第35話 フタヒロ視点 『 vs.大河内教授』①
『私はね、フタヒロくんのことも大好きだから、あなたにも幸せになってもらいたいの。だからね、フタヒロくんが犠牲になることはないわ。ありがとう。……私の大好きなフタヒロくん……』
ぷつりと音声が消える。アンドロイドは再生を終わると、モニターを閉じて、ボク達の目の前に立ちふさがった。その手には手術用のナイフが握られている。
「なのでな。手術の準備をしとるわけだ」
「な、なぜ……」
ボクはその場に崩れるように座り込んでしまった。
ユキは、ボクではなくて二尋を選んだ。
ボクが二尋に体を返すことは正解だ。
そう結論づけていた。
―― ユキが仮想現実に行くという選択をするとは想定外だ。
ボクは今までのボクの思考が間違っていたことに気づいて、思考の再構築を試みる。
ユキの言葉一つ一つを思い出す。あの時、ユキは、『最終回は見れない』、そう言った。そして、『教授のところには行かない』とは約束しなかった。それから、
今まで、ボクは二つの選択があるたび、ユキが望むように選択してきて、ユキの思考のトレースをしているはずだった。
ボクは、ボクの感情を理解するだけで精一杯で、ユキの心までは――。
突然、深山研究員が持っていたタブレットの中から二尋の声が大音量で響いた。
「 フタヒロ!! 何シテイル!!
フタヒロ!! 今ノ状況ヲ 見セロ!!
オイ!! 聞イテイルカ!! フタヒロ!!
手術ナンカ サセルナ!! コチラノ世界ニ ユキハ必要ナイ!! 必要ナインダ!! 僕ニハ……、僕ニハ……、ユキハ イラナイ!!!
フタヒロ!! 何シテイル!!
オ前ガ シナイノナラ、僕ガ 教授ト 話ス! イヤ!! 話サセロ!!
フタヒロ!! 何シテイル!!
フタヒロ!! ……」
「関川くん、君に何が出来るというのだ? 体もないというのに?」
大河内教授が冷ややかに笑う。ボクは、深山研究員からタブレットを受け取ると、布をはがし画面に映る二尋を見た。いつも冷静な二尋にしては真っ赤な顔をしている。二尋に呼応するように、タブレット自体も熱を帯び、びりびりっと電流が放電しはじめた。
「フン! ヤッテミナイトワカラナイ!
フタヒロ!! オ前ハドウダ?
オ前ハ 何モ シナイノカ!! 」
―― そうだ。今のボクの最優先はユキだ!
ボクは立ち上がると、大河内教授を睨んだ。そして実験室Hの内部を見回す。脳波測定装置、生体情報モニタ、人工呼吸器、それらを管理するモニター、PC、椅子、手術道具が乗っているカート、ユキを照らす照明……。
ボクは物理的にも暴走しかかっているタブレットを大河内教授の方に向けた。中にいる二尋が「ユキ」とつぶやくのが聞こえた。二尋が大河内教授に話しかけるよりも早く、ボクは口を開いた。
「ユキの手術は、中止してください。手術をするなら、ボクを手術してください」
「馬鹿々々しい。それでは、わしにとっては、なんの
大河内教授が鼻で笑って、ユキの体を
「じゃあ、どうすれば――」というボクの言葉に、ユキの体を好き勝手に触っている教授の声が重なる。
「やはり、若い女性の体は柔らか度合いがちがう。なぁ、深山くん」
「?」
じりじりと後ろに下がって、大河内教授にとびかかる機会をうかがっていた深山研究員が動きを止める。
「わしは、深山くんに感謝している。だからネズミのように嗅ぎまわっていても、目をつぶっていた。ほれ、あのような素晴らしい脳死体を紹介してくれたのでな。……あれは本当によかった」
「そ、それって、ハナのことを言っているのか?」
深山研究員の目が大きくなる。
「生きている男も女も嫌いだ。つけあがるし、文句を言うし、心変わりする。それに対して、あの脳死体は素晴らしかった。文句をいうどころか、わしに天命を授けてくれた」
「天命?」
「あの脳死体は外部からの刺激では脳は反応しなかった。しかし、脳に直接刺激を与えたら、反応がみられた。なあ、……、わしが脳に刺激を与えたらな……、ふふふふふ……」
大河内教授がユキを触る手をゆっくりと下腹部にさげていく。ボクはかぁーと頭の中が真っ赤になる。深山研究員も同じで、鬼のような形相で大河内教授を睨みつけている。
「お前、やはり、ハナに……!!」
「君が言っているのは、脳死体のほうかね? それとも眠りについている脳のことかね?」
「どちらもだ!」
「脳死体は肌触りはよいが反応がないのでつまらん。まあ、簡便な保育器としての機能は満たしておったから、それはそれで有効なデータを得られた。あの男に人間牧場でも提案しようかのう……」
大河内教授がにやりと笑って、あごに手をやる。
「なにを!!」
「しかし、あの脳はすごかったぞ。ほとんど機能していないのに、ある刺激を与えれば、性的興奮状態になる。夢の中で――」
「やめろぉおおお!!」
深山研究員が大河内教授の言葉をさえぎって、右手を大きく振り上げて駆け寄ろうとした。手術台の傍にいたアンドロイドとボク達の前にいたアンドロイドが、深山研究員の前に立ちはだかる。彼らの持つナイフが振り下ろされて、深山研究員の腕に傷をつける。
ボクは、手に持っていたタブレットを投げ捨てて、深山研究員の右手を掴む。「くそっ」と深山研究員がボクを見て右手をおろす。ぎりっと音がするくらい歯を食いしばっている。
「もっと怒るがいい。もっとノルアドレナリンを放出するがいい。
これで、お前の脳がどのようになっているか知ることが、面白くなってきた。
286! この娘を返してほしければ、そのネズミを退治しろ。殺してはならんぞ。脳を調べなくてはいけないからな」
大河内教授が肥満気味のお腹をさすりながら、くつくつ笑いながら言う。
ボクは驚いて、深山研究員を見る。深山研究員もボクを見る。
「そんなことは出来ない」
「そのネズミは、国家機密プロジェクトに参加しているにも関わらず、その情報を漏洩しようとしている。だから、好きにしていいとあの男の了承を得ている」
そんなことは出来ないと即答したいのに、『国家機密漏洩は死』『国家機密漏洩は死』という言葉が耳鳴りのような音をたてて頭の中を駆け巡る。思わず、ボクは耳をふさいで頭をふる。
「……出来……ない」
「ずいぶん、感情的になったものだ。人工知能も、学習を間違うとこうなるのか……。ふう。プログラムを考え直す必要があるな。しかし、初期プログラムに組み込まれてあったはずだ。 国家機密を漏洩した場合、実行すべきことは、なんだ? 286」
大河内教授が猫なで声でボクに語りかける。
「大丈夫だ。ネズミの脳は調べた後、ちゃんと仮想現実に送ってやる。まだ、やってもらいたいこともあるからな。それに、脳死体のほうは、お前のように人工知能を搭載してやる。仲間ができるというわけだ。素晴らしいと思わないか?」
―― 思いたくない!
ボクはがんがん耳鳴りする頭を押さえながら、のろのろとまわりを見る。
投げ捨てたタブレットがチカチカと点滅している。ボクは、それを拾って、画面を見る。
『接続完了
①y=1/2 g(x/V0)^2
②ここのアンドロイドの重心位置は胸より上』
それは二尋からのメッセージだった。
ボクは、メッセージの下にある『OK』ボタンを押した。そして、タブレットを持ったまま深山研究員に近づくと、ポケットに持っていた睡眠薬入りの注射を振り上げた。
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