第26話 フタヒロ視点 『サナトリウム』②

「お願い! あの子、倫哉ともやを!!」


 ユキが優しく、ボクの腕をつかんでいる女性の手に手を重ねる。女性の視線がぎごちなく、ボクからユキに動く。


「おばさま」


 とても静かな声でユキが声をかけると、女性はハッとしたような顔をして、ボクから手を離した。


「そ、そうね……。ごめんなさい。ちょっと取り乱しちゃって……」


 女性は、とても困ったように眉を下げた。気まずい空気が流れる。

 そして、居心地の悪い沈黙が続く。

 


 部屋の中からみぃぃっと声が聞こえてくる。女性は思い出したかのように、ドアの方を振り返った。


「あ、……イロハが泣いているわ。さ、入って頂戴。せっかくお見舞いに来てくれたんだもの。ハナとイロハに会ってもらわなきゃだわね。そうよね。そうだわ。倫哉の話はそれからのほうがいいわ。……、入り口のところにアルコールがあるから、それで手指を消毒してから入ってもらえるかしら? 」


 女性はそういうと、ゆっくりと部屋のドアを開けた。消毒薬と甘いミルクの香りが混ざった匂いが通り過ぎる。窓が少し空いていて、白いレースのカーテンが揺れている。床には犬型のロボット。


 ボクは病室の中を見回した。人工心肺装置や人工呼吸器は見当たらない。代わりに病人が寝ているベッドのそばに、小さなベッド。小さなベッドから小さな手が空中にのびて、ばたばたさせていた。


「フタヒロくんって、赤ちゃんは初めて?」

「ああ。必要のない情報だから」

「そう。じゃあ、抱っこしてみる? 可愛いわよ」


 ユキはさらにふふっと笑いながら、アルコールを手にかけている。ボクは首を振りながら、ユキの真似をして手を消毒する。


「ハナ、ユキちゃんが来てくれたわよ。起きたら?」


 女性は、ベッドに寝ている女性に顔を近づけて、肩を軽くたたいて声をかける。透き通った肌。すらりと伸びた鼻筋。きちんと薄ピンクの口紅が施されている唇。髪は綺麗に切りそろえられている。


 白雪姫。


 ふと、さっき図書館の壁に飾ってあった絵本を思い出す。小さな寝息を立てて眠りについている眠り姫。 


 ユキはベッドの隣の椅子に座ると、寝ている女性の手を握って、「ハナ。私、ユキよ」と声をかけた。やはりハナと呼ばれた女性は目を覚まさない。それでも、ユキは手を握り、根気よく声をかける。ぴくりとハナの指が動く。


 よく見ると、ハナの少しだけ頬が緩んだような気がする。


「ふふ。わたしだって、やっぱりわかったの? でも、王子様にキスされるまで頑張って寝ているってわけね。ふふっ。ハナったら、相変わらずなんだから!」


 ユキはそうつぶやくと、ハナを抱きしめて頬にキスをした。ボクは、ユキに今のは単なる反射に過ぎず、植物状態の人間に声が届いたわけではないと言おうとして口を開けたが、そのまま閉じてしまった。ユキの目からは涙がぽろぽろとこぼれているのを見つけてしまったからだ。


 ―― 植物状態の人間が、笑ったり、微笑んだりするのは反射にすぎない。

 ―― 指が動いたのもユキが握ったからだ。


 それは定説だ。しかし、果たして、それは真実なのだろうか。


 ボクは、病室の近くに立って、注意深くハナを観察することにした。ユキは、椅子から立ち上がると、ハナの母親のところにむかう。ハナの母親はその腕に赤子を抱いていた。


「おばさま、イロハちゃん、抱っこしてもいい?」

「も、もちろん!」


 ユキは、ハナの母親からイロハを受け取ると、「あーかわいい」と頬を緩ませている。


「おばさま、イロハちゃんのパパってだれか聞いてもいいの?」

「……、この前、DNA検査をしてね……、大河内教授だったわ」

「大河内教授???」


 ユキの目が大きく開く。


「そうよね。驚くわよね。倫哉ともやも、取り乱したわ。どうして! どうして! って……」


 ハナの母親は、その時のことを思い出したのか、自分の両腕で自分を抱きしめている。


「……妊娠にはすぐ気がついたわ。いつも、ハナの世話をしているのだもの」

「ハナの世話?」

 

 ユキがベッドに寝ているハナを見る。


「もう、六年になるかしら。ハナが大学に入ってすぐくらいだったから……」


 ―― 六年間 植物状態だというのか。

 ―― それにしては健康状態は悪くない。むしろ良好だ。

 

「でも、それじゃぁ……、妊娠なんて、……無理……」


 ユキが、声にならない声をあげて、腕の中のイロハとハナを見比べる。


「でも、どうして大河内教授が?」

「……、ハナがこの状態になってしまって、『俺が治すんだ』って倫哉ともや、帝都の先端医療技術研究所の博士課程に応募したの。脳科学なんて分野外だったから、結構大変だったのよ」


 その時のことを想いだしたのか、ふふっと小さくハナの母親が笑う。


 ―― 深山研究員がプログラムが得意なのは、たしか、前の大学でロボットに高次認知能力を学習させることを研究していたからだと聞いている。


「深山くんって……」

「ロボット工学が専門だったの。ほら、今そこで寝そべっているパトラッシュ、それって、倫哉が作ったのよ。セラピードックを真似て、病人を癒す犬型ロボット。いまじゃ、すっかりイロハのお守りになってしまったけど」


 パトラッシュ、と呼ばれて、寝そべっていた犬型ロボットが、おもむろに顔をあげた。そして、くうんと鳴いて、ハナの母親のそばに近づいてきた。ハナの母親はパトラッシュと呼ばれたロボットの頭をなぜる。しかし、ハナの母親の目はどこか遠いところをみていて、ユキに話しているのか、独り言なのかわからない感じだった。

 

「……受かった時は、そりゃすごく喜んでね。これで、脳科学の第一人者の大河内教授に学ぶことができるって。これでハナを治せるって……」


 ハナの母親が、ハナを見て、目元を抑える。


「大河内教授もハナのことが症状に興味があったらしくてね、倫哉と一緒に何度もここへきて診察をしてくれたの。それはそれは、沢山の検査をしたわ。脳波測定をしたり、MRIをとったり、脳にパルスを流して活性化を促したり……。二人で、あれこれ難しい話をしていたわ」


 ―― 大河内教授にしては珍しいこともある。機能していない脳には興味を示さないはずだ。

 ―― それとも、興味をひくようなことがあったのか?

 ―― カルテを見たい。

 ―― まずは情報を集めなくてはならない。


 パトラッシュは、もぞもぞっと立ち上がると、絨毯がひかれている場所に移動して、また寝そべった。


「あるとき、大河内教授が一人でふらりと来てね……、脳に刺激を与えれば症状が改善するかもしれない、横で見ているのはつらいかもしれないから席を外してくれって言われてね、……、そんなことが何回かあったわ」


―― 脳に刺激? 何の話だ?



 



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