第36話 フタヒロ視点 『 vs.大河内教授』②


「すまない」

 

 ボクは睡眠薬入りの注射針を振り上げた。


 ボクの視界いっぱいに、絶望した深山研究員の顔が映る。

途端、ボクの頭の中に、いろんな表情の深山研究員の顔が浮ぶ。


 つまらなそうにゲームをしている顔。

 くるくる彼岸花をまわして思案している顔。

 照れたようにボクを見る顔。

 ボクが抱き着いたときの慌てたような顔……。


 苦しい。

『国家機密漏洩は死』、

 痛い。苦しい。

『国家機密漏洩は死』、

 心臓を誰かにわしづかまれ、振り回される感覚。

『国家機密漏洩は死』、



「うわああああああ………」



 パリン

 

 ボクの振り上げた手は、注射器を空中に放り投げ、そのまま、深山研究員の傍でナイフを突きつけていたアンドロイドの腕の部分に勢いよくぶつかった。


 ガシャ……ガシャン!!


 アンドロイドがバランスを崩し、地面にあおむけに倒れる。手術用に開発されたアンドロイドは、二足走行型ではない。上部には手術に必要な機材を積んでいるため、重心は高い。だから、一度倒れたら起き上がることができなかった。アンドロイドは握りしめていたナイフを床に滑らせて、じたばたする。


「286! 何をしている!!」


 大河内教授が金切り声をあげる。

 ボクは、そのまま深山研究員と二人で倒れこむ。


「……二尋……が、水平投射の運動……」


 もう片方の手に握られていたタブレットを深山研究員の方にむける。

深山研究員はさっとそれを受け取ると、思いっきり投げた。


ガシャン。バチッ。


「ふん。馬鹿め。わしにあてようとして外すとは……」


 大河内教授の声に振り返ると、深山研究員が投げたタブレットは、手術台からも大河内教授からも少し離れた人工呼吸器のモニターにぶつかっていた。

 

 さっきのバチッという音は人工呼吸器のモニターのショート音らしい。衝撃のせいか、制御を失ったせいか、人工呼吸器に取りつけられているチューブがうねっている。


 ボクは、よろよろと立ち上がり、近くにあった手術道具が乗っているカートに手を置く。


『フタヒロ!! 何ヲグズグズシテイル!! ユキヲ 取リ戻セ!!』


 突然、実験室にあるモニターが起動して、二尋の怒った声が部屋中に響く。


 途端、三台のアンドロイドのモニターが、ショートする。ショートを起こしたアンドロイドはその動きを止めた。


「関川の奴、ネットワークに接続できるモニターは、感情に任せてショートさせることができるからな」


 ボクの隣でショートをして動きを止めたアンドロイドを足で蹴とばして、深山研究員がにやりと笑った。


「ふん。小癪こしゃくな真似を! 286! この娘がどうなってもいいのか?」


 大河内教授が機能を停止したアンドロイドからナイフを奪うと、ユキに突きつけた。


「ユキ!!」


 ボクは動きを止めて、大河内教授を睨みつける。何故か、視線の先に一台のモニターが目に入る。外部との連絡用モニターだ。さっきの二尋のメッセージ、一つ目の『接続完了』を思い出す。


 ―― 二尋のネットワーク環境のことかと思っていたが、ほかにも意味がある??


 ボクの推論は、モニターの黒々とした画面を見ているうちに確信に変わった。それなら、大河内教授のやってきたことを明らかにすればいい。ボクを煩わせていた耳鳴りがすぅっと消える。


「大河内教授、ボクは、このプロジェクトは、『精神を仮想現実にこと』を目的にしていると思っていました。背景にあるのは、国家予算を閉める医療費の削減。違いますか?」

「ああ」


 ボクは、じりっと一歩、大河内教授に近づく。


「しかし、それが、いつのまにか人間から脳を取り出して、コンピューターに移植するということになっていた」

「わしは、脳だけあれば、人間は夢の中で生きられることを発見したんだ。脳を培養液の中で保存して、仮想現実につなげる。肉体は維持に費用がかさむ。必要ないものだ。それに、わしには人体から無傷で脳を取り出すだけの技術がある」

「……では、このところ、二尋の脳の電位をトレースしていましたが、あれは?」


 ボクはじりっとさらに一歩、大河内教授に近づく。


「ふん。わかり切ったことをきくな。脳内で発生する電位差を利用すれば発電できるかどうか調べておった。まあ、一人一人は微々たるものだが、脳がたくさん集まれば、少しは役に立つかと思ったのだよ」


 大河内教授がまんざらではないような顔をして、顎に手をやる。


「でも、脳内で発生する電位差を横取りしてしまうと、記憶に障害がおこってしまいます」


 ボクはじりっと一歩、大河内教授に近づく。大河内教授は顎をさすりながらにやりと笑う。


「記憶なんてものは、脳にとって必要ではないだろう? 夢の中にいるんだ。忘れ去ってもかまわない」

「しかし、それでは人間としての心を失ってしまいます」

「はあ? 286、お前はまだそんなことを言っているのか? 心なんてものも肉体も人間には必要ない。脳があればいいのだ。脳がすべてなのだ」


 大河内教授が完全にユキから意識を外して、ボクを見ている。


 ―― いまだ!!


 ボクはさっきまで寄りかかっていたカートを思いっきり押す。大河内教授がぎょっとして後ずさりをする。ボクは、大河内教授に飛び掛かった。


「離せ! 286! 離せ!! お前が始末しなければならないは深山だ!!」


 ボクに押さえつけられている大河内教授が唾をとばしてわめく。






 バタンと突然、実験室Hの扉があいた。ボクはびっくりして扉の方を見る。

 そこには、黒服の男が一人、警備用のアンドロイドが数体、立っていた。


「いいところに来た! こいつらは国家機密プロジェクトに反逆を企てたものたちだ。捕まえてくれ」


 大河内教授が、にやりとしながら言った。


「すまぬな。先ほど、上からの命令が来てな。プロジェクトは変更が決定した」


 入り口の黒服の男は、煙草をくわえながら、ボクに押さえつけられている大河内教授を見下ろしていった。そして、アンドロイドに視線を送ると顎で支持をした。アンドロイドが手にしていた麻酔銃を大河内教授に向かって撃つ。


 がくんと重くなった大河内教授を床に置くと、手術台の上のユキの傍に駆け寄った。


―― 温かい。


 その温かさに、心臓がぎゅっと握られる。視界がぼやける。


―― よかった。 よかった。…… 本当に。


 近くにあるシーツで全身を包む。そして、手術台からユキをストレッチャーに移すと、扉にむかって動かし始めた。あと少しで扉というところで――。


「フタヒロ!! 深山ヲ 止メロ!!」


 突然、モニターから二尋の声が響いた。ボクは慌てて振り返る。


 深山研究員が床に転がっていた手術用ナイフを振り上げて、倒れている大河内教授にむかって走っていくのが見えた。ボクは、とっさに、走り出だし、深山研究員に体当たりをする。ボクに体当たりされた深山研究員が地面に手をつき、持っていたナイフが床を滑っていく。深山研究員が鬼のような怖い顔をして、叫んだ。


「なぜ、止める? フタヒロ!! こいつなんか、生きていてはいけないんだ!」

「それでも、深山研究員が大河内教授を殺す理由にはならない。さあ、行こう。あとは任せた方がいい。それよりもユキをここから連れ出して、病院に連れて行こう。それから、ハナさんがいるサナトリウムへ行こう。この前、意識が浮上してきているような反応が見られた。データを確認して的確に治療すれば、治るかもしれない」

「ほんとか?」

「母親というものは、僕たちのわからない部分で子どもと繋がっているのかもしれないな」


 ボクは地面に手をついている深山研究員に手を差し出した。顔をくしゃくしゃにしていた深山研究員がボクの手を取り立ち上がる。

 そして、ボク達は、ユキの乗ったストレッチャーを押して、入り口に立つ黒服の男の横を通り過ぎて実験室Hを出た。








「私としては、深山研究員が殺しても構わなかったのですがね……」と小さく呟くと、閉じかけている扉の中に向かって煙草を投げ入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る