第5話 問②答え フタヒロ視点『二尋の存在』
「二尋、今日はユキがくる」
二尋と呼びかけられて、パソコン画面に人型のシルエットが浮かび上がる。そのシルエットは赤くなったり青くなったり、色を目まぐるしく変えた。今、画面に映された人型のシルエットは仮想現実にいる二尋。ボクのパソコンからは、直接、関川二尋にコンタクトをとることができるのだ。まあ、このパソコンのスペックでは、仮想現実世界にいる二尋の姿はシルエットでしか見ることができないが。
「……ソウカ……」
「手料理を振舞いたいんだそうだ。それにしても、興味深いね。WEB上には、料理に関する情報が溢れかえっている」
「……」
「これなんか、どうだい?」
ボクは、さっきまで閲覧してたWEBページが載っているスマホ画面をパソコンに見せる。そこには、「料理の腕前」と題された情報が載せられていた。
そこには、彼女は料理が下手で食べられないものを作るとあった。そして、彼氏はそれを食べるか拒否するか選択を迫られると。
「なぜ、彼氏は恋人がいる台所にいくのに足取りが重いのだろう?」
「シラヌ」
「料理というものは、食材を決められた分量、時間、方法で作るものだろう?」
「ソウダ」
「なら、誰が作っても同じだろ?」
「……」
「まあいい。何事も学習だ」
「……」
ピンポーン。
家のチャイムが鳴る。
「ユキが来たようだ」
ボクは部屋のパソコンの電源を切ってから、リビングへと向かう。食器棚の脇に取り付けられているドアフォンの通話ボタンを押す。そこには、ユキが両腕にはいっぱい食材が入った紙袋を提げているのが映った。
「今日はフタヒロくんに美味しいものをいっぱい食べさせてあげるからね!」
にこにこしながらユキが入ってきた。部屋に上がるなり早々とキッチンへ向かう。
「腕によりをかけて作るからね! 期待して待っててね!」
あれ以来、ユキはボクのことをフタヒロくんと呼ぶ。若干の違和感があるが、ユキのボクに対する態度は変わらない。まあ、依然と違うと言えば、キスすることを嫌がるくらいか……。ボクは前を歩くユキのピンクのワンピースの裾が揺れるのを見ながら考える。ボクは足取りは重くならない。
「あーやっぱりー!!」
キッチンに入った途端、ユキが声をあげる。そして、後ろにいるボクの方を振り返ると、腰に手をあてて頬を膨らませている。そして、キッチンに所狭しと並んでいる、パーフェクトフードの瓶を指さした。
「関川くんが元データだと言っていたから、もしかしたらとは思っていたけど、…………、フタヒロくん、パーフェクトフードばっかり食べてちゃだめでしょ!!」
パーフェクトフード。それは、NAL(National Aerospace Laboratory 航空宇宙研究所)が開発した完全食。もともと宇宙食だったパーフェクトフードには人間が生きていくために必要な栄養素をすべて含まれている。水に溶かして飲めば、液体に含まれるナトリウムイオン等が味覚を刺激し、膨満感を与え、腸を動かす。
「なぜ?」
ユキが怒る理由がわからず、ボクは首を傾げる。二尋の食事も同じだったはず。パーフェクトフードは、長い宇宙旅行や火星での生活では主となる食料で、何も問題がない。
「人間にとって食べるって行為はとても大切なのよ。美味しいとか、嬉しいとか、そういう心を育てる大事な行為なの!」
ユキはハァ、こんなところも一緒なんだと呟く。そして、食べるとは健全な食生活は生きる上での基本的な行為であり、いかに重要であるか、説明を始めた。
「人間として必要不可欠なのか?」
「そう! だから、フタヒロくんは席についてワインでも飲んでて!」
ユキが白いブラウスの袖をまくる。白くて華奢な腕が袖口から覗く。ユキは紙袋から赤ワインを取り出すと二つのグラスに注いだ。ボクは、血の色と同じだなと思いながら、椅子に座った。ことり、とボクの前に赤ワインがはいったグラスが置かれる。
「なぁ、ユキ。食べるという行為の意味はわかった。しかし、ユキが料理を作る理由を知りたい。同じものを同じ条件で反応させれば同じものができる。つまり、店で買っても、ボクが作っても、ユキが作っても、同じじゃないのか? ある情報では、彼女という存在が作る料理は下手で食べられないとあったぞ?」
「なにそれ!! どこから仕入れてきた情報なの?」
ユキが眉をひそめて声を荒げる。怒っているのか?
「確かに、私と比べものにならないくらい関川くんは料理が上手だったわよ。でも、彼は……、いいわ、フタヒロくんにも選ばせてあげる。フタヒロくんが作ってもいいし、私が作ってもいい。どうする??」
ユキがグラスに入っている赤ワインを飲みほして、ボクを睨みつける。ボクは何が正解なのかわからなくて黙ってしまった。ユキはボクが答えるまでじっとボクを睨みつけている。
「……ユキに頼むよ……」
ボクは今までで一番確信が持てない答えを導きだした…………。
◇
「できたわ!」
そう言って、ボクの前に出されたのは、真っ黒なものがいくつか浮かんでいる錆色の液体だった。となりには、真っ黒に炭化したバターロールがあった。
「これは?」
「ビーフシチュー。……、ちょっとお肉を焼きすぎちゃった……」
てへへと髪を触りながらユキが言った。ボクはスプーンで錆色の液体を救い上げると口に運んだ。舌の上の味覚神経が悲鳴をあげるような刺激が襲う。刺激は脳全体に伝わり、ボクは脳震盪のようなひどい頭痛に見舞われた。今までにない感覚に、これが、人間が求めてやまない『美味しい』という心なのかと学習する。確かに、強烈なインパクトがある。
ボクの前に座ってたユキはスプーンを口にした途端、キッチンの水道へ走っていった。何度も水道水を飲んでいたユキがぽつりと言った。
「私、失敗しちゃったみたい……」
「なにが?」
ボクはふたくち目を口に運びながら、涙目のユキの顔を見る。人間の感覚とは慣れが生じやすいのか、ひとくち目ほどの頭痛は襲ってこない。
「いいよ。フタヒロくん。そんな不味いもの食べなくても」
「? あんなに食べることは大事だと言っていたのに? 今度は食べるなとはどういうことだ? それにユキは自分が作った料理を美味しいものと不味いものという。相反する言葉で形容することは間違っていると思うけど?」
ユキのいうことを理解できず、ボクは黙々と食べ進める。ユキがボクの前に座りなおしてじっとしている。ボクは食べ終わると、スプーンをおいてユキを見る。
「確かに、パーフェクトフードでは味わえない感覚だった。……、美味しかったよ。ありがとう。ユキ」
ユキが目を大きくしてボクを見る。唇の端が小刻みに揺れている。そして、ボクから視線をそらすと、顔に手をあてて、「……関川くんそっくり……」とボクに聞こえないような小さな声で呟いた。何故、ボクにそれが聞こえたのか、何故、ユキが二尋の名前を呼んだのかわからない。でも、ボクは衝動的に立ち上がると、それ以上喋らせまいとユキの唇を唇で覆った。今まで炭化したものを咀嚼していたからか、ユキの唇の味はとても甘くて、ボクの脳を別の意味でしびれさせた。
……、突然、リビングにある液晶テレビがボンと音を立てて火をふいた。ユキがびっくりしたように体を震わせて、ボクから離れる。ボクはユキに気づかれないよう、視線の先にあるボクの部屋を見た。
「な、なに??」
「大丈夫だよ。ユキ。あのテレビ、最近調子が悪かったんだ。そろそろ修理に出さなきゃって思っていたんだけど、忘れててね」
「そうなの?」
「ああ。片づけは手伝うよ。今日のビーフシチュー、……本当に美味しかったよ」
◇
ユキが帰ったあと、ボクは部屋に戻った。パソコンの電源が勝手に入っている。ボクはパソコンを睨みつけた。
「…… テレビを遠隔操作するとは、二尋、どういうつもりだ?」
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