第8話 裏切られた、ような

「わたしの質問に答えてよ。なに、してるの?」

 日和ちゃんの丸い瞳が、新品のナイフのような光を宿す。津波が轟くような声と同時に、拳銃の安全装置セーフティが解除される音がした。桐原さんはしばらく無言で日和ちゃんを睨んでいたけれど……ふと、呆れたように腕を組む。

「……ったく、しつけーな。わかったよ……コイツが任務放棄したから、センセーの指示でとっ捕まえてるだけ」

「そっか。……なら、そんなに痛めつける必要、あったの?」

「どっちにしろセンセーが痛めつけてたでしょ。ウチがどうしようが一緒だって。それにさぁ……日和だってわかってるっしょ?」

 言い放ち、桐原さんは尊大に腕を組んだ。白目がちの瞳が呆れたように細められる。ひぐ、と僕の喉が情けない音を立てた。彼女の言おうとしていることが、何となくわかった気がして。だけど……鮮やかな色の唇は、天秤の皿のような形に歪んだ。


「コイツは、って」

「……っ、それは」


 ――雷に打たれたような心地。心臓が早鐘を打って、息がしにくくなって。震える手を伸ばし、胸元の赤いリボンを握りしめる。皴がつきそうなほど強く……居もしない誰かに縋るように。ねえ……どうして日和ちゃんは何も言わないの? 拳銃を握るその手は、そんなに、震えているのに……。

「あはっ、やっぱり否定できねーじゃん」

 見下すように目を細め、桐原さんは両手を広げた。ナックルダスターナイフの銀色が目を焼く。小さな雨粒が僕たちの間に投げ捨てられて、アスファルトに黒い染みをつくった。

「誰かを見下して生きるのは楽だよ。自分の弱さを呪って苦しまなくていいからさ。大多数が楽なら、一人くらい犠牲がいても誤差だって」

「……そんな」

「だいたいウチらは殺し屋だよ? 今はそうじゃなくても、将来そうなるんだよ? こんなちょっぴりの犠牲、気にしてたらやってられないって。それにさぁ……日和だって、本当はこんな奴、助けようと思ってないっしょ?」

「……っ」

 息を呑む音が、針のように鼓膜を突き刺した。平手で頬を打たれたように、見開いた瞳で日和ちゃんを見上げる。呆然とと口を開くけれど、何を問えばいいのかもわからなくて……首筋を、ひどく冷たい雨粒が打って。

「だってさぁ……日和は、んでしょ? その『皆』に、ソイツ入ってんの? 結局アンタも、ソイツのこと舞台装置としか思ってないんじゃない?」

「そんな……わたしはっ」

「日和がソイツと仲良くしてんのってさ、単にソイツが心折らないようにってだけっしょ? それだって、ソイツのためじゃないじゃん……ソイツが折れたら、から!」

「違う……わたしは……っ!」

 歌うような、笑うような声。糾弾するような雨音が伴奏になって、ひどい不協和音を奏でていた。日和ちゃんは金切り声を上げるけれど、その片手の銃口はアスファルトに向けられたままで。……安全装置セーフティが戻される音が、鋭い鎌のように鼓膜を突き刺す。呼吸すらできなくなった僕を覗き込み、桐原さんは獲物をいたぶる獣のように笑った。

「……ほんっと、かわいそうだね。たった一人のオトモダチからも、裏切られちゃったね。いい加減、認めろよ……」

「……ッ」

「テメーは、誰にとっても、どうでもいい存在なんだって」

 ……太い刃が、胸を穿つようだ。喉が収縮するように息がしづらい。わざわざ聞き取りやすいように単語を短く切り、桐原さんは言い放った。ナックルダスターナイフを仕舞い、動けない僕の腕を乱暴に掴んだ。

「悔しかったら、ちょっとは努力したらいいと思うよ。じゃあ……もう飽きたし、センセーのところ、行こっか」

 冷めた声が、令状を読み上げるように放たれる。僕の身体を雑に担ぎ上げ、桐原さんは小雨の中を歩き出した。……見開いたままの僕の瞳に、桃色のボブカットが映る。日和ちゃんは、片手を僕に伸ばしかけて……視線を伏せ、その手を静かに下ろした。


 ◆◆◆


「……くだらない」

 タブレット端末に映る映像を観察する。緑髪の少女……結城ミハル、といったか。彼女が教師の前に打ち捨てられ、両手に拘束具をつけられる様子を観察する。醜い殴打音をBGM代わりに、私は映像のレコーディングが途切れていないことを確認する。……この映像は、信用がある組織に流す予定だ。相手は学園という、それなりに大規模な組織……私ひとりで壊滅させるには、無理があるだろう。孤高の暗殺者なんて陳腐な名で呼ばれてはいるが、自分でそう名乗った覚えはない。

「醜い。汚い。歪んでいる。狂っている。気持ち悪い。……正しくないッ」

 自分の声が震えていることに気付き、小さく深呼吸。黒いミリタリーコートの襟を直し、再び端末に視線を落とす。

「正しくないものなんて、あってはならないんだ」

 未だ耳奥に残る声をなぞり、そう声に出す。いつだって正義を遂行し、悪をその手で滅ぼしていた人。……だけど、私はあの人と袂を分かった。あの人の正義は、私のそれと違ったから。

 液晶に映る映像を注視する。少女が気を失ったように反応をなくしても、周囲の人間たちは暴行を続けた。……これを是とする環境が、悪を生み出すのだろう。暴行を行う教師も、寄ってたかって一人を傷つける生徒も、それを黙って受け入れ続ける犠牲者も。自分さえよければ、他人がどうなろうとどうでもいい――そんな、唾棄すべき悪を。

「だから私が、滅ぼすしかない」

 宣言し、映像のレコーディングを停止する。

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