秋 休日と喫茶店
「ね、深雪。一緒に出かけない?」
『一緒って……、俺は深春が出かければ無条件で一緒に行くことになるだろ』
むしろ別々に出かけることの方が無理だ。
「私としては、一緒にお買い物に行くって言ってほしいの」
『お前、たまにわけわかんねえよ』
そう言いながらも、深雪は『一緒に行ってやる』と言ってくれた。深春は久しぶりに制服以外の服を着て、数駅離れた町へ向かうことにした。
深雪は服の趣味にはうるさくない。女の身体で、女物の服を与えられて育ったからかもしれない。珍しく口を挟むときというのが、『お前、それスカート短すぎるんじゃねえか?』と、まるで父か兄のような台詞を言うときである。
それを聞いた途端に深春が噴き出すと、深雪はやはり怒った。
『せっかく心配してやってるってのに! 笑ってんじゃねえ!』
「ごめんごめん」
それでも笑って声が震えてしまった。そういうわけで、深春の服装には丈の短いものが少なかったりする。
日曜日の街中には人が溢れていた。家族連れからカップル、そして私服の学生たちが道を埋め尽くして思い思いの方向へと歩いている。
今日はどこへ行こう。せっかくだから、普段は行けない大きな本屋さんを覗いてみるのもいいかもしれない。それに、栗やさつまいもを使った秋限定スイーツを食べに喫茶店でのんびりしてもいい。最近お小遣いを貯めているからお店を梯子するのもありだ。
「迷うなあ。どこ行こうかなあ」
学校に行くときとは違う、軽やかな足取りで街を歩く。
深春は休日もひとりで過ごすことが多い。学校の友達は休みの日に集まったり、放課後に一緒にアイスを食べたりカラオケに行ったりしている。深春も最初のうちは誘われたが、毎回断るのでいつしかそうした遊びに誘われることがなくなった。たくさんの友達と盛り上がるより、ひとりで好きなことをする方が気楽で落ち着く。
何より、ひとりでいる方が深雪と二人で過ごすことができる。
深春にとって、深雪と二人でのんびりする時間は学校で取ることはできない。家でもいいけれど、たまにはこうして外出もしたい。
深雪に行先の意見を訊いても『好きにしろ』としか言わないので、深春は結局この辺りで一番大きな本屋へ向かった。学校の帰り道では駅ナカの小さな本屋にしか寄れないので、こうして休みの日に大きな書店に行くことは楽しい。
深春は静かな書店の中で書棚を順に見て回った。最近は図書室で本を読んでばかりだったので、あまり新しく本を買っていない。好きな作家の児童書が出ているかもしれないと別の書棚へ向かった。背表紙を眺めながら、気になるタイトルの本を引っ張り出してはあらすじや中身を確認していく。隣で同じように本を物色している男性もいた。
頭の中で、深雪が低く唸っているのを感じる。どうかしたのだろうか。
隣にいた男性が深春の傍の本を手に取ろうとしたので、深春は思わず身を引いた。
その瞬間、深春はその男に腕を掴まれた。咄嗟のことで悲鳴すら出てこない。
『深春、変われ!』
そう叫ぶや否や、身体の主導権を深雪に奪われた。
深雪はそのまま掴まれた腕を強く振り払う。一瞬でその場から駆け出し、深雪は店内から逃げ出した。深雪は深春と違って運動神経がいい。あっという間に外に出た。
「深春、大丈夫か?」
小声で気遣ってくれる深雪の声で、深春はようやく安堵できた。
『うん。ありがと、深雪』
深雪はいつも、鈍い深春をこうやって助けてくれる。深春ひとりだったら、さっきの男性に一体何をされていただろう。考えることさえ怖かった。
「変だと思ったんだよ、あの男。本を見てるわりには深春のことチラチラ見てきやがる。案の定の変態だったってわけだ」
あのとき深雪は妙に唸っていた。こんなことを考えていたなんて。
「べたべた触りやがって。蹴り飛ばしてやればよかったぜ」
『それはだめでしょ』
深雪は適当に返事をしながら、身体を深春に返してくれた。
まだ身体が少し震えている気がする。あんなことがあってはのんびり本屋を回る気もしない。深春は前から気になっていた喫茶店に行ってみることにした。
道行きのウィンドウから、小さな本屋の店内がちらと見えた。ちょうど赤本や参考書が見えて、休日なのに少し気が落ち込む。
「来年には受験生になっちゃうなあ」
勉強がそこまで得意ではない深春には、来年の春から始まる受験が些か気鬱だった。
まだ将来どうしたいかなんて考えられないし、わからない。それなのに道は決めなければならない。
「深雪は将来どうしたいかとか、あるの?」
『なーに言ってんだよ。俺は深春の進む道にくっついていくだけだぜ』
「そうしたら、深雪の進みたい道には行けないじゃない。できたら一緒に行きたい大学とかお仕事を選べるといいね」
『…………ああ』
深雪は珍しく黙ってしまった。何か考え事をするとき、深雪はよく黙る。そういうときは何を訊いても答えてくれないので、深春も黙ることにした。
秋限定のスイーツまであと少し。
深春は浮足立ちそうになる足取りを抑えながら、歩を進めた。
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