第17話 フタヒロ視点『研究所見学②』
大河内教授が立ち去ったあと、ボク達は、まだ見学する研究室を残したまま、見学ルートから外れた。それは、予定内の行動なのか、予定外の行動なのか、ボクには判断がつかなかった。ただ、ボクの左の手を握っているユキの手が汗ばんで冷たくなっている。口数も少ない。
「ユキ……、大丈夫か?」
「う……うん。心配かけてごめんね。ちょっと、いろいろ考えちゃって……、えへへ……」
ユキが空いている方の手で頭をかきながら、乾いた笑いをたてる。さっきまでのはしゃぎようとは大違いだ。ボク達の前を歩いていた深山研究員が少し不思議そうな顔をしてボクを見て、何かを言いかけようとしてやめた。代わりに、近くに生えていた赤い彼岸花を折った。それをゆらりゆらりと胸のあたりで揺らしている。
「ハルちゃん、『彼岸花を摘むと死人がでる』って迷信、知っている?」
「彼岸花には、
「だよねー。でも、迷信は科学的には解明できない謎があるから迷信として残っているかもしれない」
「じゃあ、深山研究員が今、彼岸花を摘んだから、誰か死ぬっていうのか?」
「さああ。それは、わからない。俺には未来を視る力はないからな。しかし、賽は投げられたのさ」
深山研究員は笑みを深くした。そして、彼岸花を一回頭の近くで輪を描くように回して、ゆっくりと斜めにおろして深々と礼をした。まるで大道芸人の大げさなあいさつのように。
「さてさて、お嬢様方。この先は、本日のメイン会場、スーパーコンピューター那由他があります第23実験棟になります」
「しかし、第23実験棟は、担当研究者以外立ち入り禁止だ」
「それがね、大河内教授の了承を取りつけることができたんだよ。『深山君の婚約者の弟君ならば身内同然だ。探求心旺盛な少年の未来のため特別に許可しよう』だってさ」
「ならば問題ないな」
「……問題おおありよ!」
ユキが声を押し殺して、深山研究員を睨んだ。
「あの大河内教授が、深山くんに囁かれて入室を許可した――。あなた、いったい何を囁いたの?」
「おかけでセキュリティにひっかからず、正々堂々とはいれるんだ。いいじゃないか」
深山研究員が手に持っていた彼岸花をユキに向ける。ユキはそれを手で払うと仁王立ちをして、眉間にしわを寄せた。
「教えてほしいわ。実験室に行きたいと行ったのは私よ。私も仲間よ」
今度は彼岸花の花をボクに向けた。ボクの鼻先で、彼岸花がくるくると回る。そして、ゆっくりと下げられて、ボクの胸、腰を差していく。ボクも彼岸花につられて視線を動かす。
「まず正攻法で第23実験棟見学の許可を願い出た。それはあっさりと却下された。……、そこで、来月に泊まりがけの出張があること、その日はハルちゃんはひとりで家にいることをそれとなく伝えたんだ。あのエロ教授の目つき、ハルちゃんを完全にロックオンしてただろ? ありゃ、脳内で脱がせてたな」
「……」
「でね。教授にはいろいろご教授いただきたいですって付け加えたのさ」
「何を?」
「さあ? 俺はいろいろとしか言わなかった。それを、あの教授がどう思ったかは想像しかできん」
そして、彼岸花の花をボクの胸にあてて、「例えば、ここと脳内に発生するドーパミンの関係についてとか教えようと思ったかもしれん」と言った。
―― 胸とドーパミンの関係?
ドーパミンとは、神経伝達物質であり、感情、記憶、理性などの心の機能に関与していると言われている快楽物質だ。確かに教授の専門は、脳内に流れる活動電位を調べることだ。ボクは深山研究員の言いたいことを理解できず、ユキを見る。ユキは思いっきり顔をしかめていた。
―― 今の話はユキにとって嫌な話なのか?
「そこでだ。第23実験棟を見せれば、我々の研究について理解を深めることができると、しいては教授の偉大さもわかるかもしれないですよねーってなんとなく匂わせてみたのさ。
『少年の未来のため』なんて恩着せがましいことを言っていたけど、ナニを考えていたんだか……。ま、それほど、ハルちゃんは素晴らしく美人だってことだね」
「……深山くん……」
「いいんだよ。こんな猿芝居、たいしたことはない。だって、こいつの中身は
深山研究員が、ボクから取り上げた大河内教授の名刺をいれたポケットを触った。
「それが?」
「情報によると、教授室にあるパソコンにアクセスするためのアクセス権は、個人名刺に書かれている携帯番号を使っているらしい。これは、個人的に俺が喉から手が出るほど欲しかった情報だ。だから、ユキさんは気にすることはない。大丈夫。きっとうまくいく」
そういって、手に持っていた彼岸花を藪の中に放り投げた。そしてボク達に手を差しだし、もう片方の手で茶色い建物を差した。
「さああ、お嬢様方、人間の脳の不思議を読み解くために作られた第23実験棟へようこそ!」
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