第28話 問⑨フタヒロ視点【苦い思い出の話】

 ユキが予約したホテルは、サナトリウムから図書館に戻る途中の高台にあった。目の前には湖が広がっているこじんまりとしたホテルだった。ここも薔薇がたくさん植えてある。サナトリウムと違って、四季咲きのブッシュ樹形のバラが少し咲いていた。いわゆる秋バラだとユキが教えてくれた。その中で、ユキが興奮気味に近寄ったのは、黒薔薇ともいわれているパパ・メイアン。強い薔薇の香りがボク達を包む。


「あー。これだけでも、ここに来たかいがあったわ。いま匂っているこの香り、切ってしまうとどんどん消えてしまうんですって。だから、一度でいいから咲いているところを見てみたかったの。んー幸せ! そういえば、フタヒロくん、黒薔薇の花言葉知っている?」


 ボクは首を振る。


「そっかぁ。『憎しみ』『恨み』『あなたはあくまで私のもの』『決して滅びることのない愛』『永遠』って意味があるんだって。女性に送る時は気をつけなきゃだめだよ」


 ユキが茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。


「さ、ビーフシチューと温泉! いざ!! いざ!!」


 パパ・メイアンの香りをもう一度吸い込もうとユキが深呼吸をしてホテルに向かった。



 

 キングサイズのベッドの右側で、ユキが服を着たまま丸くなって眠っている。

「のみゅすぎー、しゅこしねるー。おきゅらおひろひゃいるー」と何を言いたかったのかわからない言葉を口にしながらユキは眠りについた。 




 雲上図書館で子どものようにはしゃいでいたユキ。

 本当は雲上図書館で働きたいんだって夢を語ったユキ。

 赤子を抱えてあやすユキ。

 パパ・メイアンの香りを吸い込もうと鼻の穴を膨らませていたユキ。

 「ほっぺたが落ちそうだね」とか、「あー幸せー」と言いながらビーフシチューを口に入れていたユキ。

 「パンはやっぱりやわらかい方が好き」とボクの分まで食べてしまったユキ。

 赤ワインをいつも以上に飲んで、ポテトをテーブルの上に転がして笑い転げているユキ。


 どんどんユキの情報がボクの頭の中にたまっていく。

 今日、ボクに見せたユキの姿は二尋は知らない。そう思うと、口角が上がっていく。でも、この情報は絶対に二尋には教えない。二尋にこの体を返す時にイニシャライズされて消えてしまえと願う。今日のユキは永遠にボクだけのもの。


 

 ボクは、持ってきたタブレットで論文を読んでいたが、何も頭に入ってこなかった。しかたなく、テレビのスイッチをいれる。普段テレビを見ることはないのだけど、何もないホテルの一室。他に時間をつぶす方法が思い浮かばない。ボクはユキから視線を動かして、テレビの画面に目を向ける。


 若い男女が公園で年甲斐もなくブランコを揺らしていた……



◇◇(問⑨)


 公園で僕たちは並んでブランコに揺られていた。夕暮れが迫り、蝉が鳴いている。  

 今日はずっと彼女の様子が変だった。

 だから人けのない静かな公園に彼女を誘ってみたのだ。


「〇〇君って、どんな子供だったの?」

「どんなって、まぁ、よく覚えてないかな。リア充ではなかったけど」


 ハハハ、と笑う。まぁそれだけは断言できる。

 明るくてかわいい彼女とは真逆の子供時代だったと思う。


「わたしはね、昔の自分が好きじゃないんだよね、今も思い出すとつらくなる」

「僕も昔にはいい思い出はないけどね」

「今でも〇〇君に話せないコト、話したくないコトあるんだよね」


 なんか思い詰めた様子でそんなことを話してくる。

 でも彼女、けっこう小さいことでも悩む癖がある。

 なんだそんなことか、というようなことでも。


「僕は今のキミが好きだよ。キミといられて幸せだと思ってる」

「でも、本当のわたしは〇〇君が思ってるような人じゃないかも」


 そう言って彼女はそっとため息をついた。


「ねぇ、〇〇君はわたしの昔の話を聞きたい? 聞きたくない?」


 僕には彼女が抱えていたキズが見えていなかった。

 いや、今が幸せすぎて、見ようとしなかったのかもしれない。

 でもそれでいいと思う自分がいる。

 過去はもう流れ過ぎたものだから。

 僕は迷っていた……それでもどちらかを選ばなければならなかった。 


(問⑨ ここまで)

   

「……、聞いても聞かなくても僕の君への愛は変わらないよ」

 

 僕は精一杯笑顔を見せて言った。


「ほんと?」

「ああ。君がもし、昔、娼婦だったとしても、殺し屋だったとしても、それは今の君を作るために必要なものだったんだ。だから、言って気が済むなら話を聞くし、言いたくなければ言わなくていいんだよ?」

「……、ずるいわ。でも、今日は話そうと思っていたから……。私、昔、人形だったの……」

「なんだ。そんなことか。君がそんな暗い顔をして告白するようなことでもないよ」


 僕は立ち上がり、彼女の後ろから彼女を抱きしめた。そして、彼女の顎を持ち上げると、そっと口づけを落とした……。


◇◇


「んん……」


 ユキがもぞもぞっと身動きをした。


「あ、起こしてしまったのか?」


 ボクは、慌ててテレビのスイッチを切る。


「ううん。テレビのせいじゃないわ。でも、フタヒロくんも、そんなドラマ見るんだ。今の『恋のハーフ&ハーフ』でしょ?」

「? たまたまつけただけだ」

「そっかぁ。まあ、そうかもね。恋愛ドラマだからねー。ところで、フタヒロくんはお風呂入った?」

「いや」

「そっかあ。私、酔いを醒ましたいし、あちこちべたついているから、部屋の露天風呂に入ろうと思うんだけど、一緒に入る?」

「?」

「見晴らしもいいみたいだし、夜だし、一緒にはいろーよ!」


 ユキは、そう言うと、ベッドから起き上がり、ふろ場の方に歩いていく。ボクはどう答えていいかわからず、言葉を失ってしまった……。



 

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