第2話

 今年の春、あたしは大学進学で九州から東京に出てきた。第一志望の国立大学に奇跡的に合格したが、心配性で想像過多の両親は賄い寮かオートロック付きのマンションに住むよう主張した。

 不動産屋で格安物件のマンションを、ざっと見ただけで即決した。上野の繁華街のはずれにある十階建てのマンションは狭苦しいうえに建物全体がボロで、窓からの眺めも真下を走る車の往来の激しい幹線道路と、それに沿って雑居ビルや高層マンションが視界の遥か遠くまで連なっていた。

 マンションの一階には小箱のような管理人室があり、中年の不愛想な大男の管理人が掃除や荷物の受け渡しなどの雑用を日中している。入居してから、生活感が希薄な人間、家庭の匂いのしない人間が大勢住んでいることも徐々に気づいた。

 あたしが大学からマンションに帰る頃、装った格好でこれから出勤する女たちがエントランスですれ違いざまに

「お帰りなさい」と声をかけてくれたりした。白い背広に太い金のチェーンを首にジャラジャラぶら下げた強面のおじさんや、見せびらかすように両腕に黒揚羽のタトゥーを入れた兄さんとエレベーターで相乗りすることもある。最初は知らん顔の彼らも、何度か会ううち、シャイな会釈をあたしに向けてくれるようになった。

 何より、一番びっくりしたのは、お隣さんだ。あたしはたまたま空いていた五階の角部屋に入居した。隣にはまず挨拶しようと引っ越しの翌朝、贈答用の石けん箱を持ってドアフォンを押した。少し間があって応答があり旨を伝えると、すぐにドアが開き、隣の住人の顔がのぞいた。いかにも今起きたばかりといった感じの精気がない、眠そうな素顔だった。

「すみません、お忙しいところ・・」と、あたしが遠慮がちに話かけると、

「あらあ、ごめんなさい、こんな格好で。引っ越し、大変だったでしょう」と、ねぎらいの言葉が返ってきた。

 桃色のガウンを身にまとった隣人は、肉付きのいい大柄な体躯をしていた。年齢も性別も、よくわからない。縦ロールのロングヘアは西洋人形みたいな赤茶色で、爪は鮮やかな真紅。一見、女性のなりだが酷く違和感があった。しゃがれた声は妙に野太く、おまけにノドぼとけが突き出ていたのだ!

「私このすぐ近くの、きまっぴー倶楽部って店で働いています。ラウンジバーみたいなものかな?あ、そうだ」

 急に何を思いついたのか、隣人はガウンの紐をひるがえして奥の部屋に入っていった。

すぐに、グッチのバッグを手に戻ってきて中から四隅の丸いピンク色の名刺を取り出し、あたしに手渡した。

「異端の宴、きまっぴー倶楽部、かれん」と記されている。クエスチョンマークが頭のなかを飛びかい、わけがわからない。

「それ私の名前、源氏名だけど・・よかったらいらしてね、サービスするから。明朗会計だから安心よ」

 あたしは、しどろもどろに、いい加減な返答をし、そそくさと自分の部屋に戻った。カルチャーショックというか本当にびっくりした。ゲイ、ニューハーフといった人間をテレビや雑誌で見たことがあったが、実際に間近で見るのははじめてだ。

 それが、かれんさんとの出会いだった。 

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