冬 炬燵と淡雪
学校は今冬休み中だった。
家にいる時間が長くなると深雪ものびのびと身体を使える。
里浦一家はみんな深雪の存在を知っているから、独り言を気にする必要はないし、深雪も人目を気にせず深春の身体を好きに使える。深春も、休みのときくらいは身体を使わせてあげようと身体の主導権を渡してくれることが多い。
深雪は和室の炬燵の中で寝転がりながら、深春のかわりに数学の課題を解いていた。長期休暇の宿題は、小学生の頃から分担してやってきた。テストのときに交代でやるとずるみたいになるが、宿題は手分けした方が早く終わっていい。それに深雪は、勉強が嫌いではない。深春の心の内でじっとしていることが多いため、頭を使うのが楽しいのだ。
最後の問題を解き終えると、床に広げていた教科書とノートを閉じた。
「深春ー、終わったぞー」
『ありがと、深雪。助かったー!』
成績が平均で、特に理数系が苦手な深春は全科目の宿題を終えるのもひと苦労なのだ。
『ね、英語もやってくれたりとかは……』
「却下。国社英はお前の担当だろ」
『むう。こっちの方がひと科目多いのに』
炬燵から這い出し、床に散乱した教科書やノートを片づけにかかる。ちょうどそこへ、洗濯物を干し終わったらしい母が和室にいる深雪を見かけて足を止めた。
「深雪、宿題お疲れ様。今あったかいお茶でも淹れるわね」
「飲む飲む。さんきゅー」
深雪は気軽に母に応じる。外で自分の言葉を使って話すことはほとんどない。だから家で自分らしくいられる時間は、深雪にとって貴重だった。
深春を恨んだことは一度もない。元からこの身体は深春のもので、自分の魂は身体がないから深春にくっついてきた。ここにあるもの全部深春のものだ。深雪は深春が与えられたものを少しばかり分けてもらって、やっと生活していられる。
深春は深雪を本当の兄弟のように思って一緒に過ごしてくれる。
ずっと一緒に暮らしてきたから、深春は当然のように深雪を気にかけ、深雪との時間を作ろうとする。深雪が身体を持っているかのように振る舞ってくれる。
両親もそうで、深雪の好きなものを作ってくれたり、ほしいものを買ってくれたりする。お小遣いも、深春と深雪の分をそれぞれくれる。
だが、いつまでもこのままでいられるわけがないと深雪は考えている。
この身体は深春のもので、これは深春の人生だ。
いつまでも深雪がくっついて一緒に歩むことはできない。深春はまだ気にしていないようだが、深雪はこれから先どうなっていくのか察しがついていた。
例えば、少し前に大学について話したときもそうだった。深春は深雪と一緒に行ける大学がいいと言った。けれど、深雪はそれが無理だと覚っている。
深春だってこれから人並みに恋をしたりするだろう。行きたい大学を選んだり、やりたい仕事に就いたり、結婚したりするだろう。
そんなとき、いつまでも深雪がいては深春の邪魔になる。普通の双子が別々の道を歩むように、深春と深雪も、きっといつかは別れるときがくる。
深雪は深春の魂の片割れ。深春の中の、何かがきっかけで一緒に生まれた付属物。いつまでも深春の中に居座って、深春の人生の邪魔をするわけにはいかない。
でも、深雪はまだ、消えてなくなりたいわけではない。
深雪は炬燵布団にくるまりながら、テーブルの上に顎を乗せた。
『深雪、どうかした?』
深春は普段はぼんやりしているのに、たまに妙に鋭くなる。
「ん、なんでもねえよ」
和室の窓の向こうでは、ぽつぽつと雪が降っている。
深雪。今思えば、これほど自分にぴったりの名前があるだろうか。
深春は季節を――春を重ねて大人になっていく。深春は深春の季節を生きていく。
けれど、雪は降って溶けてしまえばそれまでだ。季節を重ねることは叶わない。いつかは溶けて、何もなかったかのように消えてしまう。春の前には、いなくなる。
――ずっと、一緒にいようね。
以前深春はそう言った。その言葉にどこまで縋っていいのか深雪にはわからない。
信じれば辛い嘘になるだろう。だが、嘘だと考えるのはもっと辛い。
深春は双子の妹のような存在だ。何をするにもずっと一緒で、深雪にとって深春は身体を借りているという以上に大きな存在になっている。
優しくておっとりした深春を、深雪はずっと守ってやりたい。
深春の傍についていて、深春が困ったら何でも助けてやる。ずっと。
深春がくれる優しい言葉にかこつけて、深雪はしぶとく生き残ろうとしている。よくないことだとわかっていても、まだ深雪は、深春と別れたくはなかった。
お盆にお茶を載せて母がやってくる。
「まあ、こんなに雪が降るのも珍しいわねえ」
「そうかもな」
炬燵机の上に置かれたお茶を、深雪はさっそく啜る。
「宿題、もう終わりそうなの?」
「理数系はもう終わってる。あと残ってるのは深春だけなんだぜ」
「さすが、早いね」
『もう、自分の方が勉強得意だからって』
深春が頭の奥で深雪を睨むが、深雪は得意げに笑ったままお茶をもう一口啜った。
外は白い雪がぽつぽつと降っていた。当たり前のように過ぎていく一年の中で、春になれば消える雪のことを、深雪は思った。
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