第34話 フタヒロ視点 『ユキの選択』

 懇親会あとに教授室を訪ねることになっている日。


 深山研究員との待ち合わせ場所は、先端医療技術研究所の正門。


 男子高校生の格好をしたユキと深山研究員を待っていた「一般公開日」の時とは違って、しんと静まりかえっている。

 青い空も、前とは違って、細い長い雲が見える。細い雲が鳥の羽のように見える「はね雲」とか「すじ雲」とか呼ばれる雲だ。空気が澄んでいるから、空が高く見える。

 二尋は女装なんてもってのほか!と怒り心頭だったけれど、あの日、ボクはすごく気分がよかった。いつもと違う視線。いつもと違うみんなの態度。それをふふふとユキと笑いあうことも、ユキが楽しそうに実験に参加するのも、鮮明に思い出すことができる。でも、思い出しても、あの時のような感情はわきあがらない。


 ―― ユキ……。


 一昨日以来、ユキとは連絡を取っていない。ボクが関わる理由が見当たらなくて、今朝も連絡しなかった。それでも、もしかしたらと、ボクは正門に立って、道路を眺めている。来てほしいのか、来てほしくないのか、自分ではその答えが見つからない。


 約束の時間ちょうどになると、深山研究員が、首をかしげながらボクに近づいてきた。


「あれぇ? あれぇ? なんで、ハルちゃんじゃないのかなあー? それに、ユキさんは?」

「来ない」

「へ?」

「来ない」

「そうか。来ないのか。へ? ええー、来ない??」


 深山研究員がマヌケな顔をして、マヌケな声を出す。


「じゃ、教授になんて言うんだ?」

「『来なかった』というだけだ。何も問題ない」


 ボクは「えー」、「俺の計画と違う」、「そんなぁ」、「ハルちゃん楽しみにしてたのにぃ」とぼやいている深山研究員をおいて歩き出した。そろそろ、懇親会が終わる。今から教授室に行けばいいだろう。教授室のPCには二尋がアクセスしているはずだ。


 まだ、口の中でぶつぶつ言っている深山研究員を見るために、振り向く。


―― イニシャライズしてしまったら、深山研究員のことも忘れてしまうのか。


 もやもやっとした説明がつかないものがボクの中に沸き起こって、思わず、深山研究員に抱きついてしまった。


「お、おい! 俺は男は無理だからな!! 絶対無理!! いくら、ユキさんが来なかったからって、俺で慰めるなよぉ!」





「失礼します!」


 深山研究員は教授の返事も聞かずに、教授室の扉を開ける。


「あれ? 早すぎたか?」

「なにか不自然ではないか?」


 深山研究員とボクの言葉が重なる。


 鍵のかかっていなかった無人の教授室。不自然に入り口のほうを向いているモニター。ボクは用心深く部屋の中を見回す。


「なにが?? それよりも、さっさと、教授を脅せそうなネタを探そうぜ」


 深山研究員が、袖まくりをするふりをしながら、部屋に足を踏み入れた。

途端、うぃーーんと音を立てて、入り口のほうを向いているモニターのスイッチがはいり、画面が明るくなる。深山研究員がびくりと肩を震わせると、ふぅっと息をはいた。


「ちっ。脅しやがって。自動再生か……」



 モニターには、にこやかに笑っている大河内教授が映し出されていた。


『深山くん、286、せっかく来てもらったのに、留守にして悪いね。とてもいい実験材料が手に入ったのでね。悪いが、君たちも実験室Hまで来てくれ。話はそこでしよう』


 ―― 実験室H。


 それは、大河内教授専用の実験室。二尋の体から二尋の脳を取り出し、ボクを移植した実験室。研究棟の案内板にも記載がない秘密の実験部屋。


 そこで、なにをしようというのか。

 いい実験材料とはなんだろうか。


「実験室Hか……」


 深山研究員が珍しく顔を曇らせてボクを見た。深山研究員も実験室Hの存在を知っているってことか。深山研究員が教授机の上にあった、タブレットをひっつかんだ。


「関川!」


 タブレットが起動して、二尋らしきシルエットが浮かび上がった。


「……、ここにいたか」

「今朝カラ コノ中ニ 閉ジコメラレテイル」

「さっき、スーパーコンピューター那由他にアクセスしても、お前が出てこなかったから、もしかしたらとは思ったが、教授の仕業か?」

「教授ノPCニ アクセスシテイル最中ニ ネットワーク環境ヲ 切断サレタ。アトハ ヨクワカラナイ」

「わかった。今、再設定しなおす。……、くそっ! このタブレット、ネットワーク機器が取り外されている。おい、286フタヒロ、USB接続タイプの無線LAN子機かなんか持っていないか?」

「すまない。ボクは専門外だ」

「そうだった。……、あ!」


 深山研究員が手を叩くと、さっき起動したモニターをいじり始めた。


「あった。あった。ちょっと不格好で、スペックが甘いが、これで代用できるだろう」


 そういって、モニターから取り出した小さな機械をタブレットに接続した。


「どうだ。関川。スーパーコンピューター那由他の自分の居場所に接続できるか?」

「……、デキタ」

「よし。急いで実験室Hへ向かおう。関川、ネットワークは切っとけ」


 


 実験室Hへ向かう通路もセキュリティが解除されていた。いつもなら、消されている照明もついている。ボク達はなにか得体のしれないものに背中を押されるように走った。


 バタン


 実験室Hの扉を勢いよく開けた。ほんのかすかだったが、ふわっと場違いな香りが鼻に届く。ボクは一瞬、一昨日のことを思い出して、立ちすくんだ。


 ―― そんなはずはない。


 ボクはおそるおそる手術台に目をむけた。手術台の上には、髪の毛を綺麗に剃られている人物が、何もまとっていない状態で寝かされていた。そして、三台のアンドロイドが、メスを突きつけようとしている。手術台の向こうに、下品な笑みを浮かべて座っている大河内教授と目が合う。大河内教授の手は、その人物の胸の上でいやらしく動いていた。


 「ユキ????」


 ボクは手術台にかけよろうとして、深山研究員に腕を掴まれた。深山研究員が怖い顔をして、顎で一台のアンドロイドをさした。ボクが視線を向けると、うぃーーんとかすかな音をたててメスの位置をかえた。白い肌に赤い薄い線が走る。



「おや、思った以上にはやく来たね。ああ、関川くんもちゃんと連れてきてくれたんだね。さすが、我が研究所のエース達だ」


 大河内教授が、深山研究員が抱えているタブレットをちらりとみて、にこやかに笑った。手をユキから離すと、ゆっくりと立ち上がった。


「教授! そこの女性は!!」

「ああ。この娘かい? この娘は、今日、わしのところにやってきてな。仮想現実に行きたいと言ったからな。手術をしてやろうと思ってな……」


 大河内教授が、口角をあげながら、ユキの体を嘗め回すように眺める。


「そ、そ、そんなはずはない!! 今日は教授室に行かないよう頼んだはずだ!!」


 深山研究員に抑えられながら、ボクは声を荒げた。大河内教授がせせら笑う。


「286、いつからそんな感情的になったんだ? 人工知能は人工知能らしく、冷静でなければのぉ。なあ、関川くん」

「フタヒロ、ソコニ ユキガ イルノカ? オイ!!」


 タブレットの中の二尋が焦ったような声を出す。ボクは慌てて、タブレットを布で覆う。


 ―― 二尋には見せられない。


「オイ! 隠スナ!! ドウイウコトダ? ユキハ 来ナイ ハズダッタノデハ?

……ハッ!!!」


「やはり元に問題があるとコピーも問題を引き継ぐのかのお。いつも送られてくる屑と違うから、お前たちには、期待していたのだがなぁ……。


それに、この娘は、自分から志願したんだぞ。ちゃんと証拠もある」


 一台のアンドロイドが、メスをユキから離すと、胸元のモニターをボク達に見せるために近づいてきた。音声データが再現される。


『フタヒロくん、私のために、あなたが関川くんに体を返そうって考えていることくらいバレバレよ。

 でもね、そんなことをされても、私、ちっとも嬉しくないわ。私には私の幸せがある。なにが幸せなのか? それを決めるのはフタヒロくんじゃなくて、私なのよ。わ・た・し!!

 行きたいところも行けたし、……、まあ、心残りはたくさんあるけど、……この選択が最善じゃないかなぁって思ってんだ。


 私はね、フタヒロくんのことも大好きだから、あなたにも幸せになってもらいたいの。だからね、フタヒロくんが犠牲になることはないわ。ありがとう。……私の大好きなフタヒロくん……』


 



 







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