第7話 問③答え 二尋視点『ユキへの想い』


 あれは、桜が雪のように舞いあがる日だったか……、それとも金木犀が散る日だったか……、僕の思考に呼応するように、目の前の風景がころころと変わる。白っぽいものが巻き上がったり、金色のものが降ってきたり……。僕が描く世界は、時間も空間も自由自在だ。過去は変わらないとよくいうが、僕からすれば、おのれの意思で変幻自在に変化することができる不安定な事象にすぎない。まあ、どうでもいいことだが……。





「関川先輩、今日も徹夜ですか?」


 大河内おおこうち教授に突き返されたレポートを眺めていると、女子の声がした。顔をあげると、今年、研究室に配属された三年女子だった。長い髪も胸元が広めのカットソーも研究室にはそぐわない。舌打ちしたい気分をぐっと抑える。


「あ、ああ」

「……、あの、……、お口に合うかわからないのですが、お弁当を作ってきたんです。きゃっ」


 ことりとピンク色のハンカチで包まれたお弁当箱が僕の机に置かれる。


「……」

「あ、あの、お茶でもいれましょうか?」


 ―― 面倒だな。


 僕はちらりと部屋の中のを見渡す。もう一人、椅子に座ってお茶を飲んでいるの三年が目に留まった。時計を見ると、五時をすぎている。


「いや、いい。……もう、五時を過ぎた。三年は帰っていい」

「「え?」」


 椅子に座っていた三年も僕の方を見た。


「研究テーマが決まっていない時期に、だらだらと研究室に居残る必要はない」

「……で、でも」


 二人とも不安げに顔を見合わせて僕を見る。先日、『大河内研はブラックだとい噂があるらしい。入ってきた後輩には優しく接しろ』と教授に言われたことを思い出して、僕は口角をぎごちなくあげる。


「問題ないよ。三年は五時までいればいいし、今は研究室以外のことに挑戦した方がいい。四年になれば嫌でも研究室から出られなくなるから……ね」



 僕は、いい先輩のふりをして、二人を追い出すことに成功した。




 ☆


 コンコンコン。


 研究室の扉をたたく人物がいた。扉の横の窓から、ラクロス用のスティックが見え隠れする。ユキだ。ユキは、一人でいることが好きな僕にしつこく絡んでくる小学校からの幼馴染。泣いたり、笑ったり、感情の起伏が激しくて、うざったく感じていたのも事実。でも、最近、ユキがここを訪ねてくることを心待ちにしている自分がいるのも事実。

 僕はなるべく無愛想な声で「どうぞ」と声をかける。ユキは研究室に入ってきたかと思うと、にやにやしながら僕の机の上の弁当箱を指さした。


「あれー、関川センパイ、手作り弁当ですか?」


 わざとらしく、高い子どもの声でユキが言う。


「今年はいった三年女子からだ」

「関川くんって顔もいいし、優しいし、頼りがいがあるから、下級生からモテモテね」

「くだらん」


 ユキは食器棚から僕のマグカップと来客用のマグカップをとりだして、珈琲を入れる。しょっちゅうここに来るから、勝手知ったるなんとやらだ。

 僕はお茶を飲まない根っからの珈琲党だ。


「関川くん、今度研究室に入ってきた後藤さんって、すごく可愛いと思わない?」

「誰?」


 僕はレポートを眺めながら、ユキからマグカップを受け取る。ユキも僕の隣に座って、ちゃっかり砂糖とミルクを入れた珈琲に口をつけた。女の子特有の甘い匂いが僕の鼻をくすぐる。僕は慌ててマグカップに鼻をつっこむ。珈琲の匂いを嗅いで心を落ち着かせる。


「髪型とか服装とか、関川くんの好みじゃん? 前に、長い髪がいいとか、タイトスカートがいいとか田中先輩と言っていたじゃん?」


 ユキにしては今日はよく絡む。


「はぁ? それ、いつのことだよ。だいたい、田中先輩って、中学の時の話じゃないか!」

「でもさ、なんか後藤さん、このところずーっと関川くんにくっついるじゃん。この前、図書館で、『先輩ぃ、レポートの文献調査方法、教えてくださいー。わたし、CiNii使ったことなくってぇ……』って、手を口に当てながら言ってたでしょ? こーんなにくっついちゃってさ」


 ユキが自分の胸を僕の腕に押し付けてくる。僕は慌てて、身をよじってユキとの距離をとろうと試みる。なのに、ずずっとユキは近寄ってくる。


「と、図書館って、……、お前、見てたのか?」


 と、急にマグカップを机の上に置くと、ジトッと上目遣いで、ユキが僕の顔を覗き込んだ。


 ―― 近い! 近いって!!


「まんざらでもない感じだったわよ? それに、今日は手作りお弁当もらっちゃってさ……」

「はぁ? 関係ないだろ」

「そう? ……どうやらあたし、自分が特別だと勘違いしてたみたい」


 今度は、ユキが僕から離れて口に手を当てて視線を逸らす。長いまつげがフルフル揺れているのがわかった。


「……」

 

 僕が何も言えずに黙っていると、ユキが僕の手の中のレポートを取り上げた。


「ねぇ!! 関川くん、聞いてる?」


 ユキの顔が近すぎて視線が定まらない。わずかに視線をさげるとユキの少し湿ったピンク色の唇が目に飛び込んできた。


「あ、あぁ……」

 

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。慌てて首をふるとユキを両手で押した。柔らかな感触が手に残る。


「なあ、ユキ。僕は、人間の脳には興味はあるけど、人間にはあまり興味がないんだ」

「確かに、関川くんってそういう人だったわ……。だから安心してたのよ。でも、それが、最近、まわりに優しいし、微笑んだりしているから……」

「大河内教授に言われたからだよ。最近、大河内研はブラック研という噂が広まって、配属希望がめっきり減ってしまった。だから、後輩には優しく笑顔で対応しようキャンペーンを行うって」

「そうだったの……」

「だから、本当は、この弁当を持ってきた三年女子の名前さえ知らない。その子に優しくしたんじゃなくて、あとで教授にねちねちと小言を言われるのが面倒だっただけさ。図書館に連れて行ったのも、教授に言われたからだし、……、CiNiiのくだりは正直覚えていない」

「……それって、ちょっとかわいそうかも……」

「でも、ユキ……」


 僕はもう一度ごくりと唾を飲み込む。多分、今言わないと後悔する。


「……僕の中でユキだけは違うんだ。ユキにだけは優しくしたいし、ユキが何を思っているか知りたいと思っている。これって……、多分……、…………ユキのことが好……き……なんだと思う……」



 消え入りそうな僕の声がユキの耳に届いたのか、ユキの目が大きく見開かれた。

そして、僕に抱きつくと、耳元でささやいたんだ。


「私もずっとずっと、関川くんのことが好きだったのよ……」







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