第4話 見習いは平穏を夢見る

「ミハルちゃん……!」

 寮に帰ると、桃色のボブカットの少女が駆け寄ってきた。まん丸の瞳が僕を見上げ、心配そうに瞬く。

「遅かったね……なにかあったの?」

「なんでもないよ。ちょっと長居しすぎちゃっただけ」

「……そっか」

 平静を装い、日和ちゃんに笑いかける。対し、彼女は悩むように目を伏せた。胸元のリボンをぐっと握りしめ、彼女はゆっくりと顔を上げる。

「……ミハルちゃん……わたし、話したいことがあって」

「うん」

「その……夕ごはん食べ終わったら、ミハルちゃんの部屋に行ってもいいかな」


 ◇◇◇


 小さめの紙箱の中に、さらに小さなお菓子が入っている。黒めの焼き色がついた、山のような形のお菓子。

「えっと、これ……街のお店で売ってたの。あんまり見ないお菓子だけど……カヌレって言うんだって。……その、よかったら、一緒に食べよう?」

「え、いいの?」

「うん。……そのために買ってきたんだ」

 小さな花のように微笑んで、日和ちゃんは紙箱を差し出す。角部屋の照明はいまいち暗いけれど、それでも彼女の笑顔は蝋燭ろうそくのように見えて。口元をほころばせ、僕は箱の中に片手を伸ばした。硬く焼かれたお菓子をつまみ、口に含む。……外側は固いのに、中はしっとりしていて、なんだか不思議だなぁ。生地も甘さ控えめで美味しい。

「……これ、好きかも」

「本当? よかった……ミハルちゃん、甘いもの苦手だから、ちょっと悩んだんだよね」

「ふふ、ありがとう……優しいね、日和ちゃん」

「そんなことないよ……」

 俯き、日和ちゃんはカーペットの上で膝を抱えた。桃色の前髪が小さな顔を隠す。紙ナプキンを広げてお菓子を置き、僕は彼女に向き直った。愛らしい柄つきの靴下に包まれた脚を引き寄せながら、日和ちゃんはぽつぽつと語りだす。


「……わたし……本当はとっても臆病なんだよ。怖くて怖くて仕方ないんだ。……人殺しとか、わたしが傷つくこととか、そんなんじゃない……周りの皆が、平穏に過ごせなくなるのが」

 そう語る口元は、どこか自嘲するようにひくついていて。膝を強く抱き寄せ、日和ちゃんは十字架に足をのせるように語る。

「……人殺しに手を染めるような人が、言うことじゃないんだけど、ね。……わたし、去年まで孤児院で暮らしてたんだ。そこの職員さんたちは……子供たちのこと、ただの金蔓だとしか思ってなくて、さ」

 秋の雨のような声に、僕は息を呑む。……この学園に、普通の人がいないのは知っていた。でも、日和ちゃんもだなんて……辛い日々を、耐えていただなんて。

「誰も……幸せそうじゃなかったよ。病む子もいたし、すさむ子もいた。見てて……すごく、悲しかった。心が痛かった」

「……だから、殺したの?」

 自分の声が震えるのがわかる。日和ちゃんは考えるように俯いて……ゆっくりと頷いて、慌てて首を横に振って、諦めたようにうなだれた。震える手で膝を握りしめ、傷口を押し開くように言葉を吐き出す。

「……殺した、わけじゃないよ。建物に、火をつけただけ」

「っ!」

 まるで数学の問題の解き方を話すように、淡々とした事実を紡ぐ。喉に紐が食い込むように息が詰まって、声帯が凍えたように縮こまって。声も上げられない僕に、日和ちゃんは少しだけ早口で言葉を続けた。

「その日は職員会議で、職員さんが全員集まる日で……子供たちだけ、先に逃がしておいて。トラウマを残したりしないように、遠くに。……わたしが逮捕されたら、皆がこの後、どんなことを言われるかわかんなかった。だから……ここに、来たんだ。ここなら、今まで何をやらかしてても、隠蔽されるから」

 ……自己弁護のような声色が、懺悔のような言葉を紡いだ。両手で抱えられた膝が、北風を浴びたように震える。その表情は……桃色の髪に隠されて、見えない。僕に視線を向けないままで、彼女は血を吐くように続ける。

「……わたし……わたしの周りが、平穏で幸せに暮らせるなら……どんなことだってする気がするんだ。許されないことだって……平気で……」

「……っ……」

 ……何も、言えないよ。血の色をした感情が喉元までせり上がって、言葉にする前に溶けて消えていって。僕の視界の中で、日和ちゃんは自身の膝に顔を埋めた。冬の夜に放り出された子供のような姿に、僕は無理やり、声帯を震わせる。


「大丈夫……だよ。日和ちゃんは、強い子だよっ」

「……?」

 ぴく、と小さく震え、日和ちゃんの全身の震えが止まった。浅い呼吸を数度繰り返し、ゆっくりと顔を上げる。潮騒のように揺れながら、まん丸の瞳が僕を見上げた。自然な笑顔を心掛けながら、僕は微笑みかける。……薄皮一枚下の鋭いヒビを、感じ取らせないように。

「……強い子だよ。自分以外のみんなのために、命を懸けられるんだから。普通……自分のことを考えたら、そんなことなんてできない。……本当に、強いなって思う」

「そっ、か……そう、なのかな」

 流れ星を見上げるように僕を見上げ……日和ちゃんは、また俯いてしまった。だけどその口元は、春の水のように緩んでいるようで……僕はポニーテールを軽く揺らし、雲を割るように微笑みかけた。


 ……きっと、日和ちゃんだけは、ずっと僕の友達でいてくれる。

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