第25話 フタヒロ視点 『サナトリウム』①
「深山くんって、今はだらしないけど、昔は違ったの。面倒見がよくて、優しいお兄さんだったのよ」
ユキはそう言うと、車のドアをあけた。ここからサナトリウムまで、距離にして三十九.五kmある。時速三十キロメートルの自動車では、一時間十九分の計算だ。ちょっとしたドライブだ。
このあたりは交通網が整備されていなくて、自動車でしか移動できない。研究所のある帝都中心は、道路にはオートビークルが走っていて、行きたいところに連れて行ってくれるシステムになっている。
だから、自動車を運転できるユキは特殊技能所持者と言っても過言ではない。
「私ね、移動図書館の司書ってやってみたいなと思ったことがあって、自動車の免許とったんだ」
ユキは笑いながら言う。二尋から引き継いだ情報にはそんな情報はない。ということは、二尋は知らないということになる。
二尋が知らないユキ。
ボクだけのユキ。
ボクは自然と口角が上がっていくのを自覚する。ボクはそんな自分を誤魔化そうと、車に乗り込む前の話題をふる。
「深山研究員は、ユキが知っている深山研究員ではないと言いたいのか?」
―― 深山研究員も実はAIなのか?
ボクの声にならない予想がユキにも伝わったのか、器用に、ハンドルを回わしながら、ユキが首をかしげる。
「うーん。それはないと思うの。何かのきっかけで、人が変わることは不思議ではないもの」
「何かって何を意味するんだい?」
「わからない。私も、深山くんと連絡とったの、本当に久しぶりなの」
ユキは器用に運転をしながら話を進める。
「そうなのか?」
「うん。フタヒロくんも知っての通り、関川くんと私は帝都大学出身じゃない? 私がよく研究室にいたのは知ってるでしょ?」
「ああ。ユキは一学年下だった」
「そうよ。関川くんと同じ大学に行きたかったけど、学力が足りなくて浪人したの。だから、小学校は同じ学年だけど、大学は一つ下。悪かったわね」
ユキの口が少しとんがる。
「なぜ、二尋と同じ大学に行きたかった?」
「好きだったからよ。少しでもそばにいたかったの! 悪い? 私、小学生のころから、ずっと関川くんが好きだったの。……、これじゃあ、私がストーカーみたいじゃない! それより、深山くんの話でしょ?」
ユキの口がますますとんがる。さらに心なしか頬が赤いような気がする。
小学生のころからというと、ユキは二尋のことを十年以上好きだったのか。
ユキが関川くんと口にするたび、眉を僅かに揺らすのは、二尋のことを想っているのか。
―― 知らなければよかった。
「深山くんって、私や関川くんと大学違うじゃない? 博士課程から先端医療技術研究所に来てるでしょ?」
「ああ。 大河内教授が先端医療技術研究所の所長になって、博士課程の学生を一般公募したんだ。それで、深山研究員も応募してきた」
「大学の時は良かったのよ。私も帝都大学の学生だったから、なんだかんだと研究室に入れたわ。だから、関川くんの周りの人のことも分かっていた。
でも先端医療技術研究所って、セキュリティが厳しくて入れないし、関川くんって、ほかの人に興味ないじゃない? ……、研究所に誰がいるかなんて知らなかったの」
「そうか」
確かに、二尋は研究員の顔と名前が一致しない。親しい友人も深山研究員くらい。
「でね、なんでかなーと思って、ハナちゃんに聞こうと連絡を取ったら、サナトリウムで療養中だって聞いてね。よくよく聞いたら、赤ちゃんが生まれたっていうじゃない? これは、会いに行きたいって思ったの。だって……、あ、この角? この角を曲がるのぉ? こんな細い道だとは思わなかったよぉ――」
ユキは道を間違えたらしい。慌てて、車を止めると、ナビゲーションシステムを見ている。「おお!」とか「ああ!」とか声をあげる。そして、ナビゲーションシステムのルート説明に一つ頷くと、「オッケー! リカバリーできそうだわ!」と車を再始動させた。
ナビゲーションシステムは自動音声だから返事をする必要なんかない。しかし、ユキはナビゲーションシステムの案内にいちいち「オッケー!」と返事しながら車を走らせた。
―― 声をかけない方がいい。
ボクは、ユキが会いに行きたい理由を聞きそびれてしまった。
◇
『薔薇の園』と名付けられたサナトリウムは、名前の通り、花や植物に溢れているサナトリウムだった。エリナー・ファージョンという作家が書いた『小さいお嬢さんのバラ』という物語をモデルにしたサナトリウムは、いたるところに白い薔薇と赤い薔薇が植えられていた。
「薔薇の花が咲く季節に来たかったわ。……、でもサルビアもコスモスも満開で、綺麗だわ。この風景を見れたことを幸せに思わなくっちゃ」
介護用の人型アンドロイドが、車いすを押している。車いすに乗っている患者と会話をしている。いたるところでアンドロイドやロボットが動いている。ここは自然と人工物が混在していても居心地が悪くない。むしろ、ロボット達はこの世界に溶け込んでいる。
受付にいたのも案内用のアンドロイドだ。予め面会予約をしていたため、面会相手の名前と自分たちの名前を入力すると、面会者用の4インチのタブレットプレートを渡してくれた。そこには、行先が表示されている。困ったときは、これをロボットに見せて照合するか、看護師に相談すればいいとのこと。
一通り、館内の説明をすると、入り口のゲートを開けてくれた。
廊下には、たくさんのロボットが行き来している。食事を運ぶもの、患者につきそうもの、様々だ。ペット用のもふもふしたロボットさえも廊下をゆっくりと歩いている。
「ここは、ゆったりとしていて居心地がいい施設ね。
ロボットやアンドロイドをたくさん使っているけど、事務的・機械的ではなくて……、むしろ優しさを感じるわ」
「そうだね」
「普通の介護施設はこんなんじゃないわ。もっと、狭いし、ぎすぎすした感じがしたわ」
「そういうものなのか?」
「そんなものよ。この廊下だって、とても広いし、清潔だわ」
ユキはそう言うと、タブレットプレートを見る。
「あ、そこ角をまがったとこみたいよ」
二人で角を曲がると、廊下に一人の女性が立っていた。ボクとユキを見つけると、小さく手をふっておじぎをした。
「ハナちゃんのお母さんよ」
ユキがボクにそうささやくと、急ぎ足で女性の方に歩いて行った。
「こんにちわ。おばさま」
「あらー。ユキちゃん、大きくなって。もう、どこからみても素敵な女性ねー」
「そんなことないわ。おばさま、こちらが電話で言ったフタヒロくん」
「まぁ。まぁ」
その女性は「まぁ、まぁ」と言い続けた。すると、部屋の中から、「みゃー」っと猫の鳴き声のような声がきこえてきた。
「あら、イーちゃん、起きちゃったのかしら?」
女性はそわそわし始めて、ドアとボクを交互に見ている。その仕草は、ボクを部屋の中に入れるのをためらっているようにも見えた。
「私、ハナとイロハちゃんに会えること、とても楽しみにしていたの!」
ユキがつとめて明るい声を出す。
「そ? そう? でも、ハナは……」
「問題ないわ。……、フタヒロくんも先端医療技術研究所の大学院生なのよ」
「?」
「深山くんと同じ研究室にいて、脳科学の研究をしているの」
女性の目が驚いて大きくなる。ふるふると震える手をボクの方に伸ばして、ボクの腕を、きつく握りしめた。
「お願い! あの子、
********
深山くんの秘密までいかなかったです。ごめんなさい。
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