第6話 震え
山道を縫うようにマイクロバスが走る。その一番後ろの席で、僕はぼんやりと窓の外を見つめていた。人が寄りつかない山奥に、ひっそりと存在する舗装道路。劣化がひどいアスファルトの先に待っているのは、学園が保有する市街地のセット――暗殺実習に使用する、偽物の市街地だ。
窓の向こうは新緑の広葉樹で満たされていた。日が昇ってまだ間もないからか、淡い霧が木々の間を包んでいる。時折小鳥が視界を横切り、小動物が木の上からこちらを見つめてくる。……彼らはきっと、僕たちが何者なのか知らない。バスの中が血のような言葉で満たされていることを、死んでも知ることはない。
「……大丈夫? ミハルちゃん」
「あぁ、うん……僕は大丈夫。気にしないで」
隣で揺れる桃色のボブカットに、僕は軽く笑いかける。大丈夫……そう、大丈夫。言い聞かせるように、心の中でも何度も繰り返す。
◇◇◇
「さて……全員揃っているな。改めてルールの確認だ」
バスターミナルの脇の広場に、僕のクラスの生徒たちが輪を描いて集まっていた。それを見回し、担任教師がバインダーを片手に口を開く。
「朝に配ったプリントの通り、ランダムで指定されたターゲットの暗殺が任務だ。ターゲットの情報はプリントに載っているから、それを利用して臨むように」
ウェストバッグの中から、小さく畳まれたプリントを取り出す。指定されたターゲットは……若い男の人、か。線が細くて肉が薄い体形。そこまで激しく抵抗するタイプではなさそう、かな。……そこまで考えて、唇を強く嚙む。何で僕は、こんなに自然に分析なんかしちゃってるのさ。ダメだよ、こんな環境に染まっちゃうなんて。こんな異常な世界が、普通だって思ってしまったら……!
「……落ち着いて、ミハルちゃん。大丈夫、きっと大丈夫だよ」
……静電気を思わせる、鋭い声。顔を上げると、日和ちゃんの丸い瞳が僕を見つめていた。はっと息を呑み、反射的に一歩後ずさる。……いつもの柔らかい視線の中に、白い火花が飛び散っているように見えて。いくら仲良くしてくれたって、やっぱり日和ちゃんも違う世界の人間だって、突きつけられたみたいで……。
「……うん。ごめん、取り乱して」
彼女から視線を逸らし、プリントに目を落とす。……そうしないと、胸が潰れてしまいそうだったから。無意識に指先に力が入って、薄いプリントの端がぐしゃりと潰れた。
◇◇◇
強い風が僕のポニーテールを揺らす。ワイシャツの下の長いナイフが腰に当たって、喉の粘膜が泡立つような違和感をもたらしていた。耐えるようにプリントに目を落とし、改めてターゲットの情報を確認する。夜勤明けの昼頃、人気のない路地裏を通って帰宅するという話だけど……大丈夫、かな。ブロック塀に背中を預け、曇天を見上げながら息を整える。……走ったわけでもないのに、どうして息が上がっているんだろう。どうにか呼吸を整えようと、胸元の赤いリボンを握りしめる。
――と、スニーカーの足音が耳を打った。思わず悲鳴じみた声を上げかけて、無理に飲み下す。ワイシャツの下に手を這わせ、分厚いナイフをそっと引き抜いた。金属質の光沢が胸を刺すようで、心臓が際限なく潰されていくようで。
「……っ、はぁ……ッ」
視界が滲んでいく。呼吸が速くなっていく。今にも膝が折れそうで、身体が端から壊死していくようで。まだターゲットを視界にすら収めていないのに……立っているだけで精いっぱいだ。気温が急激に下がっていって、気を抜けば意識が遠のいてしまいそうで……握っていたナイフが、するりと手から抜け落ちる。
ガランッ――と、派手な金属音が鼓膜を打った。反射的に喉が勢いよく息を吸い込んで、ひぐっ、と醜い音をたてる。脚から力が抜けて、剥き出しの膝がアスファルトの上を滑る。おろし金にかけられたように膝の皮が剥けて、鋭い痛みが意識を身体に引き戻した。
――まずい。まずいまずいまずい。脳裏が無意味な単語で埋め尽くされて、沸騰したように思考がまとまらない。視界がホワイトアウトしていくような錯覚に、僕は縋るように胸元のリボンを握りしめる。
「な……ッ、何してるんだ、君はッ!」
誰かの絶叫が耳をつんざいて、僕は弾かれたように顔を上げた。誰かの姿が白く滲んで、それでも危機感だけはサイレンのように脳裏を冒して。片手で口元を押さえて、悲鳴を噛み殺すのがやっとだ。針金細工のように細い影は、きっとターゲットのはずなのに……太い鎖で縛り上げられたかのように、身体が動かなくて。
「とっ、とにかく警察……! っと、スマホどこだ……」
「……ッ!」
男性の声に、反射的に身体がびくりと震えた。血が流れる膝を無理に曲げ、雛鳥のようにぎこちなく立ち上がる。ターゲットだった人に背中を向け、落としたナイフもそのままに駆けだした。痛む膝を押して、必死に地面を蹴りつける。もう訓練なんてどうでもいい……とにかく、すぐにでもこの場を離れたかった。
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