、床はびっしりと蔓で覆われている。だが不思議なことに、祭壇と石像の周りだけは蔓が避けているようだった。

 中央の石像が、おそらくマーヤの像であろう。両側の二体の石像よりも一回り大きく、布の服を着て、両手を大きく広げている。その額には、青く輝く宝石が。

「あった…あったぞ。マーヤの幻石だ…」

「あれが…?」

 ローラの目も、マーヤ像の額に釘づけになった。

「綺麗…」

とため息混じりに洩らす。

 まるで海を思わせるような青さと輝き。それは五千年経ってもいささかも衰えていないように見えた。天井の隙間から差し込む光を受けて、幻想的にきらめいている。

「よし、俺が行く。ローラはここで待ってろ」

 青い宝石を見つめて、ロードは歩き出した。もちろん、ヒート・ソードで床を調べることは忘れない。

 幸いにも、ここの床に罠はないようだった。何の障害もなく、ロードは祭壇の横を抜け、三体の石像の手前までたどり着くことができた。

「よし…後は幻石を外すだけだな…」

 ロードはマーヤ像を見上げる。足下の台座も合わせて、全高は四メートル弱。手を伸ばしても額にはもちろん、肩にも届かない。少しの間考えた末、ロードは祭壇から像の肩に飛び移ることにした。祭壇と像との距離は、そんなに離れていない。成功する確率は高いと思われた。

 ロードはいったん振り返り、入口のところで待っているローラに笑みを見せると、腰ぐらいの高さの祭壇に飛び乗った。

「へへ…さて、と…」

 余裕の表情で、ロードは祭壇の上に立つ。

 と、その時。

 ズ、と祭壇がわずかに沈んだ。

 いや、わずかではない。ロードを乗せた祭壇は、どんどん床へと沈んでゆく。

「な…何だ、これは…?」

 戸惑っているうちに、祭壇はとうとう床と同じ高さになり、止まった。

「いったい…?」

 ロードの心に、不安がよぎる。この仕掛けが、何かの罠のスイッチだと予感したのである。

 そして、その予感は正しかった。神聖なる神の像を守るための仕掛けが、動き出したのである。

 それに最初に気づいたのは、ローラだった。

「ロード!」

 ローラが声を上げた。ロードが振り向くと、彼女はロードの背後、三体の石像のほうを指差している。

「…?」

 何のことかと後ろを見ると…。

「なっ…!?」

 ロードの目が、大きく見開かれた。信じられないものを、そこに見たのである。

 マーヤの神像を挟むように立つ、二体の石像。それは当初、大きな剣を捧げ持つようにして立っていた。それが今は、その剣を大きく振りかぶっていたのだ。

 ロードは幻を見ているのかと、両目を擦った。しかし、ローラが、

「危ない!」

と叫んだので、二本の剣が振り下ろされた時、ロードは後ろに跳んでそれをかわすことができた。

 見ると、つい先刻までロードがいた場所に、二本の剣が深々と食い込んでいる。一体何の材質でできているのか、剣は蔓を切断し、床の石ブロックを断ち割っていた。

「こ、こいつは…」

 身体を起こしたロードは、自分に向かって足を動かし始めた二体の石像を見て、数歩後退った。そして、遥かな昔ウォル星に住んでいた人々の中には、魔法のようなものを使う者がいたという伝承を思い出した。

 信じたくはないが、現に石像が動いている以上、これは魔法としか考えられない。

 ロボット? 違う。ウォル星の文明は、機械が発明されるよりもずっと以前に滅亡しているのだ。これは魔法で動く人形──ゴーレムだ。

 二体のゴーレムは再び剣を振り上げ、神の領域を侵した者を抹殺しようとしている。

「ロード!」

「ちくしょう! ここまで来て、手ぶらで帰れるか!」

 ロードは剣が振り下ろされる前に駆け出し、二体のゴーレムの間をすり抜け、マーヤ像へと向かった。

「ロード!?」

 ローラが驚きの声を上げる。

 自分の身長の倍近くもある石像が、二体同時に襲い掛かってくるのである。ローラは、ロードが逃げるものと思っていた。

「無茶よ、ロード! 逃げて!」

 だが、ロードはその言葉を聞き入れようとはしなかった。ゆっくりとロードのほうを振り返るゴーレムを無視して、マーヤの像によじ登ろうとしている。

 ゴーレムの一体がマーヤ像に歩み寄り、剣を持っていないほうの手を伸ばす。ロードを像から引き剥がそうというのだろう。折しもその時、ロードは像の肩に右手を掛けたところだった。

「ちっ!」

 ロードは掴まれてはたまらないと、右手を放し、いったん床に降りた。石像の手は直後、何もない空間を掴む。

「くそっ…やっぱり、こいつらを何とかしないと、幻石は手に入らないってのか…!」

 ロードがマーヤ像の後ろに回り込む。二体の石像は、左右に分かれてそれを追う。

 ロードは腰のホルスターから熱線銃を引き抜き、発砲した。だが真紅の光線は弾かれた。ゴーレムの表面に、傷一つつけることができない。明らかにゴーレムを形作っているのは、ただの石ではなかった。

「ちっ…なら、こいつだ」

 言いながら、ロードは左手に持っていたヒート・ソードを右手に持ちかえ、柄の部分にあるスイッチを押した。

 ブン、と、剣の刃の部分が赤く輝いた。ヒート・ソード本来の姿、鉄をも両断する高熱を帯びた剣である。

 二体のゴーレムが迫る。ロードは剣を構え、相手の出方を待った。

 ゴーレムが剣を振り下ろす。ロードは跳躍してそれをかわした。二本の剣が床に食い込む。

「今だッ!」

 ロードは着地と同時に、左のゴーレムに的を絞り、剣を持ち上げようとするその腕にヒート・ソードを振り下ろした。

 手応えあり。ヒート・ソードはその高熱で、ゴーレムの右腕を肘から切断した。

「よしっ!」

 言うが早いか、ロードは後方に跳び退く。健在な方のゴーレムが、剣を持っていない左手でパンチを繰り出してきたからだ。

 その拳は、切断され、床に残っていたゴーレムの腕を粉々に砕いた。

「へへっ、間抜けな奴らだ!」

 ロードはそう言って、再びゴーレムに向かってゆく。そして地面を蹴り、まだ拳を突き出した格好のままの腕を踏み台にして、ゴーレムの左肩に飛び乗った。そこから、ゴーレムの頭越しにマーヤの像が見える。

 片腕のゴーレムが体勢を立て直し、ロード目掛けて左拳を突き出す。

「おっと!」

 ロードはゴーレムの右肩に移ってそれを避けると、そのままマーヤ像の右肩に跳び移った。目標を失った拳はロードの乗っていたゴーレムの左頬を掠め、そのまま勢い余ってゴーレム同士、身体ごと激突する。結果、二体のゴーレムはもつれ合って倒れ込み、重い響きで礼拝堂を震わせた。

 その隙にロードはマーヤ像の額から幻石を取り外そうとするが、幻石は像の額にしっかりと嵌まっていて、素手で取り外すことができない。やむを得ずロードはヒート・ソードでマーヤ像の首を切断した。

 甲高い、狂ったような悲鳴がどこからか響く。ロードもローラも、思わず耳を塞いだ。

「っつ…何の声だ」

「ロード、早く!」

 入口のところで、ローラが叫ぶ。

 後ろを見ると、ちょうど二体のゴーレムが立ち上がったところだった。彼らは狂ったように腕を振り回し始めた。守るべきマーヤ像の首が落ちたため、混乱しているのだろうか。

 と同時に、礼拝堂全体が、激しい地響きに見舞われた。天井を支えていた石のブロックが一個、また一個と落ちてくる。半ば風化していた洞窟が、今の戦闘の衝撃で崩れ始めたのだろう。この洞窟も、もう長くは保たないことは明らかだ。

「逃げるぞ、ローラ!」

 ロードはヒート・ソードを腰に戻し、マーヤ像の首を抱えて像の肩から飛び降りた。

 石のブロックが次々と落下する中、ロードは入口のところまで駆け戻ってくると、ローラの手を引っ掴み、一目散に外へと通じる一本道に入った。

 その二人の後方で、狂った二体のゴーレムは、崩れ落ちる無数のブロックの下に埋もれていった。おおん…と悲鳴とも泣き声ともつかぬ音が聞こえたのは、気のせいだろうか。

 そして。

 舞い上がる土煙の中、両壁から飛び交う矢を身を屈めて避け、落とし穴をかろうじて飛び越え、やっとのことで二人が洞窟を抜け出した頃、古き礼拝堂は石と土の下にその姿を消したのであった。

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