公爵令嬢と、真実の愛。

「という事で、ヘイリー殿下は今頃王宮で国王陛下かや宰相様からお説教を受けているでしょうし、子爵令嬢のルイーズさんは警務隊によって尋問を受けているところですわ。」


「なるほどな。

しかしそのルイーズとやらも、中々に小賢しい人間のようだな。

どうせなら現場で見てみたかった。」


「まぁ、デューク様ったら。」


アレクシアが微笑みながら寄り添うのは、第二王子のデューク・ボールドウィン・ステイルフォード。

ヘイリー達の言うところの、アレクシアの真実の愛の相手だ。

ヘイリーと同じ歳のデュークは側妃の産んだ子供で、王立学園には通わず士官学校に通っている。

側妃である母に似たため、容姿はヘイリーとは似ていない。

母親譲りの濡れ羽色の艶やかな髪に、カヤナイトのような深い藍色の瞳。

そう、アレクシアがこよなく愛する#あの藍色__・__#だ。


「しかしまさか本当に、アレクシアの言う通りになるとはな。

俺はてっきりこのまま独身で朽ち果てるもんだと思っていた。」


「あら、わたくしはちゃんと申し上げましたでしょ?

卒業までに必ずヘイリー殿下とは婚約破棄してみせると。」


デュークが苦笑いしながら見ているのは、あの時セドリックに書かされた婚約破棄の書類、その内の一枚だ。

そこには国王の御璽がしっかりと押されている。

それを見たデュークは自らの肩口に寄せられた小さな頭に、優しく口付ける。

アレクシアは幸せそうに擦り寄ると、婚約破棄の書類よりも古めかしい、幼い字で書き記されたもう一枚の羊皮紙を指先で撫でた。






事の発端はアレクシア達が産まれるより少し前まで遡る。


今は亡き王妃、ヘイリーの母親であるマルグリットは、身体が弱いためかなかなか子宝に恵まれず、結婚してから六年もの間苦しみ続けていた。

そんな王妃を見兼ねた国王は、ある日側近達の進言を受けて側妃を迎えることを決意する。

しかし国王が側妃を持つことに反対した王妃は、側妃は王妃が選んだ女性にすることという交換条件に承諾した。


それで王妃の気が済むならと国王は了承し、その結果選ばれたのが王妃の護衛騎士をしていたデュークの母親、イーディスだ。

護衛騎士として近くで王妃の苦しみを見てきたイーディスは、王妃の気持ちがそれで少しでも慰められるならと了承し、側妃として王宮に召し上げられた。

そして一年後、イーディスはデュークを懐妊する。


が、そこで予想外のことが起こる。

何と王妃であるマルグリットも同時に妊娠したのだ。

もう妊娠を諦めていたところに来ての懐妊に、マルグリットは浮き足立った。

そうして産まれたのがヘイリーだ。


デュークより数日先に産まれたヘイリーをマルグリットは溺愛し甘やかし、反対にイーディスは後から産まれた側妃の子供であるデュークを立派な臣下にする為に厳しく育てた。

それはもう我が子を千尋の谷に突き落とす獅子も真っ青になるくらいの厳しさだった。


そんなヘイリーとデュークが十歳の時、二人の婚約者を選ぶためのお茶会で公爵令嬢のアレクシアと出会うことになる。

アレクシアは当時の貴族女子の中では抜きん出て優秀で、イーディスによって厳しく育てられたデュークとはよく話が合い、二人はすぐに意気投合した。

片やヘイリーはマルグリットに溺愛されて我儘放題に育ち、お茶会には傍若無人な振る舞いで、周りをドン引きさせていた。


これにようやく危機感を覚えたのは、他ならぬ母のマルグリットだ。

産後の肥立ちが悪く、以降体調を崩すことが多くなっていたマルグリットは、自身の亡き後の息子の後ろ盾を得るため、奔走し始める。

そうして白羽の矢が立ったのが、眉目秀麗で成績優秀な上に公爵家というパーフェクトな肩書きを持つアレクシアだった。

しかも彼女の家は中立派で、伯爵家であったマルグリットの実家ともそれなりに親しい。

これはもうアレクシアしかいない!と思ったマルグリットは、その日から怒涛のうちの息子の嫁に来い攻撃を始めるのである。




この時、国王はかなり迷っていた。

正妃の息子である第一王子のヘイリーは血筋こそ悪くないものの、中身には相当の難あり。

そして側妃の息子である第二王子のデュークは血筋はかなり、劣るが、勤勉実直で誰から見ても非の打ち所のない少年に育っている。

どちらを後継者にしても角が立つし、何かしらの問題が起こることは避けられなかった。


しかも王妃からはアレクシアをヘイリーの婚約者にするようにと、度々打診が来ていた。

国王としても国内五指に入る有力者である公爵家の娘・アレクシアをどちらかの婚約者に迎えたいと思っているが、こちらもどちらの婚約者にしても角が立つし、何かしらの問題が起こることは避けられない。

なんせ当のアレクシアとデュークがそれはそれは仲睦まじく過ごしているのだから。

そこに割って入ろうものなら、当人達からも恨まれるのは必至だ。


結局迷いに迷った結果、国王は王妃マルグリットの押しに負けて、アレクシアを第一王子ヘイリーの婚約者とすることにした。

これにはマルグリットも諸手を挙げて大喜びした。

しかし、これを良しとしなかったのが、他ならぬアレクシア自身だった。




第一王子のヘイリーと顔合わせのお茶会をしたその翌週、アレクシアは不敵にも国王への謁見を求めてきた。

たった十歳の女の子が、だ。

そしてそれを了承した国王に向かって、アレクシアは堂々とこう宣った。


「国王陛下のご意思は承知しておりますが、ヘイリー殿下と婚約するに際し、二つ条件を付けさせていただきたいと思います。」


国王や宰相、その他の大臣達を目の前にして物怖じすることなく発言するアレクシアに、一同は度肝を抜かれたと同時に畏怖の念を感じた。

たった十歳でこの堂々たる態度、大人になったら如何程の女傑になるのか、と。


「まず、万が一ヘイリー殿下が想いを寄せ合う女性が現れた場合は、速やかにわたくしとヘイリー殿下の婚約を解消し、第二王子のデューク様との婚約をお許しくださること。

そして二つ目は……」


「どうした?続きを申してみよ。」


言い淀むアレクシアを促すと、彼女は満面の笑みを浮かべながらこう言った。


「万が一にもヘイリー殿下が私と婚約破棄するためにわたくしを嵌めた場合、わたくしがヘイリー殿下を徹底的に叩き潰すことをお許し下さい。」


その場が騒然としたのは、言うまでもない。

だがアレクシアは全く気にすることなく続けた。


「もちろんこれは#万が一の場合__・__#です。

わたくしとしてもヘイリー殿下とより良い関係が築けるように努力はいたしますが、万が一にもヘイリー殿下が相手の方や周りの方の甘言に流されてわたくしを貶めるような真似をなさった時、相手の方や周りの言葉を鵜呑みにして故意でなくともわたくしを嵌めようとした場合、きちんとそれなりの対応をすることをお許しいただきたいのです。」


「しかし……それは……」


「ヘイリー殿下が、想いを通わせ合う女性が出来たことを、真摯な気持ちでお話しくだされば良いのです。

もし正直に心の内を打ち明けてくださって、婚約破棄したい旨をお伝えくださるのであれば、わたくしは心からお二人を祝福し、喜んで婚約破棄させていただきます。

でも自らの願いを叶えるために、真実から目を背け、仮にも婚約者となった人間を謀るような真似をしたら、それはもう王子や貴族などの身分を抜きにして、人として罰を受けるべきだどわたくしは思いますが……

陛下はどうお考えですか?」


そう言うアレクシアの瞳には、これまでのように愉しみの色はない。

その真剣な眼差しに、国王は深く頷いた。


「相分かった!

万が一にもヘイリーがそなたを謀るような真似をした時には、思う存分し返すが良い!」


「へ、陛下!」


「またそのようなお戯れを!」


慌てるような臣下達の声に国王は鷹揚に笑った。


「良いでは無いか!

たった十歳の少女が自らの人生を賭けに来ておるのに、それに応えぬなど腑抜けのすることだ。

それに何も人の道に外れたことをしようとしているのではない。

あくまでもヘイリーが仕掛けてきたらやり返すだけのことだ。」


「陛下……ありがとうございます!

ではここにサインをお願いいたします。」


「お?おおお……抜け目がないのう。」



アレクシアがどこからともなく取り出してきた三枚の羊皮紙には、今アレクシアが出した条件が幼いながらも丁寧な字で書いてある。

それを一読した国王はサインの横に御璽を押す。

それを見たアレクシアは満足そうに笑った。


「必ず円満に婚約破棄してみせますわ!」






あの時の国王と最後にした約束は違えてしまったが、結果的に婚約破棄はできた。

本当ならヘイリーがルイーズをアレクシアに紹介して、それをアレクシアが祝福して円満に婚約破棄したかった。

最後に瑕疵が残ってしまったのは残念だか、それもヘイリーが誠実な態度を取らなかったのが原因だ。


アレクシアは国王との約束を取り付けた後、すぐさま幼馴染である宰相の息子・セドリックや、騎士団長の息子・ニコラスに頭を下げて、ヘイリーを正しい方向に導いてもらえるように頼み込んだ。

こういうのは婚約者であるアレクシアよりも、同性の側近の方が良いだろうと思い、わざわざ第二王子派の二家に頼み込んで子息達を第一王子の側近にしてもらったのだ。


セドリックやニコラスもアレクシアと連絡を取り合いながら、何とかヘイリーの軌道修正をしようと奮闘したのだ。

しかしその努力も虚しく、我儘で傍若無人のヘイリーはその手腕を発揮し、それを煽て付け入ろうとするルイーズの接近を許してしまった。

結果はご覧の通りだ。


「まあこれも全て兄上の行いが招いた結果なのだから。

アレクシアが気に病んでいても仕方がないよ。」


慰めるように頭をポンポンと撫でた時、サロンのドアの向こうから言い争うような声と、大きな足音が近付いて来た。

慌てるような侍女の声にドアの傍に控えていた護衛が腰にぶら下げた剣に手を伸ばすが、デュークはサッと手を挙げて制止する。

それと同時にバンッと大きな音を立てて、扉が不躾に開かれた。


「アレクシア!これはどういうことだ!」


入るや否や大きな声で怒鳴るヘイリーに、アレクシアは不快そうに眉を寄せた。

せっかく感傷に浸ってデュークに優しく慰めてもらっていたのに、台無しである。


「どういうこと、とは何がです?」


「何がもクソもないだろう!

何故私とお前の婚約が破棄されているのだ!」


その言葉にアレクシアは一瞬我が耳を疑った。


「えっ……と?わたくしとヘイリー殿下の婚約破棄がなんですって?」


「だから!何故私とお前の婚約が破棄されているのかと聞いている!」


「な……何故って……。

それは殿下が婚約破棄の書類にサインをされたからですよね?」


本来婚約破棄とは、死別や不貞行為などの特別な事情を抜いて、双方の同意の元に行われるものだ。

アレクシアの場合もそう。

あの断罪の場には婚約破棄の書類も用意されていたし、もちろんヘイリーのサインもあった。

だから法務省の職員立ち会いの元でアレクシアもサインをし、婚約破棄の意思確認が成立したわけだ。


「は?だからなんだ?

あんなもの無効だろう。」


腕を組んだまま偉そうにふんぞり返るヘイリーに、アレクシアはどっと疲れが押し寄せて来たかのような気分になる。


少しでも申し訳ないと思ったわたくしの気持ちを返して欲しい。


「ヘイリー殿下がどう思われようが、法務省の職員立ち会いの元で双方の意思確認が行われた正式な書類ですので、それが提出され国王陛下がお認めになった以上、婚約破棄が覆ることはありません。」


「くっ……!じゃあもう一度私と婚約しろ!」


「はぃぃ?」


あまりの言葉に思わず声が裏返ってしまった。

ようやく婚約を解消できたというのに、何故またこんな男と婚約しなければならないのかと憤りを感じていたアレクシアの前に、デュークが一歩踏み出した。


「残念ですが、それはできませんよ、兄上。」


「デューク!?お前いつの間に!?」


「いや、私はさっきからここにおりました。

お怒りで目に入っていなかったのですね。」


心底驚いた様子のヘイリーに、苦笑いするしかない。


「そんなことより、なぜ婚約ができないのだ!」


「それは私とアレクシアが婚約したからですよ。」


その言葉に微笑むアレクシアの肩を、デュークがそっと抱き寄せる。

それを見たヘイリーは一瞬状況が飲み込めないようだったが、すぐに顔を真っ赤にして怒り出した。


「き、貴様!アレクシアと浮気していたのか!?」


「まぁ!滅多なことをおっしゃらないでくださいませ。

あなた様じゃあるまいし。」


事実、国王との約束の後アレクシアは一度だけデュークの元を訪れたが、それ以降は個人的に二人で会うことは一切なかった。

あくまでもアレクシアはヘイリーの婚約者として彼を立て、付き従い、デュークはヘイリーの弟としてアレクシアに接してきた。


ただ唯一デュークがアレクシアにしたことと言えば、彼女の誕生日の日に当たり障りのないプレゼントと共に贈るキランソウの花。

『あなたを待っている』というその花言葉だけがアレクシアの心の支えだった。

それも一方的な連絡。


アレクシアからデュークにはそういう想いを伝えることは出来ないので、デュークの誕生日にのみ、懸命に鍛錬に励む彼を思って剣に着ける飾りの組紐を贈っていた。

そんな慎ましい交流だけが、二人の気持ちを繋ぎ続けていたのだ。


「そもそも兄上には、ルイーズという恋人ができたのでしょう?

ならアレクシアを責めるのはお門違いです。」


「そ、それは!

私はあの女に騙されていたのだ!

アレクシアに虐められたなどと嘘を吐き、子爵家の取引先の男爵家の娘を脅して証人をでっち上げたのだぞ!?」


ヘイリーの言葉に、アレクシアはやっぱりなと納得した。

あの気の弱そうなキャスリーンが自ら捏ち上げることなんて無理だろうし、となると誰かに強制されたのは想像するに容易い。

わざわざそんな裏工作をして得をするのは誰かと言うと、ルイーズしかいない。

これが仮に相手が侯爵令嬢のブリジットであれば政治的な思惑も入ってくるのだろうが、如何せん相手はうだつの上がらない子爵家のご令嬢だ。

捨て駒に使うにしても、もっと真っ当なご令嬢を探すだろう。


「だとしてもですよ。

セドリックやニコラスの忠告も無視してルイーズにのめり込んで行ったのは誰です?

他ならぬ兄上ご自身だ。

それを悪意があったとはいえ、女性一人に責任転嫁するのは情けないにも程があります。」


「う、うるさい!うるさい!うるさい!

お前に何がわかる!

王太子として重圧を受け育った私がどれ程苦労したと思う!?

それに対してアレクシアは何のフォローもしなかった!

私の心が他に向いても仕方がないだろう!」


小さな子供のように駄々を捏ねるヘイリーに、アレクシアはげんなりした。

と言うか、誰が王太子ですって?


「失礼ですが、ヘイリー殿下はいつの間に立太子式に臨まれたのでしょうか?」


「は?何を言っているんだ?

私が第一王子なんだから、私が王太子に決まっているだろ?」


本気でわかっていないヘイリーの顔に、アレクシアとデュークだけでなく、傍に控えている護衛達ですら驚きの表情を隠せない。



「いや、あの……ですね?

我が国の王位継承権は、ご兄弟は平等にあるのですよ?」


「確かに数日とはいえ先に産まれたのは兄上ですが、継承権でいうと、私と兄上は同等になります。

私達はまだ成人しておりませんので、現在国王である父上の次は王弟殿下である叔父上、その次にいるのが私達です。

父上がご健在だし、叔父上は娘しかいないので順当にいけば私か兄上のどちらかが王太子になりますが、それは父上次第です。」


「は?お前は何を言っている?

お前は愛人の子供なんだから、継承権なんてないに決まってる!」


その言葉に護衛達の顔が険しくなっていく。

側妃であるイーディスは健勝で、王妃マルグリットの亡き後は国王を支えるために日々奮闘している。

主であったマルグリットへの忠誠を忘れず、立后をという家臣の言葉を跳ね除け、あくまでも自分はマルグリットのための側妃であることを貫き通すイーディスは、家臣の鏡として崇められている。

それを愛人などと吐き捨てる始末。


「兄上、母上は愛人ではなく側妃です。

国王と王妃と議会によって認められた、正式な第二妃ですので、愛人などと母上を侮辱するのはおやめ下さい。」


「はは、なんだ?怒ったのか?

第二妃などと都合の良い言葉で誤魔化したところで、所詮愛人は愛人だろう。」


デュークの強い口調にも反省するどころか悪びれた様子もないヘイリーに、ついにデュークの怒りは頂点に達した。

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