第5話 利害の一致

 帰りのホームルームを告げる鐘が鳴り、生徒たちが一斉に着席する。廊下側の一番後ろの席から、僕は教卓に上がる先生を眺めていた。その手には分厚い資料の束がある。連絡事項……かな。

 ホームルーム開始の挨拶もそこそこに、先生は各列に資料を流しはじめた。桐原さんが茶色のツインテールを揺らし、派手な舌打ちと共に資料を放り投げる。慌ててそれを掴み、小冊子状のそれをまじまじと見つめ……『第1回実地訓練』の文字を脳裏で再生する。

「二週間後の火曜日、今年度生の第1回実地訓練を行う。詳細はその小冊子に書いてあるため、各自確認するように。学園の私有地にある街を模したフィールドで、実際に人を殺す訓練だ。人殺しが初めてな奴は……まぁ、一人しかいないだろうが、安全性の観点から敷地内で行うこととしている。警察に捕まる様なヘマをする奴は……一人しかいないだろうがな」

 さっきから執拗にこちらを見てくる担任。その視線はまるで奴隷商人のようで、思わず視線を逸らしてしまう。前の席の女子生徒がくすくすと笑いを漏らし、それが針になって胸に突き刺さるみたいだ。何も見たくなくて、聞きたくなくて、僕はただ資料の表紙に視線を落とした。……事を荒立ててさらに厄介なことになったら、ますます普通じゃいられなくなるじゃん。小冊子の表紙の片隅に、指先が小さなしわをつくる。

 斜め前の席から視線を感じ、恐る恐る顔を上げると……桃色のボブカットがふわりと揺れた。日和ちゃんの丸い瞳が僕を見つめ、微かに頷きかける。その表情は真っ白な兎のようで……ふわりと表情を綻ばせ、僕は彼女に向けて頷き返した。


 ◇◇◇


「……実地訓練は、本校舎とは別の場所にある専用施設で行われる。武器はその時に支給される。制限時間は24時間で、死体処理まで時間内に終わらせなければならない。一般人役のエキストラに目撃されたらその時点で失格。……結構厳しいみたい、ですね」

『そりゃそうだろう。暗殺者に失敗は許されない』

 耳に仕込んだコードレスイヤフォンから、淡々とした声が届く。あの日出会った漆黒の少女……孤高の暗殺者『ハーツ』。一音一音を聞くたびに、あのカラスのような姿が脳裏で鮮やかに輝く。そんな僕の心情を知ってか知らずか、その人は淡々と言い放った。

『……私は協力しない』

「そ、それは、はい」

『指導もしない。お前が急に強くなったら、怪しまれるから』

「……」

 若干鼻につく言い回しを、唇を噛んで無理やりスルーする。……実際、あの人は強いみたいだけど、それにしたって言い方ってものがあるんじゃないかな……。そんな僕の心中を知ってか知らずか、その人は電波越しにブロック菓子をかじる音を響かせた。

『……実地訓練だったか? 私にとってはチャンスだな。隠しカメラくらいはあるだろうし、それの映像を入手できれば……。それなりの機関……例えば「特課」にでも送りつければ、それなりの措置は取られるだろう。いや……この程度のことで「特課」が動くか? いくら提携していない組織だとはいえ……』

「トッカ……?」

『知らなくていい』

 バッサリと切り捨て、彼女はもう一口ブロック菓子をかじった。しばし咀嚼音を響かせたのち、静かに口を開く。

『……それまで、耐えられるか?』

「あ、えと……」

 思わず、言葉に詰まる。……耐えられるかどうかは、わからない。でも……今の日常が続いているうちは、大丈夫じゃないかな。もっと酷いことにはならない、はず。それが僕にとっての普通になりつつあるのは嫌だけど、それももうすぐ終わるから。どんなに長いトンネルでも、出口が見えたなら、もう少し頑張ろうって思えるから。こわばる口角を無理に引き上げ、僕はマイクに口を寄せる。

「……大丈夫、です。……きっと」


『そうか。ならいい』

 淡々と言い放ち、その人は黙り込んだ。何を考えているか推し量れず、僕はゆっくりと口を閉ざす。……通話が切れる気配はない。『ハーツ』の息遣いを聴きながら、僕は改めて問いを投げかけた。

「……あの……どうして、僕に接触したんですか?」

『……それを聞くか。まぁ、いいが』

 何の感情も滲まない声は、あっさりと承諾の意思を載せた。……もしかしたら、あの人の望みがわかるかもしれない。別に知ってどうこうってわけじゃないけど……気になるじゃないか。孤高の暗殺者が、どうして僕みたいな落ちこぼれを助けてくれるのか……。脳裏に疑問符を浮かべる僕に、その人は透明な声で告げる。

『簡潔に言うと、利害の一致だ』

「……利害」

『私の目的のために、お前は利用価値がある。出せる対価もある。それだけだ』

「……」

 粉雪のような声に、僕は思わず視線を伏せた。……別に、期待してたわけじゃないさ。動機がどうだろうと、僕があそこから逃げられることには変わらないんだ。……僕が、普通を手に入れることができることには。拳を握りしめる僕に、彼女は神託を告げる巫女のように語りだす。

『私は「ハーツ」。悪を憎む心、悪に傷つけられた心。そして、悪を滅ぼす鎌。……三途川みとがわ学園は、自己保身と排他主義の悪を量産する掃き溜めだ。だから滅ぼす。それだけだ』

 それだけを吐き捨て、その人は黙り込んだ。……その声には鍛え上げられた剣のような輝きが宿っていたけれど、同時に誰のものかわからない血痕がついているような気がして……全身を鳥肌が駆け抜けていった。

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