第33話 問➉答え フタヒロ視点『サヨナラの時間』


 ボクとユキは、珈琲店をでて、近くの公園のベンチに腰かけていた。


「これが銀木犀よ」


 ユキがベンチのそばの木を指さした。小枝の先端にひとつずつ小さな白い花が咲いている。あまい桃のような香りが鼻につく。ユキが小さな白い花を手に乗せて、眺めている。ユキはボクの方を見ようともせず、話を続ける。


「私ね、最初は、フタヒロくんのことをすごく嫌いだった」

「……」

「大好きな関川くんをのっとった悪魔だと思っていたわ」

「……」


 ユキが腕を組んだり、笑いかけてくれたのは、すべて演技だったんだ。知っていた。知っていたけれど、ユキの口から聞かされると、ボクは心臓がわしづかみされたようにぎゅうっと痛くなる。口の中がからからして、うまくしゃべれない。でも、ユキはそんなボクを視界に入れず、怒ったような、悲し気な顔をして、ひらりひらりと雪のようにふってくる銀木犀の花を手にうけとめている。そして、銀木犀の花を大事そうに抱え込んだ。


「でも、フタヒロくん、わたしが大失敗した激マズ料理を美味しいって言って食べてくれたり、一緒にクラゲを見てくれたり、……、本当は悪魔じゃなくて天使なのかもって思い始めたんだ。…、ねえ、フタヒロくん、銀木犀の花言葉って知ってる?」

「いや」

「『初恋』『あなたの気をひく』」

「??」


 ボクはユキの意図するところがわからず、首をかしげる。


「……、私ね、小学生のころからずっと、関川くんが好きで、関川くんが私の中心にいたの。関川くんにふりむいてほしくて、ただそれだけが私の望みだった。でもね、フタヒロくんに出会って、私には私の幸せがある。なにが幸せなのか? それを決めるのは関川くんじゃなくて、私なんだって、気がついたの。フタヒロくんといると背伸びしない自分のままでいれたわ。たぶんだけど……フタヒロくんはいつも私の望む答えを返していたのだと思うの。だから、すごく自分らしくいれたわ。こんなこと初めて……」


 ユキが、小さく口角をあげる。でも、ぽたりと涙が落ちていく。ボクはどんな言葉をかけるのが最適解なのかわからず、ユキを抱きしめようと手をのばしかけて ――  

その後に続くユキの言葉にかたまってしまった。


「でもね、やっぱり、心のどこかには関川くんに恋焦がれる自分がいるの」

「……」

「私がそんな気持ちを抱えていることをフタヒロくん、知っていたのね。私、本当は、この前の旅行で、フタヒロくんに抱かれるつもりだったのよ。ちょっと飲みすぎちゃったのはそのせい。お酒のせいにして、なし崩し的に抱かれれば、気持ちもかわるんじゃないかって思っていた」


ユキがぺろりと舌を出す。


「でも、フタヒロくん。……、さあ、これから、本番っていうときに、わざとお風呂で溺れてくれたんでしょ?」


―― いや、違う! あれは、違う! ボクは、ボクは……。


「優しいのね。やっぱり、フタヒロくんは私にとっては、天使だったのよ」


 ユキが立ち上がり、手の中の銀木犀を空に投げる。ひらひら。ひらひら。甘い香りが漂う雪のよう。そして、悲しそうな笑顔を僕にむけた。


「これじゃあ、二股かけている悪女の言い訳ね」

「そんなことはない」

「勘違いしないで欲しいんだけど、嫌いになったわけじゃないの。だから今しかないの……サヨナラするのは」


 ユキがそっと右手を差し出した。


「今までありがとうフタヒロくん、とっても楽しかった」


 もう彼女の答えは出ているようだった。

 ボクは差し出された彼女の手を見つめる。

 その手を掴めばサヨナラだ。

 掴まなければ…… 


 それが彼女の問いかけた最後の二択だった。


 ボクはのろのろと立ち上がり、ユキの手をとった。


「じゃあ、サヨナラね」

「ユキはこれからどうするんだい?」

「え? あさっての親睦会に出て、それから大河内教授と話して……」

「だめだ!!」


 ユキの言葉を遮る。そして、ユキの手を引いて、ユキをボクの腕の中に閉じ込めた。


「親睦会には行ってはいけない!!」

「え? え? え?」

「大河内教授に会っちゃいけないって、二尋も言っていた」


 旅行から帰ってきた夜、鬼のように怒っている二尋が画面の中にいた。ユキとの旅行がばれて、怒っているのかと思ったら違っていた。

 懇親会の後に、大河内教授が教授室にボクとユキを招待すると通達してきたらしい。その場に、二尋と深山研究員も呼ばれている。二尋は大河内教授が何を考えているかわからないから、ユキを絶対に連れてくるなと言いたかったらしい。



「でも、それじゃあ……」

「二尋のことは、問題ない。いつか、ボクが会わせてあげるから」


 動揺するユキをぎゅうっと抱きしめる。華奢な体。やわらかい感触。甘い香り。

ボクは、鼻の奥がツンと痛くなる。


 ―― ボクがこの体を二尋に返すから。


「大河内教授のことはユキも知っているんだろ?」

「スケベなエロ教授だってことくらいは」

「その認識は……」

 

 ユキの大河内教授の印象に、思わず訂正をいれようとしてやめた。大河内教授の本当の姿は知らない方がいい。ユキが危険にさらされる確率があがるだけだ。


「まあ、いい。そんな教授と教授室で会うなんてあやしいと思わないかい?」

「え? でも、フタヒロくんも女装して行くんでしょ?」


 きょとんとした目でボクを見る。ああ、このままこの腕の中に閉じ込めてしまいたい。でも、ユキはボクではなくて二尋を選んだ。ボクはユキを抱きしめる手に力を入れる。ユキの顔が少しゆがんで、ボクは慌てて手を放す。


「女装はしない」

「?」

「二尋に絶対にダメだと止められている。身体的屈辱だーってすごい剣幕で怒っていた。モニターが壊れた……」

「?」

「あ、ダメだってことだ」

「そうなんだ。関川くん、潔癖だからねー」


 二人でふふふと笑う。


 やっぱり、ユキには笑顔が似合う。悲しい顔は似合わない。


「じゃあ、本当にこれでサヨナラだ」


 今度はボクから手をだした。ユキもにっこり笑って手を出してきた。ユキの手がボクの手に触れる。ボクは我慢できなくて、ユキを抱きしめて、キスをする。


「ありがとう。ボクは本当に幸せだった……」






 

 遠ざかるユキの背中を見ていると、視界がぼやけてくる。

 心臓が痛い。ユキの顔が頭から離れない。




 でも、これも、イニシャライズすればすべて忘れる。忘れれば、こんな悲しい気持ちはしなくていい。ボクは自分に言い聞かせる。よかった。イニシャライズできる機械にすぎなくて……。



 




********


……あと、数話続きます。 本編のラストまで、もうすこしかかります。















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