第7話 衝突
「あっれ……何やってんのテメー。えっと……ごめん、誰だっけ。うちのクラスにいたよね?」
聞き覚えのある声が耳を打って、僕は思わず足を止めた。全身が凍り付いたように動かない……動けない。恐る恐る振り返ると、不自然な茶色のツインテールが派手に揺れた。
「……桐原、さん?」
「気安く呼ばないでよ……虫唾が走るんだけど」
黒い瞳が蔑むように僕を眺める。身長自体はさほど変わらないはずなのに、何故か見下されているような気がして。強い風に、大きな赤いリボンと前開けにされたカーディガンがそよぐ。ミニスカートの裾が翻り、太ももにベルトでくくりつけられたナイフの端が見えた。彼女は呆れたように腕を組み、白目がちの瞳をすっと細める。
「ってかテメー、まさかの任務放棄?」
「なんで、それを」
「センセーが監視カメラで逐一状況チェックしてるらしくてさぁ。テメーが任務放棄して逃げ出したから、さっさと任務終わらせたウチに指令が下ったの。テメーをとっ捕まえろって」
「……ッ!」
冷たい指で背筋をなぞられるような感覚に、上げそうになった悲鳴を噛み殺す。レザーブーツの音を重く響かせ、桐原さんは僕に歩み寄った。白目がちの瞳を直視できなくて、思わずアスファルトに視線を落とす。と……黒いブーツの先端に、仕込みナイフの銀色が見えた。両手の指先でナックルダスターナイフを回しながら、彼女は重い靴音と共に僕に迫る。
「テメーさ、自分の立場わかってんの? うちの学年を代表する落ちこぼれだよ? なんで普段からそんなヘラヘラしてられんのかなーって、ずぅっと疑問だったんだよねぇ……」
「……それ、はッ」
「うん?」
銀色の光が視界を焼く。僕を責め立てる、生徒たちや先生方の視線のように。ナイフはまだ肌を貫いてすらいないのに、心臓を抉られるような錯覚が胸を冒した。喉すらも塞がれたように息ができない。なのに、僕の口はひとりでに言い訳じみた言葉を吐き出した。
「そうしなきゃ、っ……やってられなくて」
「……は?」
白目がちの瞳が、すっと細められる。その声がワントーン低くなって、僕は思わず一歩後ずさった。ざり、とスニーカーがアスファルトを滑る音。それに被せるように、桐原さんのブーツが高らかに地を踏みつけた。どこかで甲高いクラクションが響いて、僕は捕らえられた小動物のように声を上げた。
「僕は、最初から……こんなところ、来たくなかったのに。殺しとか、訓練とか、そんなの関係なかったのに! 向いてないこと、無理やりやらされて、できないからって罵られて……これじゃ絶対、普通になんてなれないじゃんッ! そんな僕の気持ち、桐原さんに――」
「気安く呼ぶなッ!」
絹を引き裂くような叫び。同時に、ハンマーか何かで殴られたような衝撃が腹に走った。足元が覚束なくなったと思えば、背中がどこかの外壁に叩きつけられて。アスファルトが太ももを削り、血が滲む。喉元まで苦い液体がせり上がって、僕は酸素を求めるように咳き込んだ。逆立った喉の内壁が焼けるように痛んで、アスファルトに緑色の液体がぶちまけられた。
「が……っ、ふ……ぅっ」
「……ふざけんじゃねえぞ。逃げてんじゃねえぞッ」
吐血するような声が響く。重い足音が迫ってくる。荒い呼吸を繰り返しながら、縋るように見上げるけれど……桐原さんの姿は、滲んで見えない。
「いっつもいつも被害者面で、都合のいい言い訳ばっかして、立ち向かおうともしないでさぁ……テメーのそういうところが嫌いなんだよッ! 何が普通だよ……要らねぇことにいつまでもこだわっちゃって。本当バカじゃないの? 努力のひとつもしないくせに、悲劇のヒロインぶっちゃってさぁッ!」
「……そんな、こと……っ」
言いかけて、再び腹を穿たれる。ブーツの爪先から刃が飛び出て、醜い音を立てて制服の繊維を引き裂いた。僕の肌を貫く寸前で足を止め、彼女は地吹雪のような声で言い放った。
「不満垂れるしか能が無ぇザコだから……っ、ウチは! テメーのことが嫌いなんだよッ!」
「……なに、してるの?」
ふと、凪いだ海のような声が耳を打った。桐原さんがゆっくりと振り返る気配。荒い息をつきながら、僕は瞬きを繰り返して涙を落とす。……桃色のボブカットの少女が、呆然としたように僕たちを見つめていた。
「……日和じゃん。なんでこんなとこにいんのさ。訓練は?」
「……さっきの騒ぎで、ターゲットが逃げちゃったんだよ」
「うっわ、聞こえてたとか……はぁ。ってかさ、だったらアンタもそっち追えば? こんなのに構ってる暇なんてないでしょ?」
親指を僕に向け、桐原さんはどうでもよさそうに吐き捨てた。思わず全身が震え、喉がひゅっと変な音を立てる。桐原さんの背中越しに、日和ちゃんが僕を見つめた気がした。彼女はゆっくりと首を左右に振り、鮮烈な言葉を吐き出す。
「わたしの質問に答えてよ。なに、してるの?」
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