第30話 二尋視点 『フタヒロ ガ イナイ』

 フタヒロとユキが旅行に行っている間、研究所で二尋と深山は……。


**********



「なに、そんなにイラついてんのさ。はっきりわかるくらいβ波が強く出ているよ」


 深山が僕の脳波を見ながら、からかい気味に言う。


「フタヒロ ガ 昨日 カラ イナイ」

「子どもじゃないんだし、いいじゃん?」

「…………」

「それとも、保護者としては心配なのかなー? もしかして、ユキさんと旅行に行っていたりして……」


 バチバチバチ……、ガシャン。


 深山が言い終わらないうちに、一台のモニターがショートして火花を散らした。深山がギョッとした顔をして僕を見る。


「……、おいおい、物騒だなぁ。まったく。冷静沈着な関川とは思えない行動をする。それはそうと、例のアクセス、できたか?」

「アクセス ハ デキタ。 シカシ……」

「なんだ? データを読めなかったのか?」

「チガウ。教授カラ 連絡ガキタ」

「なに?」


 深山がさらに目を大きくする。僕は、教授からのメッセージ動画を再生する。



 ◇


 画面には、教授室の椅子に座っている大河内教授が映っている。口角はあげてにこやかに笑いながら、肥満気味の腹をさすりっている。しかし、僕にはわかる。眼鏡の奥の目が笑っていないこと。


「17日の木曜日。と、を交流会の後、わしの教授室に招く。そこに、君たちも来るように。これはお願いではなく命令だ。


 せいぜい、わしを楽しませてくれ」



 そういうと場面が真っ黒になった。


「ばれたってことか?」

「オソラク」


 深山は腕を組み、空を睨む。昨日の深山の独白は、僕からすれば、くだらないの一言に尽きる。

 

 深山は大河内教授を誤解している。大河内教授の好々爺な顔に騙されてはいけない。スケベな態度に惑わされてはいけない。


 あれは演技だ。まったく、深山は何を見てきたのだろうか。


 先端医療技術研究所の裏口には、身元引受人のいない浮浪者や重篤な病の患者が、政府から秘密裏に送られてくる。彼らを眉一つ動かさないで、眠らせ、脳を取り出す。薬液に漬け、電極を通す。大河内教授が行うその手術を見たことがなかったのだろうか。


 終身型大規模老人介護施設『グラズヘイム』のための人体実験。

 超高齢化社会の財政圧迫を回避するための秘策。

 ―― 大義名分の中に隠された、『人間としての尊厳』を完全に無視した所業。


 大河内教授は、人間を実験材料としかみていない。『脳がすべてだ』といつも言っているではないか。

 だから、大河内教授には人間に対する愛も欲もない。それなのに、深山の義理の妹を犯した? ありえない。都合のいい実験材料が見つかったくらいにしか思っていないはずだ。


 若くて健康な女性の脳死体。大河内教授の頭の中には、生殖機能は機能するのか。脳死状態で妊娠するのか。妊娠した場合、脳は変化するのか。そんな疑問がわいたに過ぎない。


 僕は、じっと空中を睨んでいる深山に声をかけた。


「オ前ハ 何ヲ 企ンデイル?」

「はあ? 昨日も、言ったろ? あのエロ教授を抹殺することを望んでいる」


 わかりきったことを聞くなというふうに、深山は鼻をならす。


「具体的案ハ?」

「それが考えついていたら、お前を巻き込まないさ」

「ノープラン ナノカ?」


 肩をすくめて両手を広げた。


「なあ、あいつのパソコンデータから、醜聞になるようなものはなかったのか?」

「ナイ」


 お前が望むような人間の欲にまみれたものはない。あるのは、闇の実験データ。身被験者A、被験者Bと名前をつけられた元引受人のいない浮浪者や重篤な病の患者の顔写真や脳波のデータ。人権保護団体が見つけたら抗議されるのは必至の人間の生を冒とくしたデータ。そして、この実験を支える政府や企業からの寄付金。あの試薬も、あの機械も、この闇の実験があって開発が飛躍的に進んだなんて、公表できるはずもない。


「そうか。……、じゃあ、頼んでいた堀田ハナに関するデータは手に入ったか?」

「ソコニ ダウンロード シテアル」

「さんきゅー」


 深山が自身のタブレットに、データを転送し始めた。大量の画像をダウンロードする時間がもどかしく、いらつくのか、机を指で叩いている。


 



 僕は甘い考えの深山を見下ろす。


 ―― 僕たちは悪魔に魂を売ったんだ。


 脳を取り出され被験者になった人間の意識は仮想現実に接続される。しかし、彼らへの説明は最小限しかされないからか、あるものは痛みを訴え、あるものは嘆き悲しみ、あるものは快楽にふけり、大半は数時間で自死してしまう。大河内教授が、『下等なやつらにはこの仮想現実世界のすばらしさがわからないと見える』、そう言って、虫けらを捨てるように、自死した脳を踏み潰す場面を見たことがある。


 ―― それなのに、僕にフタヒロを追い出して自分の肉体を取り戻せというのか?


 深山からすれば、フタヒロは人工知能286にすぎなくて、ロボットのパーツくらいにしか考えていない。イニシャライズしても構わないとさえ思っている。


 ―― 僕とフタヒロと、どこに違いがあるのだろう?

 ―― 僕の肉体は誰のものなのだろう?


 とても古い文献に、頭部をすり替えた場合、その肉体は誰のものかという議論が行われたというものを見つけたことがあった。すり替えられた方の肉体は脳死体だったはずだ。あの結論はどうだったか。あいまいな記憶だから検索するのにも時間がかかりそうだ。しかし、その結論は僕の役には立ちそうにもない。


 ―― 僕は、僕の意思で、スーパーコンピューター那由他に接続することを了承したのだから。


 ―― 脳の研究を進めるには犠牲がつきものだ。


 脳の研究をするためだ。自分が仮想現実に接続することで、新たな発見があるかもしれない。ユキにはもう会えないと分かっていても、その欲求には抗えなかった。 


 ―― だから、もう元に戻るつもりはない。どれだけ苦しくても、ユキに恋焦がれても、後悔しても。


 それが、結果的に僕の中から心がなくなり、脳が機能しなくなったとしても、それでも僕は僕の行動に責任を持ちたい。





 データのダウンロードが済んだらしく、深山が顔をあげた。


「これで、ハナのデータを取り戻せた」

「ソウカ」

「……、あのエロ教授、俺もお前も呼びつけて、何をするつもりだ?」

「サア?」

「そうだ。関川にあのエロ教授が変装した286フタヒロにくぎ付けになったところをみせてやりたかった。今度はそれが見れるな。良かったな。関川!」


 深山がにやりと口角をあげる。


「見タクナイ」

「よっぽどお気に召したらしい。今度も、女装286フタヒロをご所望なんだぜ? 変装しているのを知った時の顔を拝めると思うと、ワクワクするなぁ」

「深山、ソレハ……」


 僕はそこまで言って言うのをやめた。おそらく、大河内教授は深山の婚約者がフタヒロが変装しているということに気がついているはずだ。でも、それを深山に言い出すだけの根拠がなかった。それに、僕は深山に対して怒っている。


 深山の正義のために、ユキが危ない橋を渡ろうとしている。


 フタヒロにユキにここに来ないよう指示したいと思ったのに、のんきに出かけている。本当に、何をしているんだ!!



 バチバチバチ……、ガシャン。


 一台のモニターがショートして火花を散らした。深山がギョッとした顔をして僕を見た……。



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