第18話 フタヒロ視点『二尋とユキ』

 これは、性描写というのか? 言わないのか? 誰か教えてほしい。

******




 「ここが?」


 二尋と、二尋が繋がれているスーパーコンピューター那由他がある実験室の扉が閉まると、ずっと黙って廊下を歩いていたユキが声をだした。

 七台あるラックには剥き出しのCPUや冷却器など様々な部品が取り付けられている ―― 那由他だ。

 さらに、目の前の壁には80型のスクリーン。その手前には会議室用のシンプルな机が三台、この字に並べられている。うち真ん中の机にはキーボードと、IDカードを読み取るための装置などいくつかの装置。他の机にはモニターがそれぞれ三台ずつ。

 白を基調としたこの部屋は、一見スーパーコンピューターが設置されているだけの部屋にしか見えない。

 しかし、左側に明らかに不自然にカーテンで仕切られた場所がある。おそらく、最近慌ててパーテーションとして取りつけたのだろう。薄汚れてすこし黄ばんでいるのは、倉庫から持ってきたのか? 

 あのカーテンの向こうには、薬液に浸かり、いくつものコードに繋がれた剥き出しの二尋の脳がある。


「ちょっと待ってて。誰が伏兵かわからないから、細工をしてから二尋を呼び出すから……」


 深山研究員が、首から下げている自分のIDカードを画面に触れさせると、キーボードを操作する。そして、いつも遊んでいる『らぶらぶ恋のチューチュークエスチョン♡』を起動させる。80型のスクリーンにに女の子が何人も現れ、チャカチャカと軽い音楽が実験室に響きわたる。


「さあ、お姫様。ここに座って、眠ったふりをしている王子様に声をかけて」


 深山研究員が、椅子を引いてユキを座らせた。しばらくユキは視線をさまよわせていたが、目の前にある80型のスクリーンモニターに視線をむける。震えているのか、右手で左の腕を抑えている。ボクはそんなユキを入り口近くに立って見ていた。


「…… 関川くん?」


 ユキが、不安定に揺れる音量の声をあげた。画面が切り替わり、『らぶらぶ恋のチューチュークエスチョン♡』のゲーム画面は画面右下の小さなウィンドーに表示が変わった。80型のスクリーンモニターには、二尋がいつもいる研究室が映し出された。


 しかし、そこには、誰もうつっていなかった。


「おい。関川。せっかくハルちゃんとユキさんを連れてきたんだぜ。すねてないで出て来いよ」


 ユキの後ろで腕組みをしていた深山研究員が見かねて声をかける。


「……」

「関川くん。私、来ちゃった。どうしてもあなたに会いたかったし、どうしてもあなたの声が聞きたかったの」

「……」


 別のモニターに映し出されている二尋の脳波が波打つを見つけた。ユキは気づかず80型のスクリーンモニターを見ている。モニターにはいつも二尋が座っている黒い座り心地のよさそうな椅子が映っているだけだ。


 ボクは脳波が動いたことを教えた方がいいのかと考える。でも、なぜか上手く声が出なくて、喉がイガイガした。


「関川くん。久しぶりね。何か月ぶりかしら? 今年はいつも一緒に行っていた夏祭りに行けなかったわね」

「……」

「ねえ、覚えてる? 小学校五年生の時の夏祭りのこと」

「……」


 ユキが友達に語り掛ける口調で、ボクの知らない二尋との思い出を話す。相変わらず、モニターには二尋は現れない。


「前に、あなたは心なんていらないって言っていたよね。泣いたり笑ったり、他人を気にしたり、めんどくさいだけだって」

「……」

「でもね。私にはやっぱり、あなたの心も必要なの」

「!!」

「私、あなたの心も愛しているの」


 ユキがメイン画面近くの机に縋りつくようにしてぽろぽろと涙をこぼしはじめた。あまりにも頼りなげで、ボクは思わず近づこうと足を踏み出した。

 途端 ――。


「……ユキ……」

「関川くん!!」


 画面に二尋の姿が映る。無表情を装っているが、右手がこちらにむかって伸びている。まるで、ユキの髪を触っているかのように、かすかに指先だけが動いている。


「僕ハ モウ 君ニ 触レルコトモ デキナイ。 君ノ 匂イモ ワカラナイ。タダノ 計算機ダ」

「そんなことないわ。まだ、あなたには心が残っている。だって、そうでしょ? 今だって、こうやって、私の前に現れてくれた」

「シカシ……」


 ユキも画面に手をのばす。決してつながれることのない手と手。二つの手の間には距離があった。ユキが少しばかり顔をかたむけ、鼻にくしゃっと皺をよせ、明るい声をだす。


「あなたの姿を見ることが出来たわ。声が聞けたわ。話をすることが出来たわ。だから、私、あなたを感じることができる」

「ユキ」

「私ね、そうやって、関川くんが少しだけ唇をあげて、優しい目で『ユキ』と呼んでくれるだけで、体が熱をおびてくるのよ。子宮のあたりがきゅうっとなる。あなたに触れられている感覚さえあるの。……これじゃあ、まるで……」


 ユキが切なそうに、目を細める。お腹のあたりに手をあててわずかに身をくねらす。見ているボクの心臓が跳ね上がる。


「ユキ……」

「私って強欲ね。その声を聞いていたい。その続きを感じたい」

「電子音ニスギナイノニ?」

「そんなことは関係ないわ。電話と同じだって考えればいいじゃない? あ! そうだ!! 私のスマホに関川くんの声を録音しようかしら。でも、この効果音が流れていてはだめね」


 ユキが涙を拭きながら、てへへと笑う。


「ねえ。そばに行ってもいい?」


 そう言うとユキは椅子から立ち上がり80型スクリーンの前に立つ。


「ねえ。キスして」


 ボクが知らない少し潤んだ甘えた声がユキの口からこぼれた。そして、背中を僅かにそらせて画面に顔を近づける。


「深山モイルノニ? 画面ゴシナノニ?」

「全然構わないわ。深山くんにはハルちゃんっていう素敵な彼女がいるんですもの。見せつけてやればいいのよ」

「ハルチャン?」


 二尋が視線をさまよわせて、入り口に立っているボクを見つけた。怪訝そうな顔をしてボクを見る。ボクは視線を逸らせるしかなかった。


「関川くんもハルちゃんが気になるの?」

「イイヤ。僕ガ愛シテイルノハ ユキ オ前ダケダ」

「嬉しい」


 二尋の顔がユキの顔に近づく。けれど、唇と唇は触れ合うことはないし、重ならない。それでも、二人は顔を近づけあって、そのまま動かなかった。




 ―― 濃厚なキスシーンでこぼれる蜜のような甘いユキの吐息が、乾いたゲームの効果音に混ざって消えていく。


 ボクは、そんなユキを見ているしかできなかった。








「ハルちゃん……、いや286フタヒロ、お前……」


 深山研究員にそっと肩を掴まれ顔を触られて、ボクは初めて自分の目から水滴がこぼれているのに気がついた。


「これは涙?」

「ああ……、悲しい時に目からこぼれるのは涙だ」

「悲しい? 悲しいのか、ボクは」

「ああ」

「なぜだ?」

「そりゃ、お前……」


 深山研究員はそう言って、黙った。そして、ボクを抱きしめた。ボクの視界からユキが消える。ボクは深山研究員が言いたいことを考えた。いくら考えても答えは見つからない。





「………………深山研究員、ボクは二尋に二尋の体を返した方がいいのかな」




 


 


 



 

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