思い込みと、トリック。
「さて、ルイーズさんのノートが破られた件につきましては、わたくしへの疑いは晴れましたね?」
扇子で悠々と仰ぐアレクシアに、ルイーズが悔しそうに歯噛みする。
が、フッと口元を歪めた。
「確かに、ノートの件はキャスリーンさんの偽証でしたね。
私もすっかり騙されてしまいましたわ。
でもドレスの件がまだ残っていますよね!
これに関しては私がアレクシア様に直接インクをかけられましたし、証拠のインク壺だってあるんだから言い逃れはできないわ!」
「そ、そうだぞ、アレクシア!
ノートに関してはキャスリーンが嘘を吐いて我々は騙されてしまったが、ドレスについてはそうはいかんぞ!」
片手に持っていたインクの掛けられたドレスを見せ付けるように持ち上げるルイーズに、便乗したように声を上げるヘイリー。
それを見たアレクシアは、目を細めた。
キャスリーンの偽証についてだが、気の弱い彼女が自ら偽証したとは思えない。
多分後ろでルイーズが糸を引いているのだろうが、ヘイワーズの詰問が終わっていない以上、詳細はわからない。
今はまずこのドレスの件を何とかする方が先だ。
「ちょっと!黙ってないで何とか言いなさいよ!」
眉を吊り上げるルイーズに溜め息一つ、アレクシアはその後ろで様子を窺っていたいたブリジットに視線を移した。
「ブリジット様にご質問いたします。」
「何かしら?」
「ルイーズさんがお母様の形見のドレスにわたくしがインクをかけたとおっしゃっている日はいつか明確に覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんです。
あれはわたくしが実家の用事で呼び出され一時帰宅し、一泊した翌日の朝。
日付けでいうと、二月二十一日でした。
午前中なのは覚えておりますが、申し訳ありませんが明確な時間は覚えておりませんわ。」
キャスリーンと違い侯爵令嬢らしく堂々と発言するブリジットに、アレクシアは微笑んで頷いた。
「時間は大丈夫ですわ。
ルイーズさんはダンスの練習のためにドレスに着替えて移動中だったとおっしゃっていたのですね?」
「そうです。」
ブリジットに確認を取ったアレクシアは、壁際に並ぶ教師達の方へと視線を向けるとダンス講師のフィリッツが再び手を上げて前に進み出た。
「私をお探しですか?
そしてズバリ、その日の三年生のダンスの時間をお知りになりたいのですね!」
輝かんばかりの笑みを浮かべる彼の瞳は爛々としていて、状況を楽しんでいるのは一目瞭然だ。
その姿にアレクシアは苦笑いした。
「ご明察です。
二月二十一日の三年生のダンスの授業は何限目でしょうか?」
アレクシアの問に手に持った手帳を広げて、ふむふむと口にしながらページを捲る。
先程は持っていなかった手帳。
いったいいつの間に取ってきたのか。
「その日の記録では、三年生のダンスの授業は二限目となっていますね。」
「間違いはございませんか?」
「間違いはありません!
二月は授業時間の変更はありませんでしたし、私も所用や急病などで休みを取るなどはしていません!
こちらについては事務室で保管されている出勤簿と、職員室で保管されている授業記録を見ればわかるでしょう!」
どうだ!とばかりに宣うフィリッツに、一同は苦笑した。
どうやらこのダンス講師は思っていたよりも調子に乗りやすいタイプらしい。
「ありがとうございます。
それらの記録は後程全て確認するとして……。
再びブリジット様にご質問いたします。」
「何かしら?」
「ルイーズさんが叫び声を上げてあなたが現場に駆け付けた時、誰かが立ち去るような足音が聞こえたとおっしゃっていましたね?
それは確かですか?」
「間違いありませんわ。」
「ではあなたは、立ち去る何者かの姿を見ましたか?」
「いいえ。
わたくしは走り去る足音を聞いただけで、ルイーズさんにインクを掛けたと思われる人間並びに掛けられた現場などは見ておりません。」
「つまりその現場には#ルイーズさん一人__・__#だったということですね?」
「その通りです。」
「ちょっと待ちなさいよ!
じゃあ私が被害者のフリをするために芝居してたとでも言うの!?」
淡々と繰り返される質疑応答に、怒り心頭で横槍を入れたのはルイーズ。
それを見たブリジットが冷めた視線を送る。
「誰もそんなこと言っていないじゃない。」
「でも……!」
「アレクシア様はあくまでも#その場に誰かいるのを見たか__・__#という確認をされているだけ。
それに対してわたくしは#誰もいなかった__・__#と答えただけ。
既に犯人が立ち去った後だったという話よ。」
ブリジットの冷静な言葉に、ルイーズがグッと言葉を詰まらせる。
その顔には苛立ちが浮かんでいた。
「ブリジット様のおっしゃる通りです。
わたくしは今犯人の目撃情報を確認しているだけで、ルイーズさんがどうとかの話はしておりません。
ですが……、そうね。
ルイーズさんにご確認いたします。」
「何よ!」
「授業前の移動の時間に、わたくしにインクを掛けられたという証言ですが、訂正するつもりはありますか?」
「は?そんなのあるわけないじゃない!」
「では確かにわたくしにインクを掛けられたと?」
「そうよ!」
再三の確認にも関わらずアレクシアにインクを掛けられたと証言するルイーズに、アレクシアは静かに瞳を閉じた。
「ルイーズさん……残念です。」
「な、なんなのよ!」
アレクシアの発言の意図がわからないルイーズの顔に焦りの表情が浮かぶ。
だがアレクシアは冷静に、先程の報告書の束を取り出した。
「二月二十一日、その日私は学園には登校しておりません。」
アレクシアの静かな宣言に、辺りから一斉に驚きの声が上がった。
「う、嘘よ!
私はあの日確かにアレクシア様からインクを掛けられたわ!
それにあんた、朝事務室にいたじゃない!」
慌てふためくルイーズに、アレクシアは護衛が書いた報告書を静かに読み上げる。
「二月二十一日、その日は国王陛下からのお呼び出しにより、わたくしは朝の八時四十分に馬車に乗って学園を出立いたしました。
国王陛下のお呼び出しは前日の午後に連絡が来ていましたが、私は授業終わりに翌日の欠席届けを出すのを忘れていたことを思い出し、王宮に向かう前に欠席届けを出しに学園に立ち寄りました。
多分あなたが事務室で見かけたのは、その時でしょうね。」
「そんな……っ……。」
「思い出してみて、ルイーズさん。
事務室に立ち寄ったわたくしの姿を。
あの時のわたくしは、どんな格好をしていましたか?」
「どんなって………………ぁ…………。」
アレクシアの言葉にオロオロと目を泳がせていたルイーズの頭の中に、事務室に入るアレクシアの姿が鮮明に浮かび上がる。
「わたくしは、正装をしていたでしょう?」
その言葉にルイーズの顔色がサーッと青くなった。
「ま、待て!
お前が学園にいなかったからと言って、ルイーズのドレスにインクを掛けたのがお前ではないとは限らないだろう!
このインク壺はどうするつもりだ!
ここには確かにお前の名前が彫られているのだぞ!」
アレクシアは学園にいないのに、アレクシアがインクを掛けていないことにはならないなど荒唐無稽な話であるが、慌てふためくヘイリーには考えが至らないのだろう。
「ルイーズさんがインクを掛けられた時間に国王陛下の御前にいたわたくしが、どうやってルイーズさんにインクを掛けられたとおっしゃるの?
寝言は寝てからおっしゃっていただきたいわ。
それにわたくしのインク壺なら、誰だって手に入れられますわ。」
「お、お前のインクは公爵家御用達の商人が作っているのだぞ!?
その物が他の人間にお前の名前入で売ったとでも言うのか!?
私が公爵家からインク壺を借りられたのは、私に第一王子という肩書きがあったからだ!
他の者には到底出来まい!」
「でも空のインク壺なら、空瓶入れから入手できますでしょ?
思い込みですわ、殿下。
殿下はインクを掛けられたことと、ドレスのシミの大きさからインク壺は新品だったと思い込まれたのでしょう。
でもインクが入っているということと新品ということは、必ずしもイコールで結ばれるとは限りませんわ。」
「ぁ…………え?」
アレクシアの言葉に、ヘイリーが言葉を詰まらせた。
通常、新品のインク壺は御用達の商人からしか手に入れられないし、第三者がアレクシアの名前が刻印された物を買い求めることはできない。
しかし使い終わった後のインク壺は教室に設置された、空瓶入れに廃棄される。
純度が高いガラスで造られた美しい細工のインク瓶も、貴族にとって使い終わった後の空瓶はゴミでしかない。
しかし庶民はそれらを洗って溶かして再利用するのだ。
市井では貴族のインク壺は質の良い資源として取引されるため、学園では集めたインク壺を近くの協会などに寄付している。
「もちろんわたくしも、使い終わったインク壺は空瓶入れに入れておりますわ。
となると、わたくしの名前入の新品を手に入れるのは無理でも、空瓶ならわたくしのクラスに行けばタイミングが合えば手に入れられますわよね?」
静かに歩き出したアレクシアが、ゆっくりと舞台に上がるための階段を上がる。
その優雅な動きに、一同は釘付けになっていた。
「わたくし、気になっておりましたのよ。」
徐々にルイーズに近付くアレクシア。
逃げようと思うのに、まるで獰猛な肉食獣に睨まれたかのように動くことが出来ない。
そうしている間にルイーズのすぐ近くまで来たアレクシアのために、薄く微笑みを湛えたブリジットが一歩下がって道を開けた。
ルイーズのすぐ隣には、アレクシアがいる。
「わたくし、愛用のインクは藍を入れておりますの。
わたくしの#愛しい方の瞳の色__・__#。
白い紙に書き記した時にね、滲んだ藍がまるで#あの方__・__#の瞳に見詰められているみたいで……ふふ。」
ゆっくりとした動きでルイーズの手からドレスを取ったアレクシアは、インクの染みた箇所をじっくりと見詰めた。
「これは、オレンジね。」
ドレスを持ったままのアレクシアがヘイリーに近付くと、彼の手に握られたままのアレクシアのインク壺をそっと取る。
その触れた手の冷たさに、ヘイリーがびくりと手を震わせた。
床にパサりと投げ出された水色の可愛らしいドレス。
アレクシアはインク壺の封を爪でなぞって切って蓋を開けると、壺をそのまま逆さまに。
インクの染みのないドレスの胸の辺りに、中の液体を全てぶちまけた。
「きゃあぁ!」
「うわぁ!」
ビシャビシャと飛び散る液体に、思わずルイーズとヘイリーが悲鳴を上げて飛び退いた。
アレクシアはもちろんブリジットのドレスの裾にもインクが跳ねたが、二人は微動だにしなかった。
「こうやって零して並べたら、インクが別物であることは一目瞭然ね。」
「あら本当ですわね。」
覗き込んだブリジットが視線を上下して二つのシミを見比べる。
その差はじっくり見比べる必要もなく、滲んだ色の差で明らかだった。
「予想通りでしたわね。
わたくしのクラスに忍び込んだ誰かさんが、わたくしの捨てたインク壺の空瓶を手に入れて、その辺で買った安物のインクを入れてドレスにぶちまけた。
目撃者が到着する前に瓶は足元に転がしておけば良い。
持ち去らなかったのはインク壺の名前を証拠とするためか、それとも犯人に立ちされない事情があってそのままそこに捨て置くしかなかったか。」
無表情のままドレスを見下ろしていたアレクシアがくるりと振り向くと、ルイーズはビクリと肩を震わせた。
「まぁどちらにせよ、あなたが私にインクを掛けられたと偽証したことは間違いないものね?」
アレクシアが言い終わる前に、騎士団長子息のニコラスがルイーズを捕縛した。
「きゃぁぁ!や、やめてよ!
ニック、どうして!?」
「どうして?だと。
この期に及んで何故自分が捕縛されないと思っている?
言っただろう?
#この世に滅びない悪はない__・__#と。」
「そんな!?
あ、あれはアレクシアに言ったんじゃ!?」
後ろ手に腕を押さえられ膝を着かされたルイーズが痛みに悲痛な声を上げる。
それを見たヘイリーが駆け寄ろうとするが、足払いをされて床へと倒れ込んだ。
「な、何をする!」
「あなたもですよ、ヘイリー殿下。
#覚悟しなさい__・__#と申し上げたはずでしょう?」
「なっ!お前達、裏切ったのか!」
慌てふためくヘイリーの言葉に、セドリックが鼻先で笑った。
「何をおっしゃっているのか。
我々は再三に渡ってルイーズとの縁を切るように進言いたしましたよ?」
「だ、だが何も言わなくなったじゃないか!」
「馬鹿か。
んなもん、言っても無駄だからだろうが。」
どこからともなく取りだしたロープでルイーズの身体を縛り上げていたニコラスが悪態をつく。
さすが騎士団長の息子。
「殿下はお忘れのようですが、セドリックとニコラスは#わたくしの__・__#幼馴染ですのよ?
どうして繋がっているのがあなた様だけだとお思いですの?」
改めて突き付けられた真実に、ヘイリーは悔しそうに唇を噛む。
「そ、そんな!じゃあ私に優しくしてくれたのは!?
あれは私を騙すための演技だったの!?」
縛られながらも悲痛な面持ちで二人を見るルイーズに、セドリックが呆れたように溜め息を吐いた。
「優しく、ね。
あなたにも私達は再三に渡って、殿下に必要以上に近付かないように忠告してきたはずですが?」
「あ、あれは、ヤキモチでしょ!?
セディもニックも私のことが好きだから、私に振り向いて欲しくて!
だからヘイリー様よりも自分を見て!ってアピールだったじゃない!」
その言葉を聞いた二人はげんなりとする。
「こうもご自分のご都合の良いように解釈されますのね。
傍から見ていて呆れてしまいますわ。」
一歩後ろで観客を決め込んでいたブリジットが、腰に手を当てて呆れたように溜め息を吐くが、ルイーズはもう涙を溜めて睨み付けるしか出来なかった。
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